術者の戦い
「行きますよ。明日香さん、不動さん」
美優はそう言って手を動かし、印を組み始めた。
その動きに対して明日香と讃我は警戒する。
「オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ!」
親指と小指を合わせたような手印を作り、毘沙門天の真言を唱える美優。
それは先程、讃我が無数の錫杖を出して葵を攻撃した真言だ。
攻撃方法は分かっている……そう思っていた讃我であったが、美優の背後の空間から出てきた錫杖は全てが鋭利な先端となっており、紫がかっている。しかも、明らかに讃我の出した錫杖よりも多い。
「マジか!? おれより強いんじゃねぇのか!?」
(あんなのを放たれたら皆を守り切ることが出来ない!)
焦る讃我とは違い、明日香は周りにいる僧侶達を見た後、すぐさま目を閉じて精神を集中する。
そんな彼らに対し、美優は冷徹に言い放った。
「行け」
美優の号令に合わせて禍々しい錫杖の雨が辺りへ向かって降り注ぐ。
殺傷能力と威力を高めているのは見ていて明らかであった。
「チッ……これは防ぎきれるか?」
舌打ちをしつつ淡い黄色のソウルライフの膜を身に纏いながら、讃我は片手で中指と人差し指を擦るような手印を作る。
そんな彼よりも早く、明日香は言霊を唱えた。
「南斗、北斗、三台、玉女、左青龍避万平、右白虎避不祥、前朱雀避口舌、後玄武避万鬼、前後扶翼、急急如律令!」
素早く禹歩立留呪を唱えきると同時に明日香の頭上に気で化身した霊獣、青龍、朱雀、白虎、玄武、黄竜がそれぞれ現れ、青龍は僧侶達に……玄武は神職達に……黄竜は讃我と明日香を無数の錫杖から守る。そして、朱雀は何とか僧侶達が直した護摩壇に聖火を灯し、残る白虎は美優に向かって襲い掛かった。
「ごめんなさい、月見里さん」
謝罪の言葉を呟く明日香。
そんな彼女の式神は斬り裂かんと鋭い爪を持つ腕を振り上げ、美優を襲おうとする。
だが、そんな白虎に対し美優は制止させるかのように片手を向けた。
「……ネアックター・ソムランの力もて、白き虎の霊獣は我が意をくみ、我に力を貸さん」
右目を囲う“666”の数字と左手薬指にはめられたヤギの指輪が紫色に妖しく輝きを放つ。
すると、美優に襲い掛かろうとしていた白虎の動きが止まり、その振り上げた腕は静かに下ろされる。
「な、なに?」
突然動きを止めた白虎に困惑する明日香だが、しばらく静止していた白虎はやがて美優に背を向け、明日香達に向き直る。
その目は紫色に染まり、牙は剥き出しとなって口からは涎が雨垂れのように滴り落ちている。
そして、白虎は「ウガァァァァーッ!!」と大きな咆哮を放った後、明日香達に向かって襲い掛かって来た。
「どうして!?」
混乱する明日香に代わり、彼女達を守っていた黄竜が白虎の前に出てすぐさま押し倒す。
霊獣の王ともいえる応竜を自身の守りに使ったのは正解だったが、それでもなぜ白虎が反旗を翻したのか明日香には分からない。
だが、明日香が分からないのも無理はなかった。
美優が唱えたのは“ネアックター・ソムランの呪術”と呼ばれるカンボジアの術式である。
ネアックターとはカンボジアで樹木などに棲んでいると信じられている精霊のことでまたの名を“友情の精霊”ともいう。
この術式はその精霊によって相手を自陣営へと引き込む行動と精神支配のような術式だ。
本来ならば道具と手順が決まっている。
つまり、白虎は美優に引き込まれ支配されたといっても過言では無かった。
そんなことを知らない明日香は狼狽える。
そんな彼女の隙を突き、今度は美優が仕掛けた。
美優は明日香に向かって人差し指と薬指を折り曲げて両手を合わせる。
「オン・アミリト・ドハンバ・ウン・ハッタ・ソワカ!」
真言を唱えると同時に美優に背に紫色に輝く八つの光背が出現し、そこから紫色の火球が幾つも放たれた。
「させるかよ! オン・インドラヤ・ソワカ!」
だが、明日香の前に先程、帝釈天の手印を作っていた讃我が守るようにして入り、薄い膜が張られたドームのようなものを展開して火球を弾いた。
弾かれた火球は朱雀がその身を挺して受け止め、取り込む。
「あ、ありがとう讃我」
「こっちこそ、お陰で助かった。さぁ、反撃といこうぜ!」
讃我の声に頷いた明日香は頭上を飛び回る朱雀に向かって手を挙げる。
すると朱雀はその合図に合わせて、体から無数の火の粉を鱗粉のように放出させる。
やがて、放出した火の粉は次第に一つとなり、巨大な火球を形成した。
「お返しよ! 月見里さん!」
そう言うと明日香は上げていた手を一気に振り下ろした。
同時に朱雀は巨大な火球を美優に向かって放つ。
それに対し、美優は再び全ての指を交差させた手印を作る。
(あれは金剛合掌の印? それとも天乃咲手の印?)
先程の衝撃が来るのか? それとも火球を打ち消してくるのか?
