掴んだ尾
「……ふー……」
神社から異様な気配が消えたと共に錫杖を構えていた讃我は緊張の糸が解けてしまったのか一気にその場にへたり込む。
そんな讃我の傍に祝詞を唱え終えた明日香が呆れた様子でやって来た。
「息を吐くのは結構だけど、まだ終わってないわ。神社の結界を張り直さなくちゃならないし、他の所で戦っている人達の救援にも行かないと……」
「まぁまぁ、明日香。讃我君はずっと戦っていたんだ。休ませてあげなさい。……刑事さんも一度ならず二度までも娘が世話になって……」
明日香を宥めた彼女の父はそう正吾にお礼を言って頭を下げる。
そんな宮司の対応に正吾は頭を掻いて応えた。
「いや、まぁ市民を守るのは警察の義務ですから。それが例え管轄外だとしても……それにしても、さっきの憑霊…………あぁは言っていたがもしかしてあなたが日本に来た理由と何か関係があるんじゃないんですか? ウィリアムさん」
そう言った正吾は傍に控えているウィリアムを何気に見る。
言われたウィリアムは人懐っこい笑顔を浮かべながらもはぐらかす様子なく、正吾の問いに答えた。
「エェ、ソノ通リデス」
「あ、あの……正吾さん。この人は一体……それにどういう事ですか?」
言葉の意味が読み込めない讃我と明日香と彼女の父に代わり、美優がそう尋ねる。
馴染みある彼女に対し、正吾は真剣な面持ちで答えた。
「詳しいことは結界の修復と神社に入ってきた憑霊達の始末が着いたら教えるよ。……どうやら、事態は世界を巻き込むとんでもないことに発展しそうだからな。…………美優ちゃん達はここに居てくれ、特にこの神父さんの監視を頼む。逃げられたらまた面倒だからな」
「正吾さんはどうするんですか?」
「俺は……まだ戦っている市民の皆さんを助けに行ってくる。じゃあ、頼んだ」
正吾はそう言うと葵を撃った銃を手に、まだ神社に入ってきた悪霊や妖怪の対処をしている神職者の元へ向かった。
――――――【1】――――――
天倉神社での戦いが落ち着いた頃、虎次郎は陽炎の図らいで馬肝と千鶴と公園で対面していた。
「わざわざ出向いてもらってすまない。本来なら俺が行かなければいけない所を……」
「いやいや、そんなことは無い。ところで、お前さんは?」
「……憑霊使い、新霊組の寅の隊長を務めている氷雨虎次郎だ」
「儂は馬肝入道……しがない医者をしておる。…………陽炎から話しは聞いたんじゃが、なんでもこの千鶴に用があるとか?」
「一体、どのようなご用件でしょう?」
「……口で説明するより百聞は一見にしかず、だ。陽炎、何度も使って悪いが燐の家に案内してくれないか?」
「ボクは構わないけど……良いの? 春輝のお兄さんに会うかも知れないよ?」
「…………構わない。頼む」
「分かった」
虎次郎の言葉に頷き、陽炎は自ら先導して彼らを案内する。
その道中で馬肝と千鶴は町の異常な雰囲気に気が付いた。
「なんだか……活気がないのぅ」
「まるで町そのものが病に罹っているみたいですね」
「……病に罹っているのは町だけじゃない。人間達もだ」
「なんじゃと? こんな時期に流行り病など……」
「いや、もしかしたら病じゃないのかもな」
「どういうことですか?」
「……それを診てもらいたいんだ。病なら医者の仕事だが……別なものなら俺達の仕事だ」
「なるほど、そういうことか……」
納得する馬肝と千鶴。
そんな中、前を歩いていた陽炎が急に立ち止まった。
「着いたよ。このアパートの一階に燐ちゃんは住んでいる……二階は春輝のお兄さんだね」
陽炎の簡単な説明と共に馬肝と千鶴は燐がいるであろう一室へと向かう。
けれども、虎次郎だけはすぐに向かおうとはせず、アパートの二階をジッと見ていた。
