結ばれる因縁
陽炎講師による図書館缶詰授業は勉強が苦手な燐にとってはまさに地獄とも云えるものであった。
これならば退屈ではあったもののまだ野外に出られる分、膜張りの修行の方がマシだった、と思える程であった。
しかも陽炎は「動いていないから」という理由で休憩というものを与えなかった。
あの虎次郎ですら休憩は与えた。寧ろ、休むことを重視していた程だったのに、この憑霊は勉強に関しては自身の主に厳しかった。
陽炎にとっては早く燐の望みを叶えたい、という愛情からくる行為だったが、燐本人にとってはこれは愛憎の念が混じっているのでは、と感じたに違いない。
その証拠に図書館閉館の18時になって、ようやく勉獄(勉強地獄)から解放された燐はフラストレーションいっぱい、不満爆発寸前の膨れっ面で天倉神社への道を歩いていた。
「お、おい……なんであんなに怒ってんだ?」
事情を知らない煙々羅が陽炎へそっと尋ねる。
「うーん……何か思う所でもあるのかな?」
(いや、十中八九お前が原因だろ!?)
心の中でツッコミを入れる煙々羅は燐の様子を伺う。
この会話は恐らく彼女にも聞こえているだろうが、会話に加わってこない辺り、よほど怒っているのだろう。
さて、どうしたものか……そう思いながら煙々羅が何気なく、宙高く飛んで辺りを伺うと彼の目にあるものが入り込んできた。
「ん? あれって……」
「どうかした? 煙々羅」
宙に漂い、一点を見つめる煙々羅に気付いたのか陽炎が彼に尋ねる。
燐もその言葉を聞いて立ち止まり、煙々羅を見る。
「あっ、いや……なんか変なのがいるな、と思ってな」
「変なの?」
「あぁ。でも別になんてこと無い。憑霊ののっぺらぼうだ。だけどよぉ、スーツをいっちょ前に着てるなんて気取り過ぎてるが……」
「スーツを着た……のっぺらぼう?」
スーツ姿ののっぺらぼう……煙々羅の言葉に陽炎と燐は同時に声を上げた。
その特徴に合致する憑霊を双方はよく知っている。
そして、その憑霊は朧にとって腹心ともいえる従者だ。
「煙々羅! その憑霊は今、どこにいる!?」
「え、えぇッ!? どうしたんだ、急に……」
「良いから、案内して!」
「わ、分かった! こっちだ」
燐に急かされ、煙々羅は何がなんだか分からないまま先導を始める。
燐は朧と一緒にいたスレンダーマンを……陽炎はそのスレンダーマンと戦っていた為、よく分かっているが煙々羅はだけはその戦っている間に燐が病院で閉じ込められていた部屋に先回りしていた為、知らないのだ。
それにのっぺらぼうは日本でもよく知られている通り、別に不思議な憑霊ではない。服だって現代風にすれば別に道理は通る。
その為、彼にはなぜのっぺらぼう一体にここまで必死になるのかが分からなかった。
「燐ちゃん、もしスレンダーマンだった場合は春輝のお兄さんへ電話しよう」
「でも、移動しながらじゃバレちゃうよ?」
「一回で大丈夫だよ。燐ちゃんの携帯にはGPSがあるでしょ? それを使ってあとは産女さんを介して場所を春輝のお兄さんに伝えてもらおう」
「なるほど!」
神社への帰路の途中だが、春輝達へ報告している間に見失うかも知れない。
燐は携帯電話を取り出し、先に産女に事情を伝える為、電話を掛ける。
その間に陽炎は煙々羅を目で追いながら、燐の手を引いて誘導を始めた。
――――――【1】――――――
「フッフッフ……今日は良い物が手に入りました」
不気味に独り言を呟きながら歩くスレンダーマンの少し後ろを燐と陽炎が、その上空からは煙々羅が監視するように後を付けている。
初め、煙々羅から報告を受けた彼を見つけた陽炎は慎重に様子を伺っていた。
もしかしたら、本当に煙々羅の言った通り、ただののっぺらぼうがスーツを着ただけかも知れなかったからだ。
だが、その心配はすぐに終わる。
その理由は彼が持っていた紙袋。その中から燐が“幼兵戦隊ロリコンジャー”のフィギュアのパッケージを見つけたからだ。
それは日曜日の夜によく燐が見ているアニメで五人の少女達が変身して悪を討つ、という内容であったが陽炎は興味が無いのであまり詳しくは知らない。
だが、燐は聞いていた。スレンダーマンが彼女に初めて声を掛けた時に彼が言った「ロリこんばんは」……これはアニメの冒頭の挨拶でキャラが必ず言うセリフだ。
すなわち、特異なアニメを見るスーツ姿ののっぺらぼう……はスレンダーマンと確定するには十分過ぎるくらいの特徴であった。
