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ソウルライフ~見鬼の少女と用心棒~  作者: 吉田 将
第四幕   宵闇に浮かぶ朧月
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虎の咆哮

 巨大な水塊を前に正吾は歯を食いしばって目に力を入れ、千夏とウィリアムは思わず目を瞑る。

 讃我と明日香もこれから起こるであろう惨劇を想像し、顔を背けた。

 その場にいる誰もが「もうダメだ」と諦めかけた時―――正吾は背後から冷気を纏った風が自身の頬を撫でるのに気が付いた。

 と、同時に突然目の前に氷の分厚い壁が出現し、あと一歩というところで葵の放った鉄砲水を防いだ。

 水の塊と氷の壁は接触した途端に、互いに弾けて壊れてしまったが、分散した水はその粒子までもみるみる間に凍っていき、霧となって大気に溶けてしまった。


「……た、助かった……のか?」


 地面に座り込むほどまではいかないまでも安堵感からか一気に全身の力が抜けてしまう正吾。

 対して、美優と葵は突然の出来事に驚きを隠せないでいた。


「な、なに!?」


「……ふふふ。この氷、まさか………」


 何事かと狼狽える美優と違い、葵は何か心当たりがあるのか独り呟きながら正吾達の背後を見る。

 彼らの後ろで蠢いていた蛇の大群はいつの間にか氷漬けされており、その奥の闇からは霜柱を踏みしめたような音が近付いてくる。


「全く……五十嵐といい、本当に無茶ばかりするな。お前は……」


「その声……まさか―――」


 音の主に話しかけられた正吾は振り返り、改めてその姿を見た。

 声色からよく知っている人物……だが、まさかこんな所で会うとは思ってもいなかった。


「久しぶりだな、神谷」


「虎次郎……悪い、助かったぜ」


 凍結された蛇の廊下……そこを通って現れたのは氷雨虎次郎であった。

 彼は雪の結晶を模した水色の着物に背に三日月に吠える虎が描かれた白い羽織を着込み、首には翠色の手ぬぐいをマフラーのように巻いている。

 髪は自身の白髪に少し青みが掛かっており、その上少し伸びているのか左右の髪をそれぞれ紐で束ねていた。

 そんな異様な姿の虎次郎の手には自身の身長の倍はあろうかと思われる長い棒が握られている。

 その棒の先端は矛のように鋭く尖っているが、それだけではなくその手前には横に突き出た刃のようなものが備わっている。

 中国の戦国時代などで見られるげきだ。

 正吾にとっては既に見慣れた姿……憑纏した虎次郎の姿である。


「……え、なに……え?」


 正吾に遅れて目を開けた千夏とウィリアム、顔を背けていた讃我と明日香が現れた虎次郎の姿に気付き、驚く。

 無論、周囲の者達もだ。


「氷雨……虎次郎君!」


「ふふふ……まさか、あなたまでこんな所に現れるなんてね。新霊組寅の隊、隊長……氷雨虎次郎」


 美優は虎次郎の姿を見るや憎悪の眼差しを向け、葵はいつものように妖しく笑う。しかし、その顔はどこか引き攣っているようにも見えた。


「新霊組の盾……まさかこんな大物が来るなんてね」


「虎穴に入らずんば虎子を得ず……裁司なんて大物がいるんだ。こちらも相応の対応をもって接するのが礼儀だろう?」


 葵の言葉を軽く受けながら虎次郎は正吾達の前へと出てくる。

 そして、力が半ば尽きかけている讃我と明日香へ労うようにして声を掛けた。


「……ここまでの助力ありがとうございました。あとは俺に任せて下さい」


「だ、だが……まだ町の中には蛇が……」


「安心して下さい。町にいる蛇達は全て凍らせました。他の寺院も無事です」


 虎次郎の言葉を聞いてその場にいる一同に激震が走った。

 特に葵に至っては最も顕著にそれが表情にまで現れていた。


「ふふふ……そんな、まさか……どうやって?」


「無論、元となっている核は除去していないが……町中にいる蛇達は全て処理した。流石に一つ一つの寺院を巡るのは骨が折れたが……月見里を探しながらだったからまぁ良しとしよう」


「ふふふ……でも、その元を断っていないならいくらやっても無駄―――」


「だから、ここで孔雀明王の真言を唱えてもらっていた。そして他の寺院でも……それによりこの上倉町に強固な長物避けの結界が出来た。ここだけじゃなく、他も潰さない限り……この町には一匹も入ることは出来ない」


