闇への誘い
虎次郎達が神社で明日香と話しをしていた頃、彼が探していた美優は雨の中、一人で街中をさまよい歩いていた。
春輝を追い掛ける際に傘はその場に置いてきてしまったが、そんな忘れ物を取りに行く気力もなく、雨に濡れながらひたすら歩いていた。
自分自身でももはやどこに向かっているのかも分からない……ただ一つ確かなのは春輝の行方を探しているということだろうか?
そんな彼女の姿を見た人は幽霊か何かではとギョッとするかもしれないが、幸いなことに道には人っ子一人いない。
普段なら異常に思える光景だが、この時ばかりはそんなことなど気にも止めなかった。
虚ろな瞳で弱々しく歩き、幽鬼と化した美優。
もはや、自分でもどうすれば良いのか分からない。
そんな時、彼女の耳にある歌が聞こえた。
「都の女が夜一人 知らぬ知らざるその姿 伝うる話しはうつつかな いやいやそうとは限らんぞ 右に左に揺れ動く 着物の袖があなたの耳に今届く すれ音は風に流され トレネ市電の中に消えていく……」
その歌を背後で聞いた瞬間、美優の虚ろだった心に恐怖が宿り彼女の背に雨では無い冷たいものが流れ落ちる。
忘れもしない、その小さな歌声は神社を襲撃した葵のものだ。
それに気付いた美優はすぐに背後を振り返った。
だが、そこには誰もいなかった。
(気のせい……?)
内心でホッと息を吐いたその時、彼女は足元にキラリと光る何かを見つけた。
訝しげにそれを拾って見るとそれはヤギの顔が刻印され、銀と黒に彩られた指輪であった。
「……なんだろう。これ」
見るからに女性が付けるような物ではなく、どちらかと言えばガラの悪そうな男性がオシャレの為に付けそうな指輪だ。
けれども美優はなぜかその指輪を手放そうとしなかった。
落とし物だから交番に届けた方が良い……もちろんそれもあるが、なぜだかこの指輪に惹き込まれる。
綺麗でもない、寧ろ趣味の悪いこの指輪にだ。
指輪の何が気になるのか、それは美優自身にも分からない。
しかし、囁くように指輪は美優の瞳に映り込んだ。
その姿は瞳から美優の心に入り込み、更に己の存在感を強調させる。
―――はめよ。そうすれば、お前の望みを叶えよう。
まるで指輪がそう語り掛けているかようにのますます存在は強くなっていく。
無論、声などは聞こえない。だが、そう言っているように美優には思えた。
虚弱な心が作り出した都合の良い想いの表れなのか、はたまた女が抱く夢想の顕現か。
だが、虚ろな心は判断を無意識に任せ、無意識はその夢想の意思に従った。
指輪を取った手は力なく自然とそれを左手の薬指にはめる。
その瞬間、はめた指輪は妖しく黒い光を放ち、美優の意識はその光に呑まれていった。
――――――【1】――――――
天倉神社で明日香とあることを話した虎次郎と燐はその足でアパートへと戻った。
春輝と今後のことについて話し合う為である。
だが、当の春輝はどこか上の空で虎次郎の話しに「あぁ……」とか「そうだな……」のような曖昧な返事しかしなかった。
けれども、虎次郎はそのことには突っ込まずに淡々と話しを続けた。
「……という訳だ、五十嵐。一応、桐崎さんには伝えたが今回は不動さんの所の寺院を中心に他の寺院と連携して孔雀明王の真言を唱えてもらうつもりだ」
「あぁ……」
「だから、彼らにソウルライフについて教えてやってくれ。身体を動かせないとはいえ、教えることぐらいは出来る筈だ」
「そうだな……」
「月見里には今日は会えなかったが……桐崎さんには会った時にある伝言を伝えるよう頼んでおいた。それに五十嵐、恐らくお前が会った月見里は本人とは別だ。だから―――」
「……別っていう確たる証拠はあるのか?」
「……いや、ない。お前風に言えば勘というやつだ」
「じゃあ、言い切れねぇじゃねぇか」
「……そうだな」
今度は虎次郎が春輝の言葉をそのまま返す。
一方で傍に居る燐はこの何とも言えないような悪いような悪くないような空気にタジタジとなっている。
けれども、二人の言葉が詰まることは無かった。
「だったらお前の勘はどうだ? その時の月見里は本当に本人だったか?」
「……勘も今は鈍っちまったよ。それよりも他に話すことは無いのか?」
「いや、まだある。お前が面倒を見ている燐だが……少しの間、俺が預かることにする」
「なに?」
「別にお前の師匠の席を取るつもりは無い。この2日間だけ借りるぞ。お前はその間に桐崎さんと不動さんにソウルライフについて教えるんだ。約束したんだろう?」
「それはそうだが……」
「だったら、約束は守れ。流石に三人同時にしかも修行内容が別々じゃお前も困るだろう? だから……お前の荷物、半分は持ってやる」
「……情けないが、悪いな」
燐と虎次郎を交互に見た後、呟く春輝。
特に燐に関しては申し訳ないように頭を下げた。
「ううん、大丈夫だよ!」
「……そうと決まったら早速始めるとするか。俺達は天倉神社の鎮守の森にいる。何かあったら来い」
