絡新婦
春輝が突き付けた刀は刀身が血に濡れたように紅く染まっており、見るだけでゾッとさせる雰囲気を持っていた。
蜘蛛女はその様子を見て、声を上げる。
「鬼人…だと……? お前も妖怪か何かか!?」
「……正確には、妖怪と人間のハーフだがな。……どうした? 鬼と知って恐れ慄いたか?」
「誰が恐れるか! 我は神に代わる者……お前如き…グッ!?」
そう言いながら、美優にそっと近付いて手を伸ばす蜘蛛女。
だが、春輝はその動きを見逃さず、持っていた紅い刀を投げ付けて蜘蛛女の伸ばした手に突き刺す。
「…………絡新婦の手口は、今も昔も変わらないな。油断させておいてから獲物を仕留める……この状況じゃ獲物は俺じゃなく月見里………月見里に注意していれば対処は出来る」
「な、なぜ……なぜ我の正体を知っている!?」
「周囲に散らばっている人間の死体の一部……これは『宿直草』の物語に出てくる絡新婦の死体を見つけた時と似ている事を思い出してな。確かアレは絡新婦の死体の傍に食い殺された無数の人間の死体があった、という内容だった筈だ…」
「………ッ!」
「その上、白い糸を使う点……絡新婦の糸は木の切り株を滝に引き込む程、強力だ。…小鈴はああ見えてもロープを引きちぎる位、力が強い………………その小鈴が糸で身動きが取れなくなるということは……余程の強度があるということだ」
ロープを引きちぎる程の力を持っているとは、小鈴は一体何者なのだろうか?
それに、なぜ春輝はそんな事まで知っているのか?
多くの疑問によって話しに付いていけない美優を差し置いて、春輝は尚も話しを進める。
「これらの事から……俺はお前が絡新婦である事を確信した」
犯人を追い詰めた探偵のように全てを語り終えた後、春輝はもう一本の刀を抜いて身構えた。
その刀の刀身は先程の刀と違って、海に漬けたように蒼く染まっており、見る者に安心感を与える。
絡新婦はそれを見ながら暫し無言になった後、いきなり刀が刺さってない手で春輝に糸を放つ。
春輝は向かって来る糸を横に一閃、斬り裂いた。
「……まさか、訳の分からない奴に正体を明らかにされるとはな…」
呟きながら、絡新婦は手に刺さった刀を抜いた。
それに対し、春輝は摺り足で無言のまま絡新婦に少しずつ近付いていく。
「そう、我は絡新婦! 女に化け、男を取り込む妖怪よ!」
「…お前は滝の主であり水難除けの神でもあった筈だ。そんなお前がなぜ、こんな森の中で人間を狙うような事をする?」
「…ほんの出来心だ。我が棲む滝に入水自殺した女の怨念と……神の座を降ろされた我自身の怒りが混ざり合って生まれた出来心のな!」
絡新婦は抜いた刀に自身の糸を絡めるとそれを春輝に向かって投げ付けた。
春輝はその投げ付けられた刀を自身の持つ刀で弾くと、絡新婦へ駆け出す。
しかし、弾かれた刀に付いている糸を巧みに操り、絡新婦は再び春輝に向かって刀を振る。
「……ならば」
振られた刀を跳躍で避けた春輝は宙に浮く。
宙で身動きの取れない春輝を見た絡新婦は歯を出して笑みを浮かべると、刀を一度自分の手元へと引き寄せ、力一杯彼に投げ付けた。
「五十嵐君!」
思わず叫ぶ美優だが、宙に居る春輝は慌てる素振りを見せない。
「そう来るのを、待っていた…!」
投げ付けられた刀が目の前まで来た瞬間、春輝は身体を回転させながらそれを絡新婦に向けて蹴り返した。
返された刀は回転しながら絡新婦の頬を掠り、足元の床に突き刺さる。
「なに! ま、まさか……」
頬に流れる一筋の血を指で拭いつつ、それを見て言葉を失う絡新婦。
着地した春輝はその隙を突いて一気に接近し、袈裟掛けに斬り付ける。
けれども、絡新婦はそれに気付いて大きく飛び上がり、刀を避けた。
「人間が……人間如きが……!」
コンクリートの残骸で出来た小高い山の上に立ち、ぶつぶつと呟く絡新婦に目を配りながら春輝は近くで囚われている美優の糸を刀で断ち切る。
「……大丈夫か?」
「う、うん……ありがと。……それより、五十嵐君。あの人は一体……」
「あれは人じゃない。妖怪……いや、妖魔だ」
「……妖魔?」
「あぁ、一般に妖怪って呼ばれる奴らは人に危害は加えない。イタズラをしたり驚かしたりといった可愛い事はするけどな……だが、妖魔は違う。妖魔は純粋に悪意を持って人を襲い、その命を奪う……簡単に言うなら、悪い妖怪だな」
床に刺さっている紅い刀の糸も断ち切りながら淡々と説明する春輝。その間も絡新婦は自身の頭を掻き乱しながら呟いていた。
「なんで我だけ……なんで私だけ……なんで我だけ……なんで私だけ……」
「異形の者は霊や妖怪に限らず、普通は神も人間や物質には長期に亘って干渉出来ない。出来るのは一時的な干渉と物に宿る位だ。……だが」
暫く、恨み言のように呟いていた絡新婦だったがやがて顔を上げ、何かを悟ったような表情をする。
「そうか……そんなに我の邪魔をするのなら……この世に生を受けたことを後悔させる程の苦しみを与えてやる!」
「ごく稀に怨念に近い思念を持った人間の霊体が負の感情を持つ妖怪や神と融合する時がある。俗に言う共鳴、同調ってやつだ。そして、融合した奴は大抵……生き物の死体や物に憑依し、あぁやって実体を持つことが出来る。実体がある奴らは実体がない奴らと違い……ほぼ永久的に干渉することが出来る」
紅と蒼、二本の刀を持ちながら春輝は美優の前に出て、身構える。
一方の絡新婦は周りに居る蜘蛛達に自身の糸を付け始める。
すると、糸を付けられた蜘蛛達はそれぞれ口から火を吹き始めた。
「さて……いよいよ大詰めか?」
「我が怒りの炎でお前達を炙ってくれる!」
火を吹く蜘蛛達を操る絡新婦に向かって、春輝は僅かな笑みを浮かべながら駆けて出して行った。