変化の証
神職、僧侶……その場にいる者達全員の視線を一挙に浴びながらも葵は意に介さず、寧ろ楽しそうに一同を眺めた。
青白い生気の無い肌に不気味な笑顔が人々の心に宿る恐怖心を一層に煽る。
そんな状況の中、葵の背後の闇が蠢く。
夜の闇だけではない何かがいる……人々が目を凝らしてよく見るとその闇には妖しげな光が幾つも瞬いている。
更に暗闇に目が慣れてきた頃、一部の者達はその正体に気が付き、声にならない悲鳴を上げた。
その暗闇に蠢くモノは……蛇だ。
黒い無数の蛇達の眼球が護摩壇の灯火に反射して煌めいているのだ。
その有様はまるで星空……と言いたいところだが、そんなロマンチックなものではない。
「なんだ、あの数の蛇は!? 町から追い出した筈じゃ―――」
「ふふふ……追い出されたわ。でも、この子達はどこからでもすぐに這い寄ることが出来る。さっき、あなたが邪魔な僧侶達を薙ぎ倒して、真言を中断させてくれたお陰でね」
「ッ……!」
鉄砲水を受けた明日香は護摩祈祷をしている僧侶達を不本意ながら薙ぎ倒している。
それによって祈祷が中断され、ここまで蛇達は来ることが出来たという。
自らの失態に明日香は唇を噛んで悔しさを滲ませるが、そんな彼女を讃我が庇った。
「気にすんな。お前が間に入ってくれたお陰で護摩壇の火は消えずに済んだんだ。あの蛇なんてまた真言を唱えて追い返せば良い。護摩壇の火が消えちまったらそれこそ終わりだった……」
讃我の言葉に笑みを浮かべていた葵はそれを消し、能面のような顔を差し向ける。
事実、讃我の言った通り、葵は護摩壇を消し飛ばすつもりで鉄砲水を放った。
万が一、防がれたとしても良いように二発も。
だが、その思惑は明日香によって防がれてしまった。
しかもこともあろうに庇った明日香は生きている。
目標を仕留めきれず、邪魔立てされ、しかもソウルライフまで使うという計算外なことばかりに葵は笑みこそは浮かべていたものの、内心で苛立っていた。
そして、更に葵の苛立ちを加速させるものがあった。
それは他の人間達の対応である。
蛇の大群に悲鳴を上げ、怯んでいたものの神職の者達は蛇討伐に動き出し、僧侶達は真言を唱え始める。
讃我の父親に至っては明日香によって、他の僧侶達の祈祷が中断されたにも関わらずただ独りだけ祈祷をやめず、唱え続けている。
そのせいで蛇達は勝善寺に入ることは出来なかった。
しかも、この寺だけが祈祷を行っているのならまだしも町の他の寺院まで同じ孔雀明王の真言を唱えている為、蛇達は勝善寺に近付くことは出来てもかなり弱体化していた。
ほんのこの前まで葵が単独で襲撃した時には慌てふためいていた者達が迅速な行動を起こしている。
これは彼らだけで行えることでは無い。
「ふふふ……誰かに教えてもらったのかしら?」
能面のような顔から再び笑みを作る葵であったが、讃我はそんなことには臆しない。
「誰もいねぇよ。この前来たばっかりなんだ、対応練るのは当たり前だろうが」
「ふふふ……嘘ばっかり。葵は知っているんだから……裏に憑霊使いがいることを……嘘つきには罰として針千本……いえ、槍千本お見舞いしないとね」
葵はそう言うと自身の前で両手を広げる。
それを見た讃我は自身の父親に向かって叫んだ。
「親父! 悪いが、おれはこっちで明日香と一緒に戦う!」
「あぁ! しっかりやれよ!」
讃我の父親は短くそれだけ応えるとすぐに祈祷を再開する。
そして、そんな父親の許可を得た讃我は今度は代わりに明日香を守るよう立ち塞がる。
本来ならば讃我は護摩祈祷に集中し、明日香が彼を守る役割……けれど、葵の攻撃から助かったとはいえ激痛を受けている明日香の痛みがすぐに和らぐわけではない。
この状態で前線で戦うのは困難だ。
ここは交代で戦うしか無い。
今は押しつ押されつの緊迫した状態ではあるが、ここで葵を倒すことが出来れば流れは一気にこちらへ傾く。
「憑術、激流葬槍・千槍」
葵の両手から幾つも水で出来た槍が生成される。
これもまた前回の神社での戦いの際に見たものだ。
あの時、讃我はこの憑術を受け、膝をついてしまった。
これくらい簡単に打破しなければ先へは進むことは出来ない。
「オン・ベイシラ―――」
讃我は真言を唱えながら親指と小指を合わせたような手印を組む。
怨敵退散の毘沙門天の真言だ。
だが、それを唱えている最中……讃我の真言、手印を組む動きが止まる。
果たして、これで良いのか? と頭の中に一抹の疑問が残る。
前回と同じ……確かにあの時と比べて体力にもまだ余裕があるし、ソウルライフも習得した。
しかし、そんな以前をぎりぎり超えるような力の出し方では駄目なのでは?