そう言うと虎次郎は春輝の腕を掴み、半ば無理やり立ち上がらせ玄関を出る。
「な、なにすんだよ!?」
これには今まで呆けて話しを聞いていた春輝と燐は驚く。
けれども、虎次郎はさも当然といったように言い放った。
「安静とはいっても散歩ぐらいは出来るだろう? ここで黙って塞ぎ込んでいるから暗くなるんだ」
「……そりゃ、そうだけど……今、雨だぜ?」
「だからどうした?」
「いやいや、怪我人というか病人というか……そんな奴を雨の外に連れ出すのか!?」
「確かに絶対安静だが激しい運動じゃない。というより運動でも無い」
「問題はそこじゃなくて……」
「水も滴る良い男になれ。グチグチ言うな」
「鬼!」
「お前は憑纏したら鬼人だろう? 今更何を言っている……」
「そういう意味じゃないんだけど!?」
「いちいち駄々を捏ねるな。お前の憑霊だってこの雨の中、身を粉にして働いているんだ。小鈴ばかりに任せるな」
「いや、任せたのはお前だろ!?」
小鈴はこの場には居らず、虎次郎の指示で雪羅と一緒に美優を探しに外に出かけている。
何も出来ず、覇気の無い春輝の傍にいるよりはその方が良いと判断したのだろう。
こういう時、小鈴は忠実に虎次郎の指示に従う。
別にそこは春輝にとっても気に食わないという訳ではない。
ただ、真面目な者達が組むとなると面倒なことになるのだ。
事実、小雨の降る中でろくな支度もせず、傘も差さずに引っ張られている現状がまさにそれだ。
「もう桐崎さんと不動さんには天倉神社で待つように言ってるんだ。早くしろ」
「何かしょっぴかれる罪人みたいなんだけど。てか、お前……俺がいない所で色々と根回し良すぎ!」
「それが俺の新霊組での仕事だからな。それにそのスキルはお前によって培われたものだ」
「……俺の何で培われたんだよ?」
「お前の長期休暇の宿題の処理を毎回手伝わされる内にいかに早く、かつ効率よく終わらせられるか……それをやっていく内に身についたんだ」
「はいはい、それはすみませんねぇ……」
虎次郎の嫌味に顔をしかめながら返事をする春輝。
それを見ていた燐は思わず、笑う。
ここ最近はそういうやりとりが少なかったから嬉しいのだろう。
そして、そんなやりとりをしている内に一行は天倉神社へ到着した。
「ここが……そういや、先輩の神社に来るのは初めてだ」
「……なんで、言い出したお前より俺達が先に訪問したんだ?」
「仕方ねぇだろ! 知り合ったのもつい最近なんだ!」
「それでも、月見里はここに修行に来ていた……その様子すら見に来なかったのか?」
「うっ……」
痛い所を突かれ言葉が出ない春輝。
今更、思い返すと春輝は美優の修行については彼女の口から伝え聞いたぐらいでまだ実際には見ていなかった。
最近は会話すらまともに交わしていなかったからないがしろにしていた、と言われても反論は出来ない。
そんな彼の様子を見て虎次郎は溜息を吐いた。
「……どうやら、お前にも原因の一端はあるみたいだな」
もし、何者のかが偽物を使い春輝と美優に接触したとしてもどちらかがまともならば問題の無いことだ。
だが、どちらも体の不調や心が弱くなっていた状態ならば些細なことも見逃してしまうだろう。
そして誤解を生み、抱いたまま互いにすれ違う……最悪な状態になるのは目に見えて分かる。
「事実、神社は襲撃を受けた。守るべき者を不安にさせ、危険な目に遭わせた……蛇に取り憑かれて不調になり、先手を打とうとするあまり肝心な所をおろそかにするなんて慢心し過ぎじゃないか?」
「……そうだな、浅はかだった。悪い……」
「俺じゃなく、会った時に月見里に謝れ」
鳥居をくぐり、参道を歩いて社殿の前で挨拶をした一行は社務所に寄り、そこで待機していた明日香と讃我に相まみえた。
「よぉ、五十嵐。それにお前は―――」
「どうも。……さて、欠員は一人いるが取り敢えず役者は揃ったな」
讃我への挨拶を軽く済ませた虎次郎は全員を見渡しながら呟く。
彼から事情を既に聞いている女性陣は頷くが、まだ事情を飲み込めない讃我とほとんどいきなり連れて来られた春輝はやや困惑していた。
「……これから修行を始める。お二人は五十嵐の指示の元、ソウルライフのコントロールを得てもらいます。燐にはこれから新たな憑術を習得してもらい、それを扱う修行をしてもらう」
「いよいよ、憑術が使えるんだね!」
待ってました、と言わんばかりに燐の目が輝き始める。
だが、興奮を虎次郎が水を掛けたかのように制した。
「悪いが、今までのように優しくは教えられない。時間も無いからかなり厳しいものになる」
「うん! 大丈夫だよ!」
「……よし、その意気だ。というわけで五十嵐。少し別行動になる」
「あぁ、頼む虎次郎。燐……気をつけてな」
「うん!」
元気よく返事をする燐。
だが、この後……虎次郎の言葉が嘘で無いことを彼女はその身で知ることとなるのであった。