(三)大坂
(三)大坂
江戸の将軍が二代目になった今でもなお、太閤が築いた巨大な天守閣は浪速の空に聳え立っている。
汚い身なりの牢人が、日本中から集まって来た。片目を失った者もいれば、顔に大きな刀傷がある者もいる。二千石を食んでいた者もいれば、足軽だった者もいる。
元亀・天正の頃、日本中の武士たちは勝って功名を得るために戦いに出た。だが今大坂に集まっている牢人たちはそうではない。大坂方に勝ち目がないことは百も承知で集まっている。大坂城は巨大な誘蛾灯かもしれない。吸い寄せられて身を焦がす事を分かっていながら、牢人たちは進んでやって来た。
大坂に入城した健二郎は、とりあえず毎日飯を喰えるようになった。食う心配がなくなると心に余裕ができた。安物ではあるが甲冑と槍と刀を与えられ、月代を剃って髷を結うと久しぶりに武士らしい姿になった。
いくさは起こりそうで起こらない。上の人たちがいったい何をしているのかはよく分からないが、今はただ待つしかない。手持ち無沙汰で日を過ごしているうち、やる気を持て余した足軽同士の喧嘩も起きるようになったが、健二郎は腐らない。不満分子とは距離をおいて、今は自分に出来ることをやるしかないと思っている。とりあえず、城内を歩いて地形の確認をすることにした。
夕陽が空を染めるころ、健二郎は外濠のあたりまで足を延ばしてみた。濠の水面は緑色の藻に覆われ、なにやら重たげな圧迫感を感じさせる。それを取り囲むのは巨大な石垣で、豊臣政権が威信をかけて全国の大名どもに運ばせた巨石がきれいに揃えられていて、目も眩むような高さにまで積まれている。
まさに時代の最先端をいく建造物を右手に見ながら、健二郎はゆるりゆるりと、行くあてもなく歩を進めた。
「かしゃり」
何やら背後で金属音がする。
「かしゃり」
やはりする。何者かが後ろをつけている。健二郎は気づかぬふりをしながら、さりげなく足を速めた。
「かしゃっ、かしゃっ」
背後の不審者も、健二郎に合わせて足を速めた。ますます怪しい。金属音は僧侶の錫杖であろう。乱暴な僧兵はいつの時代にもいる。いきなり錫杖で打ちかかられるかもしれない。いつでも刀を抜けるよう神経を研ぎ澄して、不審な僧との距離を測った。
健二郎は、今度は歩く速度を落としてみた。相手が不審者でないのなら、自分を追い越して行くはずである。
「かしゃり」
不審な僧も、健二郎に合わせて歩く速度を緩めた。依然として同じ距離を保ったまま後ろをつけてくる。
「もし、そこの者」
向こうから先に声をかけてきた。健二郎の額に冷や汗がにじみ出た。覚悟を決めて振り向くと、乞食坊主が立っていた。おそらく古希は過ぎているだろう。いや、もしかしたら八十近いかもしれない。薄汚れた黒衣に身を包み、被れた編笠をかぶり、皺だらけの顔の下には手垢で真っ黒に汚れた大数珠をぶら下げている。
「そなたの背中の周りには、妖気が渦を巻いておる」
健二郎は警戒心を緩めない。
「この大きさの小さな娘を、そなたは知っているはずだ」
目の前の胡散臭げな老僧を信じていいのかどうか、健二郎には判断がつかなかった。
「知らん…。何の事だ」
鴨川の不愉快な浮浪者を思い出した健二郎は、慎重になった。
「そうか、人違いであったか。中山健二郎殿ではなかったようじゃのう。せっかく咲殿を助ける手だてがあるというのに残念なことじゃ」
「くそ坊主、いい加減な事を言うと、叩っ斬るぞ」
「斬りたければ、斬りなされ。拙僧を殺せば、貴殿は二度とあの娘とは会えんぞ」
「うるさい。お主はいったい何物じゃ」
「了海と申す」
了海は右手に持った錫杖を突き出して、大きな銀杏の木を指し示した。
