微妙な意味合いになりがちな受身表現
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割りと無意識に使う受身表現ですが、主語の曖昧な日本語の場合、まるきり正反対の意味に捉える事もできますので注意が必要です。特に拘りがなく、別な表現が可能であるならば、そちらを用いる事も考えてみると良いかもしれません。
例えば、
Aに甘えられた
⇒Aが甘えた☞Aから甘えられた
⇒Aに甘えることができた
Aに刺されたナイフ
⇒Aが刺すのに使ったナイフ
⇒Aに刺さったナイフ
例文は多少無理矢理感もありますが、この「~に~された」という表現は特に注意が必要です。前後の文章から意味合いを正しく捉えることは可能な場合が多いのですが、その判断が後の文章に拠って為される場合には、読み難い(辛い)、分かり難い(辛い)という判断が(読者から)為される可能性もあります。
併せて長文の場合、句の位置に拠っては掛かる文が異なり、文意が正しく捉えられないこともあります。その句はどこに掛かるのか、今の文章でそれは果たして明確か?を偶には意識してみると良いでしょう。
また長文の場合、「~が、~が」とか、「~の為に、~の為に」、「~ので、~ので」というように同じ接続助詞(かな?)が連続する事があり、文意を捉えにくくする事があります。
いずれの場合も、短文で表現出来ないか?を考えると良いかもしれません。
うろ覚えですが、確か大昔(小学生の頃)に、作文の時間に、《左の様に「~に、」が連続しています。最初の「~に、」は不要ですね》文章を削るという練習か何かをしたような記憶があります。無駄な修飾語を削って、シンプルで分かり易い平易な文章を作るというような内容だったと思います。
まぁとは申せ、ブツ切りにした文章は、美しくない、という側面もあります。でも詩や短歌が美しくないという訳では決してありませんので、短文も使い方次第ですし、使い分けにも依りましょう。長文が好みだったり、書き易いという方もいらっしゃるとも思います。
また、美しい文章がベスト、な訳でもありません。美し過ぎて文が上っ面を滑ってしまい心にとどまらない事もありえます。寧ろ短文でブツ切りした方が、力強く感じる場合もあります。
美辞麗句って褒め言葉ではありませんし、甘言令色少なし仁とも言いますよね。
なんだかんだと言ってきながら、最終的には、程々に、程良く、となんとも歯切れの悪い結論になってしまいますが、時々は自分の文章を見直してみては?
と言うのが一応の結論です。
心に響く文章って……難しいものですよねぇ。<(_ _)>