奔走する者
燐と明日香と讃我が湯呑みのお茶を飲み始める中、虎次郎は齧ったココアシガレットをタバコを持つように指で挟む。
一方、春輝と小鈴と雪羅はゆるりとお茶を啜る状態では無かった。
「五十嵐、お前が組を出た後……上層部である五名の瓦達は審議を行った」
「瓦……ってなんだ?」
新霊組の内部について知らない讃我が当然のように虎次郎へ尋ねる。
その質問が来るのが分かっていたのか、虎次郎は特に不快感を示さず淡々とそれに答えた。
「新霊組の上層部……といっても直接、戦闘や現場の指揮を行う訳ではなく、表側……すなわち社会的な地位も高い人物達で構成されているメンバーです。新霊組は下から憑霊を持たない隊員、憑霊を持つ隊士、副隊長、隊長……そして、同等の地位にありながら隊長達をまとめる双極の柱、梁……更に彼らをまとめる局長的な存在である館で構成されています。今挙げた者達は現場での活動や指揮など直接、憑霊と関わる立場でありますが……憑霊を持たず、現場にも出ず社会的に影響力がある人物達が構成された瓦という者達がいます。彼らの仕事は主にその立場を利用して憑霊や新霊組員達を守るのが役目です。瓦は階級では館の下ではありますが双極より上の立場であり、非常に強力な発言権を要しています」
虎次郎の説明に明日香は納得し讃我は辛うじて理解出来たが、燐は頭が煮えたぎっている。
「つまり、その瓦っていう人達が決めたことは新霊組全てに影響するってこと?」
「まぁ、そうですね。この日本でいうなら館が天皇陛下、瓦が首相といったところでしょうか……では、話しを戻しましょう。瓦達はそれぞれ審議を行った。内容は五十嵐の処遇について……瓦の内、二人は五十嵐を処断にすることを訴えし、残る三人はそれに反発し、死罪以外の厳重な処罰を求めた」
「……部下には随分と非情なんだな」
呟く讃我の言葉には若干の怒気が孕んでいた。春輝と出会う前は彼も憑霊使いを影法師と罵っていた者の一人ではあったが、春輝や憑霊達に救われて以降は随分と丸くなった。
だからこそ、偏見も何もない讃我本来の感想であった。
「憑霊を公に認めていないので仕方ない、と言えばそれまでですがね。……審議の結果、五十嵐の処罰に関して死罪か厳罰か……その辺りで瓦達の意見は平行線となりました。そこで最終決定は組を脱した五十嵐の今後の動向を観察してから決めよう、という方針に落ち着きました」
「それでお前が来た……という訳か」
「それは半分正解であり、半分ハズレだ」
煮え切らない虎次郎の言葉に春輝を始め、他の者も首を傾げる。
「当初、お前を探すのは俺ではなく他の隊員の役目だった。……俺はある人に頼まれて動いていたんだ」
「ある人?」
「あぁ、瓦の一人……帝都大学の教授であり、世界的にも名誉ある賞を数々得ている柳田熊楠氏だ」
柳田熊楠……その名前を聞いた途端に讃我と明日香は揃って驚きのあまり目を見開いた。
日本の首都、東京にある学問の最高峰、帝都大学は知らない者はいない名門中の名門である。
その大学教授となっている柳田熊楠は歴史、民俗、社会の分野において日本が世界に誇る学者の一人だ。
最近ではテレビや新聞にも取り上げられており、彼の名前や姿を見ない日は無いというほどの有名人である。
更には学者というものの尊大な態度は微塵もない、加えて従来の学者のように研究に勤しむばかりではなく、フィールドワークとして各地の人とも居酒屋で飲み合ったりするなど人当たりもとても良いことから多くの人に“クマさん”と親しまれていた。
その為、社会などには疎い燐でさえも彼の名前は知っていた。
「その人知ってる! “クマさん”だ!」
「あぁ。柳田さんは瓦達の審議の場では厳罰派と唱えていたが、実際は五十嵐の無罪放免を思っていたらしい。だが、いきなりそう告げると反感も大きくなる、とのことで取り敢えずは厳罰という意見を述べたらしい」
「春輝を庇ったんですか? でも、どうして……」
「柳田さんは五十嵐が組を抜けた理由を独自に動いて調べ直し、お前が私利私欲で動いていた訳でないことを突き止めた。そして、何とかお前を助けようと色々と手を打ち始めた。まず、審議の沙汰を下す前の時間稼ぎとしてお前の今後の動きを監視するよう他の瓦達に忠言し、隊員達に命が下る前に俺にお前の捜索の依頼をした」
敢えて春輝が新霊組を脱退した理由を伏せ、虎次郎は熊楠が春輝の為に尽力していることを伝えた。
そんな中、明日香が一つの疑問を提示する。
「どうして、氷雨君だったの?」
