急転直下
戦いが終結し、春輝は小鈴と雪羅から彼女達がなぜ蛇の大群に狙われたのか、その経緯を聞いた。
「……なるほど。虎次郎の奴は他の憑霊使いの線を考えているのか」
「えぇ。それでも確証は無くて……それでそれを探しに来たらさっきの蛇達に遭遇したの」
「……確か、蛇は上原ダムに来た時に現れたんだよな?」
「はい。……行ってみますか?」
小鈴の言葉に春輝は少し考え込む。
そして、暫くしてから口を開いた。
「……いや、やめておく」
「そうですね。その方が賢明だと私も思います」
「……なんで?」
慎重な小鈴が言うのならまだ分かる。しかし、雪羅にとってはこういうことにすぐ乗り気になる筈の春輝が“やめる”と言ったことに疑問を持つ。
そんな彼女の問いに春輝は答えた。
「ダムには結界が張ってあったんだろう? だったら当事者がいないことも考えられるがそれでも“罠”がもう終わったとは限らない」
「あ……」
「それに居たら居たでこんな状態で憑霊使いと一戦交えるのは正直キツい……ここは一回、態勢を立て直した方が良い」
春輝は虎次郎ほど頭が良い訳では無い。
だが、勘だけは妙に良い。
それは数々の経験を元に導き出される答えだ。
そういう場合というのは時に理論よりも信憑性がある。
それに春輝の言っていることは理に適っている。
自身の憑霊使いが今居ない雪羅は彼の言葉に従った。
「それもそうね……それじゃあ、これからどうするの?」
「虎次郎は俺よりも今回の事態を深く知っているみたいだからな。まずアイツと合流しよう」
「……良いんですか? 今回、虎次郎はもしかしたら味方どころか敵になるかも知れないんですよ? それでも―――」
「それでも、今回の件を調べている以上は俺の味方でも敵でも無い筈だ。虎次郎にとっての敵はこの事態を引き起こした首謀者……俺は二の次。それはそれで構わねぇ。あとから俺を狙おうが……協力してくれるならそれでいい」
暗に心配の言葉を口にする小鈴の言葉を引き継ぐようにして自分の思いを主張する春輝。
その様子を雪羅はただ見守っていた。
この場で今の春輝の言葉を聞いた虎次郎はどういう反応をするのか……そう考えながら。
「だから、雪羅。悪いが、アイツの所に案内してくれねぇか? なぁに、始めは気まずくなるだろうけどさ、何とかなるよ」
「……そうね。それが春ちゃんとお虎だものね。分かったわ。お虎の所に行きましょう。場所は知っているわ」
今日、虎次郎と別れる際に雪羅は彼から公園に行くということを聞いている。彼の行く所は大体の目星は付いているのだ。
雪羅は小鈴と春輝と顔を合わせた後、その場から離れるように歩き始めた。
小鈴もその後に続く。
だが、一人……春輝だけは俯いたままその場から動こうとしなかった。
「……春輝?」
異変を感じた小鈴が振り向き、彼に尋ねる。
その問いに春輝は何も答えない。
しかし、代わりに彼の顔は蒼白になり額には脂汗が流れて激しく肩で呼吸をしている。
一目でただならぬ状況になっているというのは分かった。
「春輝!? どうしたんですか! 春輝!」
事態を察した小鈴は慌てて春輝の元に駆け寄る。
その声を聞いて先頭を歩いていた雪羅も異様な様子に気付いて駆け寄ってきた。
「ハァ……ハァ……」
春輝は一歩足を踏み出すもすぐに苦痛に顔を歪め、荒い息遣いと共に胸を押さえる。
そして、小鈴が肩に手を掛けた瞬間に膝から崩れ、力尽きたようにその場に倒れた。
「春輝! 春輝、しっかりして下さい!」
「どういうことなの!? 一体、どうして―――」
先程の戦いで蛇に噛まれたのだろうか……確かに、あの蛇達の中には小鈴のような鬼でさえも動きを鈍らせる程の毒を持つ蛇がいた。
もし、その蛇に人間が噛まれたらタダでは済まないだろう。
けれども、春輝は憑纏をして戦っていた……その場合だったら噛まれたとしてもここまで酷くなることは無い筈だ。
「とにかく、町まで戻りましょう! 雪羅、手を貸して下さい!」
「分かったわ!」
急転直下の事態に二体の憑霊は協力し衰弱した春輝を救う為に町に向けてその足を急がせた。
――――――【1】――――――
春輝が突然の危機に見舞われていた頃……天倉神社では正吾の助力もあり、ようやく神社内に侵入してきた憑霊達は退けられて新たな結界が簡易的に張られた。
一通りの事態が収束し、一休みの為に社務所の中へと入った美優、讃我、明日香は正吾とウィリアムにまずは礼を述べた。
「正吾さん、ありがとうございました」
「一度ならず、二度までも世話になって―――」
「なんとお礼を言ったら良いか―――」
「いや、良いって……それよりもここに春輝は居ないか?」
「……ここに春輝君は居ません。アタシの修行なので……それに、実は最近あまり話して無くて……」
「へぇ、そうなのか? 普段だったらこっちから言わなくても何かベラベラと勝手に喋るもんだけどな……まぁ、良いか」
「ところで、さっき……世界を巻き込むとかなんか言ってましたけど……」