因みに紙袋からもう一つ……“ロリ魂”と書かれたTシャツも見えたが、燐曰くそれはロリコンジャーのプレミアムフィギュアを購入した際に付いてくる限定特典らしい。
もう色々と頭が痛くなってきた陽炎だが、取り敢えず件の憑霊がスレンダーマンと確定しただけでも十分だった。
そうして、燐達は暗い道を変態のストーカーというよく分からない状態で尾行していた。
もう日は沈み、すっかり夜となっている。
携帯電話のディスプレイを見ると時刻は19時……もう一時間程経とうとしていた。
「お兄ちゃん達には伝えられたけど……大丈夫かな?」
「……色々と準備はあるだろうから、少しは遅くなるとは思うよ」
春輝へ電話で伝えたのは今からおよそ30分程前だ。
その間、寺社との連携や真言を大規模に唱える準備など色々あるだろうが、それよりも陽炎は一つ懸念していることがあった。
それはスレンダーマンの歩いている場所である。
段々と町の外れ……郊外の山の中に入っていく。
辺りは暗くよく分からないが、道が整備されている辺り、獣道では無いだろう。
そうなると、歩いている先は春輝達が無数の蛇の群れと交戦した自然公園……そして、その先にある一番怪しい場所で虎次郎が目を付けていた場所。
(上原ダム……もしかしたら戦うことも覚悟しないと……)
上空にいる煙々羅へ目を向ける。
彼もまた、何かを感じたのかゆっくりと降りてきて陽炎へ耳打ちする。
「……陽炎。ここからすぐに明かりの点いた公園みたいな場所とその先にかなり拓けた場所があるぜ。しかも心無しか風も涼しく、水気を含んだ湿ったものになってきてやがる」
「やっぱり、上原ダム……」
「どうする? ここは一度撤退するか?」
「そうしたいのは山々なんだけどね……燐ちゃんが素直に聞いてくれるだろうか……」
そう呟いた途端、突然前を歩いていた燐の足が止まる。
陽炎達も動きを止め、スレンダーマンを見る。
スレンダーマンは自然公園の外灯の下で独り立ち止まっていた。
誰かを待っているのだろうか? そう思った矢先、突然スレンダーマンが黒い球体の塊となってもの凄い速さで公園の先の闇へと溶けていった。
「あっ! 待て!」
「ダメだ! 燐ちゃん!」
それを見た燐は逃すまい、と明かりの無い公園の先へとスレンダーマンを追い掛ける。
陽炎はそれを見て慌てて走り出す。
「オイオイオイ! これ、マズい状況じゃねぇか!?」
「あぁ! しまった、クソ! ハメられた!」
悪態を吐く陽炎は頭の中を思考で巡らせる。
尾行がバレた。それも失敗だが、一番の要因は燐を止められなかったことだ。
姿を見失えば、燐は絶対に追い掛ける。
道が一つしか無いのだから当然だろう。
だが、それこそが罠だ。
この先はダム……そんな袋小路にわざわざ逃げ出す必要は無い。
それならば戦ってでも、強行突破してでもまだ逃げ場が多い町の方へ逃げる筈なのだ。
それこそ、戻ったりすれば燐達はまず見つからないように隠れてやり過ごすのでいくらでも逃げられる。
それなのに、気付いて先に進んだ。
おびき寄せられている……恐らく、この先の展開を考えるならば一方通行であるダムの天端で燐を挟み撃ちにして闇討ちだろう。
なんとしてでもダムの入り口で燐を止めなければならない。
しかし、燐の足は速く、陽炎の思惑は虚しく消えて彼女はダムの天端内に入ってしまった。
「クッ!」
もはや考えている余裕も無い。
陽炎は人間の姿から黒猫の姿へ変えると四足をフル稼働させて燐の背に追い付く。
すると、同時に天端の側面……湖面のある方から何かが迫ってくる気配を強く感じた。
「危ない!」
燐の背目掛けて飛びかかった陽炎は即座に人間の姿に変えるとそのまま彼女を倒す。
その瞬間、湖面のある方から何か巨大な長いモノが出現し、もの凄い勢いでさっきまで燐の居た場所を通過した。
「か、陽炎!?」
燐は何がなんだか分からずに困惑するが、そんな彼女には何も答えず、陽炎は夜の闇に響くよう声を張り上げて叫んだ。
「出てこい! せっかく追い詰められてやったんだ! 姑息な手なんて使わずに堂々と姿を現せ!」
「あら、随分と威勢が良いわね」
すると、そんな陽炎に応えるかのようにコツコツと靴音が燐と陽炎の背後から聞こえてくる。
「お、お前は!?」
陽炎よりも一足早くその足音の主を見た煙々羅は驚きの声を漏らす。
やがて、姿を現した主を見た燐は目を見張り、陽炎は眉をひそめる。
「キミか……」
「お、朧……」
「久しぶりね、燐。そして、初めまして子猫ちゃん」
闇の中から黒いドレスを翻しながら現れた朧は燐達一行に不敵な笑みを浮かべた。