始めの一歩
聞き慣れた目覚まし時計の音で目が覚める。いつものように、音のする方向へと手を伸ばし、それを止めようとするが届かない。大きく体を伸ばし、ようやくそこに手を届かせた。
ぼんやりとした頭でゆっくりと身体を起き上がらせる。寒い。春とはいえ、まだまだ暖かくなるのはこれからなのだろう。
身を抱くように体を縮こませると、慣れない感触に腕が包まれる。今まではしっかりと、筋肉が付いていた訳では無いが、人並みには硬かった胸板も、今ではその面影も無く、ゆるやかな曲線を服の下から作り出していた。
そういえば、寝苦しくて外していたんだっけ。
着替えに慣れず、少々手こずりつつ、学校の制服へと着替えていく。
本当は、昨日が始業式だったけれど、俺にとっては今日が初めての登校日となる。初めて、とは言っても二年生だし、学校が変わってはいないので、学校に行くことは出来るだろう。
けれど、今自分の胸にあるのは不安。当然だ、別人として学校へ行くのだから。
友人関係も、誰と、どんな接し方をしていたのかも分からない。
お母さんから言われ、一人称を"私"にするように意識をするように。バレるバレないよりも、一から説明して理解され難いであろう事、その他面倒な事にならないようにする事。
確かに、突然中身がずっと男として育ってきた精神と入れ替わりましたなんて、早々信じてもらえるはずもない。
それ以外は、俺は俺。つまり、今の瑞希は俺なんだから自由にしなさい。そう言われた。
自分自身を演じる必要は無い、そういうことらしい。
不安は大きいけれど、それを聞いて少し、肩の荷が降りたところは確かにあった。
一度、学校へ行ってみて、どうしても耐えられなかったら休学でもして、ゆっくりと慣れていきましょう。そう言った母の顔は、寂しそうで、申し訳なさそうで、泣きそうで……俺の心に刺さるものがあった。
だから、というわけではないが、出来る限りの事は試してみようと思う。
俺が、俺として生きていくのか。俺が、瑞希として生きていくのか。
今の俺は、ここでは瑞希なんだ。
気を引き締めて、二階の自室から降りて洗面所へ向かって顔を洗い、一階のリビングへ。
「あら、瑞希おはよう。よく眠れた?」
「うん。ちょっと疲れてたのもあったから、思ったより眠れたよ」
リビングには既に朝食を用意してくれていた母の姿があった。父さん? あぁ、父さんは単身赴任で遠方に行ってる。月に一回くらいは帰ってくるのは、ここでも変わっていないようだった。
「ほら、早く食べてしまいなさい」
「はーい」
テーブルに並べられているのは、ご飯とお味噌汁と目玉焼き。昨日の晩ご飯で判明した事。瑞希は少食。かつてのお茶碗より、小振りのものによそわれた白米。時間に余裕があるので、慌てることもなく朝食を済ませる。
今日は少し早目に目覚ましを掛けていた。というのも、準備に男の時よりも時間が掛かるだろうと予測していたから。
昨日は母による女性の立ち振る舞いや、女性用品のレクチャー、簡単な化粧のやり方をみっちりと叩き込まれた。まだ不慣れなものの、なんとか合格ラインを貰ったのだ。
これからは肌の手入れにも気を配らなくてはいけない。俺にちゃんとできるだろうか……。
とにかく、今は母監修の元、自力で出来るように訓練を開始したばかりである。
………………。
いつもの登校する時間。鞄にそれっぽいキーホルダー良し、電車の定期券良し、服装身嗜み良し、お財布良し、学生証良し。スマホ良し。
しっかりと忘れ物が無いかを確認して、家を出る。
「じゃあ、いってくるね」
「いってらっしゃい。気を付けてね。何かあったらすぐに連絡しなさい」
「はーい。分かってるって。いってきまーす!」
こうして、俺は、瑞希として初めて学校へと向かうのだった。
たくさんの不安と、僅かな期待を込めて、踏み出した。
あと、外に出るとタイツを履いてるとはいえ、スカートはやっぱり恥ずかしかった。