「明日、戌の刻。拙僧はあの銀杏の下にいる。貴殿が中山健二郎殿であるかどうかは知らんが、もし、あの娘に会いたいと思うのなら、来るがいい。待っておる」
そう言うと、了海は後ろも見ずに去って行った。次第に遠ざかっていく「かしゃり、かしゃり」という錫杖の音が、健二郎の耳にはいつまでも離れずに残った。
その夜、健二郎は一睡も出来なかった。行く、と決めたわけではない。かといって、行かない、と決めたわけでもない。どういうわけか、錫杖の音が耳から離れず、銀杏の木の佇まいが瞼から消えない。
行かないと後悔するだろう。しかし行ったら失望するかもしれない。失望したら、乞食坊主を斬って捨てればいいではないか、とも思ったが、橋の下で暮らしていた頃とは違って今はそうもいかない。軍勢に所属した以上、勝手に人を斬れば、後でやっかいな事になるだろう。それに、自分はすでに、ここ大坂城で戦って死ぬ、と決めた以上、今さら咲に会ってどうなるというのだろうか。
同じ考えが何度も浮かんでは、同じ理由で何度も否定する。思考が堂々巡りして、健二郎は決められない。決められないまま夜が更けて、朝が来て日が高くなり、やがて西に傾いた。
「やはり来られましたな」
了海は目だけで微笑むと、無愛想に後ろを向いた。戌の刻を少しだけ過ぎていた。
「ついて来られるがいい」
言うなり了海は、振り返りもせずに一人で先に歩き出した。何処へ、と問い質すこともなく、健二郎は憑かれたように了海の後ろを歩いた。二人は口をきかない。
城外へ出た二人は三里ほど北へ向かった。やがて寂れた一庵が竹薮の中にさりげなく建っているのを見つけた。
「入られよ」
貧しい庵ではあるけれど、仏のおわす建物だという一応の体裁だけは揃っていた。了海は火打石を取り出すと、祭壇の百目蝋燭に灯を点じた。薄暗い室内に暖色の柔らかい光が拡がって、背後の灰色の土壁に、ほのかに何かの絵が映し出された。
見覚えのある赤い影を、健二郎は身を乗り出して、目をこらして見つめた。赤い小袖を身にまとった若い女性が、鳥篭の中で、目を伏せて空ろな表情で座っている。
「なぜ、この壁に影が映るのじゃ。これはいかなるカラクリになっておるのじゃ」
後世の人間なら、映画というものを知っている。しかし健二郎は「動く光の絵」などというものを、見たことも聞いたこともない。
「了海殿は、妖術使いか、それとも仙人か」
了海は静かに首を横に振り、健二郎の目を見つめて微笑みながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「咲殿が今いるのは、二条城の奥の間じゃ。鳥籠に閉じ込められているものの、心と体は挫けてはおらぬ」
「教えてくれ。どうすれば咲を助けることが出来る」
「あそこから抜け出すには、あのままの体では難しい。ただ、一つだけ方法がある。もう一度、カマキリの体に戻ることじゃ」
「なな、なんと」
「小さき人の姿なら、外に出ることは難しい。しかれども、カマキリならば誰にも怪しまれずに脱出することが出来るじゃろう」
「その後再び人の姿に戻れるのか」
「うまくいけば、戻れるはずじゃ」
「うまくいかぬ事もあるのか」
「拙僧の口からは断言できぬ」
「そんな事では困るのじゃ」
「それではずっと今のまま二条城の奥にいて、それでも良いと申されるのか」
「そんな事でも困るのじゃ」
「それならば、賭に出るしかないであろう。七日間、不眠不休で経を読み、灯明を灯し続けて、一心不乱に勤めれば、願いが叶うという行がある。どうなさる」
「願いが叶うとは、…」
「そう、もちろんじゃ。しかし、途中でやめれば咲殿は一生そのままカマキリ姿。いかがする、やってみる気はあるかのう」
「やりきれば、咲と必ず逢えるのか」
「やり遂げたなら、必ずや、普通の背丈の人の体になって、ここへやって来るはずじゃ」