どうせ、超えるならば大きく超えたい。
「……オン・ベイシラ・インドラヤ・マンダラヤ・ソワカ!」
途中まで組んでいた手印と真言を放り捨て、讃我は新たに真言と手印を組み直した。
ベースである毘沙門天の真言は変えず、そこに帝釈天の真言と手印を加える。
それを見た葵は驚いたのか、目を見開いた。
讃我の背後の空間から光り輝く錫杖が幾つも現れる。
そして、その錫杖には全て聖なる雷が纏わりついていた。
「ふふふ……多重詠唱……これはマズい」
「行けぇ!」
讃我の掛け声と共に現れた錫杖は一斉に葵目掛けて飛んでいく。
その本数はソウルライフを加えて唱えた真言の為か、葵の水の槍よりも多く、更には雷も纏っている為か、かなり早く飛んでいく。
己の出した水の槍をいとも容易く貫く有様を見て、葵は思わず後方へ跳躍して錫杖を避ける。
その行動は讃我の攻撃を脅威と認識した瞬間でもあった。
後方へ大きく跳躍して、間隔を空けた後に境内を走り回る葵。
その動きは忍者のように素早い。
けれど、錫杖はまだ彼女を追って飛んでいく。
そうして、飛んでいった錫杖の一本はついに葵の太ももを貫いた。
「ッ!?」
貫かれたことによりバランスを崩す葵。
その一瞬の隙を突いて、他の錫杖が集中砲火の如く飛んでいく。
砂煙を上げて葵のいる位置へ飛んでいく錫杖を見る限り、葵はその場から動けないでいるらしい。
「どうだ!」
その様子を見た讃我はガッツポーズを作り、明日香は静かに見守る。
やがて錫杖が消え、しばらく経った後……砂煙が晴れてその中の様子が露わになった。
「ふふふ……油断しちゃった。でも、面白いから良いわ」
「なっ!?」
「そ、そんな……!」
砂煙の中から現れた葵を見て讃我と明日香はそれぞれ言葉を失う。
葵は無数の錫杖を受け、貫かれた為なのか……顔からは眼球が飛び出て、片方の耳は削がれ、腕は一本失い、もう一本はあらぬ方向へ折れ曲がっている。足はまだ健在ではあるものの左足は引きずっている状態で着物と髪はボロボロになっていた。
しかし、そんな彼女の身体からは血が出ていない。
それでも、不気味な笑みを絶やさずぎこちなく動く様子からは壊れた人形を連想させる。
この姿には流石の讃我も息を呑んだ。
普通なら、こんな状態になったらまず動けない。
それでも笑みを作ってまだ動く以上は狂気の沙汰と言わざる負えない。
「ふふふ……どうしたの? ねぇ、もっと遊んでよ。ねぇ、ねぇ、ねぇ」
「も、もうお前は動けない筈だ! とっととここから失せろ!」
「ふふふ……何言ってるの? 葵はまだ動けるよ。ほら」
そう言うと葵は折れ曲がった腕をぶらぶらと振って笑う。
もはや、見ている讃我達の方が目を背けたくなる。
「もうやめて! そんな痛みを我慢して戦っても―――」
「ふふふ……痛み? そんなの無いよ? 葵達はねぇ……お人形なの。身体の痛みも心の痛みも何も無いの。何も感じないの。お人形は……喜ばせる為に存在する。踊る為に存在する。玩具になる為に存在する。でもね、生き人形は違う。それだけじゃない。葵達はそれ以外にも踊らせる為に存在する。玩具にさせる為に存在する。ねぇ……だからもっと遊んで。もっと踊って。葵ももっと遊んであげるし、踊ってあげるから」
痩せ我慢では無い。
葵は本当にまだ動けるのだ。
その執念深い異常な行動に讃我と明日香は思わず後ずさった。
今なら彼らにも分かる。
どうして新霊組の人間が生き人形によって数多く殺されたのかを……こんなモノを相手にしていたら心なんて保てない。それに生き人形は自身の依代に使われている生身の人間の身体の部位を取り替えることによって復活出来るのだ。
そんなモノ、とてもじゃないが長時間相手に出来ない。
一体、どうすればこの戦いは終わるのか?
傍から見ればもう腕はめちゃくちゃで眼球は糸のようなもので繋がれ、飛び出ている。
やはり長期戦は禁物。短期で身体全体を攻撃出来るものでなければならない。
「ッ……じゃあ、さっさと終わらせてやるよ! オン・クロダナウ・ウン・ジャク!」
讃我は叫ぶと烏枢沙摩明王の真言を唱え、手から灼熱の波を葵に向かって放つ。
この炎の波なら葵の身体全体を焼き尽くすことが出来る。
痛みがようやく和らぎ、まともに身体を動かせるようになった明日香はそれを見て四枚の護符を取り出し、葵に向かって投げた。
護符は葵を完全に閉じ込め、灼熱の波による周囲の被害を防ぐように彼女の背後に展開し結界を張る。
葵は身体中がボロボロ……腕ももう使えない状態。
確実に仕留めるのはこれしか無い。
「ふふふ……」
不気味な呟きをする葵の姿を不浄を焼き尽くす灼熱の波は一瞬にして呑み込んでいった。