そう思案した途端に火球と美優の間に何かが割って入ってきた。
「ふふふ……憑術、水障陣」
葵だ。
彼女は再生しきったのか、見るに堪えない姿から以前の少女の姿に戻っていた。
そうして、憑術を唱えて地面に両手を置くと共に彼女と美優を囲むように円状の水の壁が噴き出す。
吹き出した水の壁は巨大な火球を防ぎ、そこから発生した蒸気が白い霧のように辺りに立ち込める。
(くっ……これじゃあ視界が―――)
「オン・ロケイ・ジンバラ・キリク!」
対策を練ろうと頭を巡らせる前に蒸気の霧の中から美優の声が聞こえる。
その瞬間、蒸気を掻き消す烈風の衝撃と共に明日香達に向かって水の壁が津波のように迫ってきた。
「トホカミエミタメ!」
明日香は咄嗟に天津祓を唱えながら片手を出して、津波を止めると美優達に向かって押し返す。
それを見ていた美優は同じように片手を前に出して唱えた。
「トホカミエミタメ」
津波は美優と明日香の前に止まり、しばらく揺れ動く。
一見すると水が静止しているように見えるが、その裏では明日香と美優が互いに水を押し戻そうとせめぎ合っている。
術者の技量の戦いだ。
「くっ……(強い!)」
明日香は片手から両手を使い、水を押し戻そうとするが水はビクとも動かない。
そんな最中、美優は両手は使わず、空いている手で指を鳴らした。
途端に水がその場で弾ける。
「えっ?」
その突然の出来事に明日香は一瞬面食らうが、美優は逆にすぐさま両手をその弾けた水に向けた。
「トホカミエミタメ!」
力強く再度天津祓を唱える。
すると弾けた水は雨あられの如く明日香と讃我を襲った。
「きゃあぁぁぁ!!」
「ぐあぁぁぁぁ!!」
水の弾丸を受けた讃我と明日香は倒れ込む。
術者の勝負は美優に軍配が上がった。
巫女姫としての力が強い……というわけではない。
明日香が力を一点にして押し返そうとする動きに対し、美優はそれを分散させて押し返した。
力の使い方が勝敗を分けたのだ。
「くっ……う……」
膝をつきながらも明日香は立ち上がる。
だが、同時に霊獣達の姿が次第に消え掛かる。
数々の術の使用と疲弊により、ソウルライフもだいぶ使っていた。
「明日香……まだ動けるか?」
「え、えぇ……まだ……大丈……!」
そう言い掛け、明日香は地面に倒れ込む。
内からも外からももう限界が近付いていた。
「明日香!」
そう叫ぶ讃我も明日香ほど戦いで真言は唱えていないが、疲弊していた。
というのも彼は上倉町から蛇を追い出す為にずっと孔雀明王の真言を唱え続けていた。
身の疲弊よりも内なる力の消耗は明日香より激しかった。
「く……くっそ……」
「ふふふ……流石にお姫様が相手じゃ分が悪かったみたいね」
葵は讃我と明日香の有様を見て勝ち誇ったように微笑む。
その身体にはもう傷はすっかり消え去っている。
まるで讃我達の今までの苦労が無意味だったかのように嘲笑っているかのような光景であった。
二人は悔しそうに葵を睨みつける。
そんな二人に美優はとどめを刺すべく近付こうとする。
だが、その際にある声が彼女の動きを止めた。
「美優! 何してんの!?」
寺の境内に少女の声が響く。
見ると寺の門の前に千夏と正吾とウィリアムが立っていた。
一体、どうやって門の所にいる蛇の群れを切り抜いたのか、と明日香は思ったが正吾が蛇に向かって拳銃を放っている所を見て得心した。
「オゥ……コレハ……!」
「いないと思ったら……美優ちゃん! こんなところで何やってんだ! 皆、心配してたんだぞ!」
言葉を失うウィリアムと声を張り上げる正吾。
だが、そんな彼らの姿を見た美優の反応は素っ気ないものだった。
「次から次へと……どうして皆、アタシの邪魔ばかりするの?」
「美……優……? どうしちゃったの!? 何を言ってるの!?」
「千夏……正吾さん……どうして……どうして! なんであなた達までアタシの邪魔をするの!? そんなに春輝君からアタシを引き離したいの!?」
「お、おい……美優ちゃん……一体、何を言ってるんだ?」
急にヒステリックになる美優に千夏と正吾は困惑する。
だが、美優はそんな二人の方へ向き直り、髪を掻き乱して叫んだ。
「皆……みんな! みんな! アタシの邪魔ばっかりして! 本当に目障り! もう消えて! もうアタシの前からいなくなって!」
「ふふふ……大丈夫よ、お姫様。あんな人達……葵が代わりに消してあげるから」
葵はそう言うと千夏達に向かって歩き出す。
それを見た正吾は拳銃の銃口を向け、葵へと何発も弾を放つが全く当たる様子が無い。
「ふふふ……そんな豆鉄砲、カラクリが分かればどうってことないわ」
「……クソッ!」
葵の言葉にムキになり、なおも銃を撃とうとするも弾数が尽きてしまったのか、いくら引き金を引いても銃は火を吹かない。
それを見た葵はニヤリと笑みを浮かべ、頬を膨らませる。
「憑術、鉄砲水」
そう言って正吾達に向かって巨大な水の塊を口から吐き出した。
「千夏ちゃん! ウィリアムさん! 逃げろ!」
打つ手が無くなった正吾はせめて二人の盾になろうと前に出るが後方にある筈の道は既に蛇の大群により埋め尽くされてしまった。
逃げ場を失い、万策尽きた正吾達の目の前に水の塊が迫ってきていた。