一瞬迷った健二郎。失敗すれば後がない。だが他に、どんな手だてがあるのだろう。
「やらせて欲しい」
健二郎は深々と頭を下げた。
一番鶏が鳴く前に布団をたたんだ健二郎は、他の武士がまだ寝静まっている陣屋で身支度を整え、草鞋を結んで、昨日の庵をめざした。少し歩くと徐々に東の空が明るくなり、やがて日が昇ると坂の上の雲を朱色に染めた。
「参られたか」
昨夜は遅くまで行の準備をしていた了海だが、今朝も夜明け前に起きて健二郎を待っていた。
「今からは、武士を捨てていただく」
黙ってうなずいた健二郎は、腰の大小を床に置いた。刀を受け取った了海は隣の部屋へ持ち去ると、剃刀を持って戻って来た。
髷を落とした健二郎の頭頂部を、了海の剃刀が小さな音をたてて滑りだした。やがて坊主頭が出来上がると、墨染めの袈裟に着替えてご本尊の前に端座した。お堂の中に一筋の細い光が差しているのが妙に眩しい。
了海は真新しい百目蝋燭を二本立てると、健二郎の方へ向き直った。
「この燭台の蝋燭を七日間、灯し続けねばならぬ。短くなったら火を移し、新たな蝋燭を灯し、決して絶やしてはならぬ。火が消える時、おぬしの願いは絶ち切れる。よろしいな。それからもう一つ、七日間、決して寝てはなりませぬ。居眠りすればその瞬間、やはり成就は絶ち切れる。覚悟は良いか、中山殿」
「もろろんじゃ。死ぬ気でやってみせるわい」
こうして行の初日が始まった。了海からは、過酷な行だ、と言われていたが、健二郎が実際にやってみると、さほど辛いとも思えなかった。
その夜、蝋燭の後ろの壁には、咲の姿が映った。咲の姿を見られるだけで健二郎には力が湧いてくるような気がした。
二日目になった。まだまだ健二郎には余裕がある。行に慣れてきた分、昨日よりも楽にこなせるような気さえしてきた。
その夜、壁に映ったのは、昨夜と同じ赤い小袖を着た咲だったが、その表情には力強さが戻ってきたように見えた。
三日目になった。行が急に辛く感じられるようになった。健二郎は長い時間体を動かさないことに慣れていない。肩が凝り、背中の筋が固くなり、目の奥の神経がずきずき痛む。行の厳しさをようやく感じ始めていた。
その夜、壁に映ったのは、二条城の大広間だった。畳の上を緑色のカマキリが歩いている。カマキリの体になることで、ようやく鳥篭から脱出できた咲は、目立たないように慎重に歩を進めていた。
四日目になった。健二郎の疲労は耐え難いものになっていた。首の後ろの筋は凝り固まって痛いし、膝から下は痺れてすでに感覚がなくなっていた。絶食と不眠がこれほどまでに辛いことだとは、少し前までは思ってもみなかった。過酷な行だ、という了海の言葉は嘘ではなかった。
その夜、壁に映ったのは、人々が大勢行き交う賑やかな街の風景だった。健二郎はこの街に見覚えがあった。懐かしい五条通りの殷賑の中を、緑色のカマキリが翼を広げて懸命に羽ばたいていた。
五日目になった。髭も髪も伸びて頬もこけた健二郎は、不眠と絶食によって意識がやや亡羊としてきた。苦痛は有るはずなのだが、あまり感じなくなっていた。
その夜、壁に映ったのは、淀川を下る川舟だった。大坂へ向う乗客の荷物の上に、一匹のカマキリがとまっていた。
六日目になった。健二郎に気力が戻った。行に終わりが見えてきたことだけでなく、咲が大坂へ向う川舟に乗れたことも、健二郎を勇気づけた。あと少し、あと少しで咲に会える。すでに極限を超えた疲労の中で、健二郎は目を見開いて行に励んだ。
その夜、壁に映ったのは、浪速の天満橋だった。舟から降りる旅人の頭上を、緑色のカマキリが飛んでいる。ついにこの街に咲がやって来た。もう少しの辛抱だ。