 虎次郎の言葉を聞き、葵は笑みを浮かべたまま歯軋りをする。

 人々の体外から出た蛇は一旦町の外へと追い出されたが、それでもまだ町中には朧や葵が予め仕込んでいた蛇がいた。

 スレンダーマンの力を使い、影から蛇達を供給していたのである。

 しかし、美優が讃我や明日香達と戦っている最中、その供給は突如として止まった。

 それはスレンダーマンの身に何かが起こったということである。

 スレンダーマンが春輝によって倒された……その事実を朧一派は知らない。

 無論、それは讃我達や正吾達も知らないが虎次郎だけは何となく分かっていた。

 恐らく、燐か春輝が倒したのだろう……そのどちらかまでは彼も分からなかったが、大体の予想はついている。

 燐が向かった後に春輝も向かったのだ。

 いくら朧とはいえ、二人を相手にするには少々面倒だろう。そうなると、必然的に後詰の何者のかが進行を妨害しなくてはならない。

 色々と口上を述べて春輝を行かせたのは正解だった。

 そうなると、今度は自身が務めを果たす番だ。


「ふふふ……やられたわね。でも、流石に姫様がこっちにいるのは予想出来なかったでしょ?」


「あぁ。だが、お前達が五十嵐と月見里に何らかのちょっかいを出していたから、こうなるんじゃないかと薄々感じてはいた。……信じたくない最悪な結果ではあったがな」


 葵に代わって今度は虎次郎が悔しそうに歯を強く噛み締める。

 やはり嫌な予感は的中した。

 春輝から雨の夜での邂逅の話しを聞いてから、こんな状況になるのではないかと予感はしていた。

 けれども、まだ間に合う。

 まだ虎次郎が本当に描いていた最悪な結果にはなっていない。

 彼が思う最悪な結果。それは―――


「氷雨君が悪いんだよ。あなたがこの町に来たからこうなったの……」


 ふと、悪い未来を頭の中で映像にしかけたところで虎次郎は美優の冷たい言葉で現実に戻された。

 最初にあった頃に比べて短い期間であったものの、顔は少しやつれて目には鋭い光が宿っている。

 敵を射抜く矢のような、仇敵を討つ憎しみの込もった目だ。


「あなたがアタシ達の前に現れなければ、春輝君もアタシもこんなに思い詰めることはなかった……」


「……そうだな」


「あなたの存在が! アタシ達の関係を引き裂いた!」


「ちょっと、美優! そんなこと―――」


 千夏が美優の言葉に対して反論しようとするも虎次郎は前を向いたまま片手を広げて彼女を制する。


「……そうだな。俺の事情があったとはいえ、お前達に何も知らせず誤解を与えてしまったことについては申し訳なかったと思っている。すまなかった」


「だったら! 早くアタシの前から消えて!」


「それは出来ない」


 今まで一呼吸おいてから言葉を繰り出していた虎次郎は急に壁を出したかのように間髪入れずに反論した。

 それを受けて今度は美優の方が思わず口を噤んで怯む。


「俺がここを離れたらお前はそこにいる人形風情とこの場にいる人達を蹂躙するだろう? そして、その次はこの町に住む人間か五十嵐の元に行くのか……それは分からない。だが、そんな蛮行を見過ごしていられるほど俺も冷徹にはなれないのでな」


「そう……そうなんだ……結局は邪魔をしたいんだ」


「お前と五十嵐の間に踏み込むような野暮なことはしたくないさ。だが、以前会った時のお前ならともかく今のお前には五十嵐に会う資格は無い! そんな自身の欲望に呑まれ、邪な力に身を堕とした変わり果てた姿……きっと五十嵐が見たら今度こそあいつは自分を責め、立ち直れなくなる。今は五十嵐が立ち直れるかどうかの瀬戸際だ。もし、あいつを本当に想っているのならばその姿での面会は控えてもらおうか?」


「何を言ってるの? 今のこのアタシならきっと春輝君の力になれる! もう守ってもらえるだけじゃない! あの人の傍にいられるの! ……そうだ。いっそのこと氷雨君を倒して、あなたの首を五十嵐君に持っていけば……あたしが強くなったことを証明出来る」


 その場にいる者達は明るく名案とばかりに言った美優の言葉を聞いて心の底から冷えていくのを感じた。

 何を言っているのか、狂っているのではないか……そう思った。

 ただ一人……虎次郎を除いて。


「俺を倒す、か……」


 口元を緩め「フッ」と軽く笑う。

 言われた当の本人は恐れるどころか、どこか楽しそうにおかしげに笑みをこぼした。


「良いだろう。俺を倒したら首でも眼球でも好きなものを土産として持っていくといい。もしかしたら褒めてくれるかもしれないぞ?」


「ッ……! 馬鹿にして……」


「いや、馬鹿になどしていない。出来るのならそうしてくれ。……出来るなら、の話しだがな」


 その瞬間、虎次郎の目が変わった。

 今までは冷徹さこそ目で見せていたもののまだ温かみのある雰囲気を持っていた。

 だが、それすらも無くなり目には明らかな殺気が宿って纏う雰囲気は極寒の吹雪を連想させるかのような冷たさが混じっている。

 讃我と明日香はそれを見た瞬間に全身に鳥肌が立ち、勝手に身体が震えだす。

 葵と初めて対峙した時とは比べ物にならなかった。


「ふふふ……お姫様、隊長さんにあなたの力見せてあげましょう? 巫女姫の力と悪魔の力……それがどのようなものなのか……」


「ぜひ、見せてくれ。ただ一つお前達に忠告しておく。……力とはどれほど強大なものでも修練と研鑽を積んで磨かなければ発揮出来ないものだ。そんな一朝一夕の付け焼き刃如きで俺に一矢報いようだなんて思うな」


 虎次郎は手に持っている戟を構え、辺りに響くように美優達に向かって声を張り上げた。


「新霊組、氷雨虎次郎……親友の為、今この牙をお前達に向ける!」

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