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海桜に雪芒と  作者: 藤泉都理
一巻 天と地のせいめい編
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天と地のせいめい 三






 全てを隠し、ともすれば、その存在をも消してしまう黒に反して、白は全てを暴き出す。ともすれば、暴かれたくない、もしくは己でさえ知らない本性や過去まで。



 残酷なまでに、個を浮き彫りにさせるのだ。






『今日からおまえの義理の父親になった天紅雪晶だ』



『初めまして。家政勤めの未空みそらと申します』



『氷月ちゃん。それならひーちゃんね。私たちの事は加治おじちゃんと、菜々ななみおばちゃんって呼んでね』



『うわ。お化けだお化け。こえー』



『莫迦。止めろ』








 邸を囲む広い庭の東側。そこにある白い壁に囲まれた建物が天紅家の『雪芒』用の修行場であった。外見の大きさは三畳ほどだが、中の大きさはその何百倍もある不思議な空間である。加えて、一度入ってしまえば三日間は決して出られず、食事や睡眠など肉体的欲求は全く感じられず健康状態も入った時を維持できる。その特異な空間と強固な造りも相まって、最終的な避難場所として指定もされていた。



 その、日に当たる積雪のように純白で発光もしている、暗闇が訪れる事のない空間の中。氷月は独り、胡坐をかき、瞼を閉じて、長く細く呼吸を繰り返していた。



 瞼でさえ、この光は遮断できない。それでも、こうしていた方が落ち着いた。

 暗闇がない。常に光に照らされているその空間では、十分な休みが取る事ができない。身体が昼間だと誤認して、動けと、静かに、静かに突き動かす。



 何より、孤独を際立たせる。

 この空間にいるのは、己だけであると。



 すれば、この世界にいるのは己一人だとさえ否が応でも錯覚させられる空間。

 狂って切って気を失いたいのにそうさせない、恐怖に包まれる絶望の時間。

 入ったばかりの頃は、震える身体を抱きしめて三日間をやり過ごしていた。




『意識に呑み込まれないようにもまずは、己の感覚を覚えよ』




 ここはその為の場所。十五になって漸くその言葉の意味を知る。

 必要だったから。必要としていたから。

 だからどんなに辛くても、幾度も幾度もここに戻って来る。

 けれど五年が経った今でも、五歳以前の記憶が戻る事はなかった。



 氷月には義理の父である雪晶に引き取ってもらう以前の記憶がない。乃ち、己の出自が全く分からない状態にあった。


 唯一持っていたのは、氷月という名前と生きていくのに必要な知識だけ。

 何故引き取ってもらえたのか。自分は何者なのか。その疑問を口にする事なかった。

 彼から聞かされない以上、自分で知るべきだと思ったのだ。


 そして、連れて来られたのは、何か、自分ができる事があるのだと。

 なのに、この家に自分がする事はなかった。

 だから、怯えた。焦った。


 修行は八歳からだから、それまでは好きにしていいと言われても、どうしていいのか分からなかった。


 未練たらしく修行に関して家政婦の未空に尋ねても、自分は『雪芒』ではないからと教えてもらえなかった。八歳まで聞く必要はないと改めて釘を刺された気がし、ならばそれまではと、一般的な知識と丈夫な身体を取得すべきだと考えた。


 新聞を読んで、分からない漢字や単語を辞書で調べ、どうしても分からなかったら未空に教えてもらった。腕立て伏せ、腹筋、突き、片足屈伸、蹲踞の姿勢を維持したままの移動。自分が考えられた運動法を書き上げて毎日毎日、前日よりも数を増やして行った。


 最初の内は新聞を一面読むだけで日は暮れた。最初の目標を三十回三十歩ずつと定めたのに、二十にも届かなかった。



 橙に染まり、包まれる時分。進んだのはぺらぺらの紙一枚分。正の文字がたったの五つ。

 情けない自分に焦りが拍車をかけた。



 何も束縛されていないのに、息が苦しかった。視界が狭まった。全身が徐々に髪の毛のように黒く染まっていくようで。じわり、じわりと、締め付けられていくようで。



 加治たちの厚意を跳ね除け、自分の世界に閉じ籠ってしまった。

 苦しかった。しかし、その苦しみを吐き出す方法を氷月は知らなかった。分からなかった。







 ―――これ――。

 ―気に食わねえ。何時も何時も――。ちったあ――てみやがれ。







 不器用な彼らの厚意を前に、どんな表情をしていたのか。


 氷月はその時の二人の顔や言葉は鮮明に思い出せても、自分がどんな言葉を返したのか。どんな感情が占めていたのかを思い出す事はできなかった。








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