最終日になった。なんとかここまで漕ぎ着けた健二郎は、すでに限界を超えている自分に鞭打って、必死で行を続けていた。もうすぐ咲に会えるという希望が、健二郎の気力を後押しした。
と、その時だ。
何やら外が騒がしい。金具がこすれ合う音がする。あれは鎧の草摺が触れる音だ。間違いない、鎧を着た武士が数人、こちらに近づいて来る。気が気でないが、今は行を続けるしかない。
通り過ぎてくれ、という願いもむなしく、奴らはこの庵にやって来た。
大きな音をたてて戸が破壊され、三人の足軽が泥草鞋のまま闖入して来た。いや、足軽具足を着ているだけで実際は盗賊だといっていい。
埃が一通り舞い上がった先には、錫杖を手にした老僧が、射るような眼光で盗賊を睨み付けていた。
「何をする。ここには仏様がおわす。すみやかに立ち去りなさい」
了海の気迫はとても老人とは思えない。
「くそ坊主。何か金目の物は、ねえのかよ」
東国なまりだ。徳川の威光を背に驕り昂ぶった関東の足軽は粗野で気が荒い。だが了海も負けてはいない。老僧が盗賊とやりあう声が健二郎の鼓膜に突き刺さる。了海は命を賭けてこの庵を、いや、健二郎を守っているのだ。
祭壇に向かって座している健二郎を守るように、盗賊の前に仁王立ちしている了海は、錫杖を床に突き立てながら言った。
「わしに構わず続けなさい」
了海の大きな叫びが耳を突く。健二郎は動かない。盗賊に背を向けて、ひたすら行を続けている。しかし、いったいいつまで続けていられるだろうか。了海が倒されたら後ろから斬られてしまうだろう。たとえ自分が無事だとしても、了海の命もまた危険にさらされているのだ。盗賊は三人いる、そして武器を持っている。錫杖一本持った老人が一人で立ち向かって勝てる相手ではない。
目を見開いた健二郎は、読経を止めて、すっくとその場を立ち上がった。しかしやっぱり躊躇して目を伏せ、再び座についた。声を震わせ読経を続けた。
止められない。何があっても止められない。咲のためには止められない。
(ご坊よ、許せ)
眉間に皺を寄せながら、苦渋に満ちた読経が続く。消してはならぬ灯明は、長い炎を揺らして健二郎の頬を照らし続けている。
金属のぶつかり合う耳障りな音が鳴り響いた。盗賊はついに刀を抜いたのだ。そして了海が錫杖で応戦している音だ。
了海は老人ながら強い。錫杖が刀より長いこともあって、三人の敵を相手に互角に戦っている。なによりその気迫は目から炎が出るが如くで尋常ではない。
恥ずかしい。健二郎は恥ずかしい。自分自身が恥ずかしい。八十にもならんとする老人が自分のために命を掛けて戦っていて、それをどうして見て見ぬふりを出来よう。どうして見捨てていられるのか。
読経を止めた健二郎は、立ち上がって盗賊の一人と対峙した。刀を持っていない健二郎は、徒手空拳で立ち向うしかなかった。
敵の攻撃を、一撃二撃と身をかわし、三撃目の時、柄を掴んで懐に飛び込んだ。腕力が強い健二郎は相手の動きを封じ込め、肘打ちを顔面にぶち込むと、盗賊は鼻血を出して膝から崩れ落ちた。
刀を奪った健二郎は、真っ赤な顔で咆哮しながら、残る二人を追い払った。もとより泥棒目的だ。相手が強けりゃ逃げるだけ、そんな奴らは逃げ足が早い。あっという間にいなくなった。
盗賊の姿が見えなくなると、了海のそばへ駆け寄った。
「ご坊。お怪我は」
「なあに、こんなのかすり傷」
強がりを言える了海に、健二郎はほっとして力が抜けた。
が、次の瞬間、大事な事に気が付いた。乱闘で滅茶苦茶になった祭壇が、健二郎の視界に入った。消してはならぬ蝋燭は、台座ごと倒れて炎は消え失せて、その残骸が無残に横たわっているだけだった。火種が残っていないかと、必死に調べた健二郎だったが、それは徒労だとすぐに分かって目を伏せた。