「万が一、五十嵐が余計なことに首を突っ込んだり、自暴自棄になった時にこれ以上事態を悪化させない為です。一般の隊員が出向いたら瓦に直接伝わるのは目に見えていますからね。そうなる前に俺が五十嵐を止め、奴らに尻尾を掴ませないようにする……ということです。だが、もう既に首を突っ込んでいるとは思わなかったがな……」
「じゃあ、やっぱり虎次郎のお兄ちゃんが来たのは春輝のお兄ちゃんを助ける為だったんだ!」
「まだ、助けられていないけどな……外だといつ隊員が聞いているか分からない。だから、本当に殺すつもりの演技をするしか無かった」
「この神社は大丈夫なのかよ?」
「あぁ。新霊組は霊媒師達に嫌われているからな。神社仏閣に関係者はいない。正直、社務所を借りることが出来て助かった」
煙々羅の言葉に虎次郎は心配はいらない、といった風に答える。
だが、真実を打ち明けても事態が変わる訳ではない。
「でも、そうだとして……春輝のお兄さん達の立場は変わらないんでしょ?」
「あぁ。だが、ここに来て光明が見えた」
「さっきもそれを言っていたわね。光明ってなによ?」
「この状況だ。本来だったらここで五十嵐に動くな、と言いたい所だが……カルマの雨海が関わっているとなれば話しは別だ。カルマの動向には新霊組は特に注意を払っている……にも関わらず、奴はこの町で堂々と活動をしている。これは新霊組の職務怠慢だ。そこで、五十嵐が今回の事態を収拾すれば新霊組にとって、五十嵐は敵ではないという証明になる。五十嵐の汚点を探している瓦達の監視を逆に利用するんだ。そうすれば、それを口実に今度は柳田さんが手を打ってくれる」
「なるほど! そうすれば、春ちゃんとこりんりんが恩赦を受けられる!」
「そういうことだ」
ようやく虎次郎の真意と事態を打開する案に雪羅は自分のことのように喜んだ。
朧を倒せばこの町の異変を解決出来る訳でなく、春輝と小鈴も助けられる。
「だが、その為には五十嵐……今回はお前が単独でカルマの裁司と渡り合うことになる。その上、滝夜叉姫という強大な存在までいる……俺も助力はするが、かなり厳しい戦いになる」
「そんなこと関係ねぇよ」
虎次郎の言葉に春輝は間を開けることなく力強く言い放つ。
そこには今日の朝にいた弱り果てた彼の姿は無かった。
「美優も助けて、滝夜叉姫の野望も打ち砕いて、カルマを倒し、汚名を返上することによって俺に関わる人達が処罰も何も受けずに済むのなら……俺はどんな重い荷物だって持ってやるさ。……なぁに、力仕事は慣れている」
「あなただけじゃ無いですよ」
春輝の言葉に今度は小鈴が被せるように付け加える。
「私もです。それに鬼ですから力仕事は得意中の得意ですよ」
「おい、お前達。まさか……二人だけでその荷物を持つつもりじゃないだろうな?」
春輝と小鈴を交互に見ながら虎次郎は頬杖をつく。
それを見た春輝は残っていたココアシガレットを口の中に放り込んだ。
「まさか、お前も荷物を半分持ってくれるんだろう?」
「……そういう所はよく覚えているな」
溜息を混じりに呟く虎次郎。だが、その表情はどこかホッとしたような嬉しそうなものも含まれていた。
「今は猫の手も借りたい所なんだ」
「最初から他力本願なところは感心しないが……俺も仕事だからまぁ良いだろう」
「燐も一緒に持つ!」
「面倒事はあんまり好きじゃないけど、まぁ燐ちゃんが言うなら……」
「しょうがねぇな」
彼らのやりとりに今まで話しを聞いていた燐が混ざり込み、そんな彼女に付いてくるように陽炎と煙々羅も同意する。
「おれも……まだ五十嵐に恩は返していないからな」
「今度は私達が五十嵐君達を助けるわ」
更には讃我や明日香までもが名乗りを挙げ、結果としてこの場にいる全員が協力する意思を示した。
しかし、そんな中で虎次郎が春輝にあることを確認する。
「……五十嵐、一つ聞いても良いか?」
「なんだ?」
「お前はさっき月見里を助ける、と言った。だが、もし月見里が本当にお前を拒んでいたとしたら……それでも彼女を助けるのか?」
「……それが偽物だろうが本心だろうが、それでも俺は美優を助けるよ。たとえ余計なお節介だとしても一度交わした約束なんだ。それを反故にするほど俺は諦めがつかねぇからな。もし、それでもとやかく何か言われるんなら、その時は自分の為だって言うさ」
「そうか……それなら良い」
春輝の答えを聞いた虎次郎はその一言だけを返した。
だが、その顔には何かを確信したような、決心したようなものが浮かんでいた。
「お前の為に色々な人達が奔走してくれている。柳田さんだけでなく、響や風峰、それに俺達の親友である仙道も……皆の想いや働きを無下にしないためにも必ず雨海の謀を阻止するぞ」
「あぁ!」
わだかまりも溶け、決意も新たにした春輝は力強く友の言葉に答えた。