「あぁ。そのことについて春輝と美優ちゃんに話しに来たんだ。……おっと、もちろん他の二人も聞いて大丈夫だぜ。話しの内容としては少し浮くかも知れないけどな……」
正吾は讃我と明日香にそう言った後、一息吸って吐き美優の方を向いた。
「美優ちゃん、確かめるようで悪いんだがこの前の病院のこと覚えているか? 燐が初めて憑霊使いになったあの病院での一件だ」
「はい、覚えています」
思えばあの頃から上倉町は憑霊絡みの事件に巻き込まれ、その規模はどんどん大きくなっているように思える。実際、讃我や明日香の件では犠牲者まで出てしまった。
けれども、正吾が聞きたかったのは憑霊とは違う件であった。
「その病院の時に燐は見知らぬ女の子に出会ったって言っていたよな? そして、その子は見たものを石に変える大蛇、バジリスクを呼び出してバジリスクは怨霊の集合体を喰って更に強くなった。結局は春輝に倒されちまったが……」
「そんなことがあったのか……」
讃我と明日香にとっては初耳だろう。二人共目を丸くしながら聞いている。
無論、美優はもちろんのこと春輝も小鈴も燐も語っていないので当然といえば当然だ。
「確かに言ってましたけど……その子がどうかしたんですか?」
「あぁ、ついに正体が分かった。このウィリアムさんから話しを聞いてな」
「エェ、私モ驚キマシタ。マサカ、彼女ガ私ガ来ルヨリモ早クコノ町二来テイタナンテ……」
正吾の言葉にウィリアムは驚きを隠せずに同意する。
美優はそんな彼を見て正吾に尋ねた。
「あの……正吾さん。もしかして、この人が正吾さんが春輝君に頼んだっていう……」
「あぁ、この人がバチカンで司祭枢機卿を担っている、ウィリアム・パーカーさんだ」
「しさい……すうききょう……春輝君もちょっとだけ言ってたんですけど……なんですか、それ?」
バチカンは聞いたことがある。
世界一小さな国、バチカン市国は社会でも習い、よく聞く国名だ。
だが、その後の枢機卿というのはあまり聞いたことがない。
言葉をゆっくりと繰り返す美優の様子を見た正吾は「知らないのも無理ない」といった様子で頭を掻きながら説明した。
「バチカンは聞いたことあるよな? 世界最小の国……そしてカトリック教会の総本山でありローマ教皇が住む国だ。枢機卿というのはカトリック教会における高位聖職者……分かりやすくいうと幹部みたいなもんだ。枢機卿は上から司教枢機卿、司祭枢機卿、助祭枢機卿と位階があり、いわばこのウィリアムさんは真ん中の位置にいる人だ」
「えっ、じゃあ偉い人ってことですか?」
「まぁ、簡単にいうとそういうことになる」
「でも、どうしてそんな偉い人が日本に?」
明日香の問いにウィリアムは僅かに顔を俯かせる。
そんな彼に変わって、正吾が引き続き答えた。
「……これは国家規模の重大事項だからまだ公にされちゃいないんだが……決して他言はしないでくれよ?」
正吾のいつになく真剣な態度に思わず美優は息を呑み。
讃我も明日香もしばし顔を見合わせた後に頷いた。
「……実は春輝達が蜘蛛丸や夜叉丸と戦う前……バチカンがある組織に襲撃され壊滅状態に陥った」
「えっ!?」
「死者五百人前後、負傷者百数人程度……ローマ法王は幸い無事だったが、枢機卿を始め多くの人達が被害を被った。これは異例だ」
「だけど、死者負傷者合わせて大体……六百人ぐらいなら国としての被害はまだ良かった方じゃないか?」
「んな訳ないだろ! バチカンの総人口は八百五十人程……この中から六百人程だから国に住む約半分以上の人が被害に遭っているんだぞ!」
讃我の言葉に正吾は猛反発する。
それを聞いた美優は思わず自分の身体の血の気が引くのを感じた。
総人口の約半分以上が被害を受けた……国としてはほとんど機能出来ないだろう。
「大規模なテロってことですか? 対応は出来なかったんでしょうか?」
「出来ないと思うぜ。バチカンは一切の軍事力を保持していないからな。警察といっても、スイスからの傭兵である“市国警備員”だけだしな。それに襲撃された日は特に何も無い日だった。国際的なイベントや法王が国民の前に姿を現すならまだしも、何の変哲も無い日にテロが起こるなんて誰が予想出来る? 出来ないだろう?」
正吾の言葉に問い掛けた明日香は黙り込む。
確かに普段どおりの日常で地震や火事といった災害が起きるならともかく人為的なテロが起きるなんて誰も予測出来ないだろう。
「ウィリアムさんは襲撃から辛くも逃れることは出来たが、他の枢機卿が殺されたこともあって法王の命により内密に国外へ逃亡した。それがこの人がここにいる理由だ。だが、それを読んでか読まずか……刺客は日本に一足早く来ていたらしい。しかもバチカンが襲撃される前にだ」
「バチカンが襲撃される前に!? それに一足早くって……!」
そこまで言い掛け、美優はハッとした。
「まさか、さっき言ってた女の子が?」
「あぁ、まさかその少女が憑霊使いの国際的テロ組織“カルマ”のメンバーだったなんて……流石の俺も思わなかった」
正吾はまるで信じられない、といった様子で額を押さえた。