「わしのことなど構うなと、あれだけ言ったではないか」
「もう一度、やらせて欲しい」
了海は首を横に振った。
「一度願掛けしながらも、途中でやめる事あらば、仏は二度と許されぬ。残念じゃが、咲殿は二度とは人の体へ戻れない」
「目の前でご坊の命が狙われて、それでも黙って見ていろと言うのか。それが人として正しいことなのか。仏とは、それほど無慈悲なものなのか」
「正しいも、正しくないもありゃしない。やった事には結果を得、やらぬ事には得られない。ただそれだけの事なのじゃ」
「もうどうでもいいわ。これ以上生きていても意味がない」
「意味はこれから探せばいい」
「意味など要らん、無駄な事。わしは死んだも同然じゃ。この世の最後の思い出に、武士の意地だけ見せて死んでやる。所司代板倉の手の者を、討って討って、討ち取って、咲の恨みを晴らしちゃる」
目を怒らせた健二郎は袈裟を脱ぎ捨てると、来る時に着ていた武士の装束を再び身につけた。隣の部屋に保管してあった両刀を差すと、狂ったように咆哮した。
「いくさじゃ、いくさ。戦うぞ」
健二郎が叫んだその刹那、空気を切り裂く聞き慣れない音が響いた。
二人が驚いて外を見やると、上空から大きな鳥が降りてきた。いや違う。鳥ではなくてカマキリだ。なんと、人の背丈とほぼ同じ、巨大なカマキリが降りてきた。
「中山様、こんな姿でお恥ずかしい。私は咲でございます」
「よう来てくれた。嬉しいぞ。なれどそなたにこのわしは、謝らなければならぬのだ」
「何を仰せられますか。私は感謝しています。ご坊の命を救うため、私心を捨てての闘いは、徳の高い行いと尊敬いたしておりまする」
「了海と申す。中山殿の姿を見て、おせっかいを焼いておる。咲殿は、人の体に変わりかけて途中で止まってしまったが、それは拙僧が悪いのじゃ。小さいままで人の姿になりかわり、その後に大きくなるよりも、カマキリのままで先に大きくなった後に、人の姿に変るほうが旅路が楽になるものと考えて、経文の順番を入れ替えたのが、かえって仇になってしまった。本当に二人にはすまぬ事をした」
「ご坊のせいではありません。一寸娘の体では、道中危険がありまする。かつて経験した時に身に染みてそう思いました。お二人には心から感謝いたしておりまする」
咲はゆっくり頭を下げた。
「了海様にも、私の声が聞こえているとは嬉しい限り。カマキリの体になってしまった今、言葉を交わせる人間は、中山様ただ一人だと思いましたが、了海様とも言葉が交わせるとは、前世で縁があるのでしょう」
「そうであろう。不思議な縁じゃ。ところで中山殿。貴殿はこれから、どうなさる…」
「城に戻って戦うと、さっき決めたばかりだが、咲が戻って来た以上、暮らしを支えてやりたいが…」
「それでも誠によろしいのですか。こたびのいくさで手柄を立てたくはないのですか」
咲の言葉に健二郎は思わずうつむいた。
「私も共にいくさ場で、中山様とご一緒に戦いたいと存じます。こんな醜い姿では、人の女はつとまらぬ。しかれども、いくさをするなら好都合。中山様が雄々しく戦うその側で、及ばずながらも私も力になろうと思います」
「女ながらも、いくさに出るのか」
「源平のころ、木曽義仲のお側には巴御前がおりました。私は巴になりまする」
「巴御前か、それはいい。だがわしは、義仲ほどには偉くないぞ」
破顔一笑、健二郎。咲も了海も、つられて笑み返す。
「人の姿に戻れぬ以上、この両手の鎌で敵をなぎ倒し、憎っくき徳川を退治して、女の意地を見せてやる」
「なにやら楽しゅう、なってきた」
「ほんに、いくさが楽しみじゃ」
ここ何年も忘れていた意欲と笑顔を取り戻した健二郎は、目を輝かせ、背筋を伸ばして空を見た。浪速の空は晴れていた。