大方、春輝のことでも考えているのだろう、と陽炎は思ったが、今回の目的は燐を診ることにある。
「お兄さん」
「……あぁ、すまない。今行く」
陽炎に声を掛けられ、虎次郎もようやく燐のいるアパートの一室に足を踏み入れた。
「すまない、邪魔する」
「おじゃまします」
「訪問診療じゃ、お嬢ちゃん大丈夫か?」
口々にそう言いながら各々が中に入ると煙々羅と姑獲鳥が布団の中に入っている燐を看病していた。
そんな様子を見て、虎次郎が思わず眉を潜める。
「……慣れてもいないように見えるが?」
「これでもまだマシになった方なんだよ。今日は学校も閉鎖状態だから姑獲鳥さんもつきっきりで見てくれているんだ」
「……あ、お兄ちゃんに……おじいちゃんと看護婦さん?」
そんな彼らの会話に気が付いたのか休んでいた燐がゆっくりと起き上がる。
それを見て姑獲鳥は休むよう促すも燐は「大丈夫」と笑って返した。
「燐のお見舞いに来てくれたの?」
「……まぁ、少し様子を見に来た」
「確かに前に会った時に比べて覇気が無いの……どれ、千鶴。少し診てくれ」
「分かりました」
「その前に一つ良いか?」
両手を合わせ、憑術の千里眼を発動しようとする千鶴に虎次郎は言葉を挟める。
「なんでしょうか?」
「それは、何をどれくらい視ることが出来る?」
「そうですね……透視の周囲の遠方を視ることが出来ます。特に生魂や憑霊の探知も可能ですね」
「なるほど……邪魔してすまない。始めてくれ」
「では……憑術、千里眼!」
虎次郎の問いに答えた千鶴は目にカッと力を入れ、瞳孔を開いた。
千鶴の憑術を聞いた虎次郎は何事か少し考えた後、あることに気付き内心驚く。
(千鶴……千里眼……まさかこの憑霊、御船―――!?)
だが、その正体に気付きながらも彼は敢えて何も言わなかった。
その人物が生前に受けた出来事を思い出し、配慮したのだ。
そんな虎次郎の様子を見た馬肝は彼が正体を知りながらも何も口にしないことに感謝した。
そんな深層の心のやりとりの中、千里眼で燐を診た千鶴は彼女の中にいる異様な存在を目の当たりにして思わず言葉を失う。
「これは―――!」
千鶴の目に映ったのは燐の身体の中に巣食う黒い一匹の蛇であった。
蛇のようなもの……では無い。とぐろを巻き、怪しげな双眸を煌めかせた紛れもない蛇である。
千鶴のただならぬ様子を見た馬肝は彼女に尋ねた。
「どうした?」
「蛇……の憑霊が視えます。とても禍々しい蛇がとぐろを巻いてこちらを睨んでいます」
「蛇だと……? それはどのようにとぐろを巻いている? 身体ごとか……それとも―――」
「身体ごと……ではありません。腹に巣食うようにしてとぐろを巻いています」
「腹か……」
それを聞いた馬肝と虎次郎は揃って考え込む。
病か否か……結果は否であったが、なぜ燐の中に蛇がいるのかが分からない。
とはいえ、彼女の体調不良の原因は間違いなくその蛇であろう。
問題はそれをどうやって取り除くかである。
「怪我や病で無いとすると……医者である儂の出番ではないが……」
「あぁ。長物が憑いているとなれば霊媒師が専門だが……蛇くらいなら俺でもどうにか出来る」
「孔雀明王の真言か?」
「いや、それは本職の僧侶が五十嵐の仲間にいたからその人にやってもらう。俺がやるのは俺独自のやり方だ」
馬肝が言った孔雀明王の真言とは毒虫や毒蛇を喰らう孔雀の秘力をもって身体に取り付いた蛇やその毒を浄化する真言である。
蛇が取り憑くというのはよくあることなので対処法はちゃんと存在しているのだ。
だが、虎次郎はそれとは別の方法で蛇を取り除くという。
一体どうやるのか―――皆が思う中、虎次郎は燐に近付き、そっと腹部に手を当て、集中するように目を閉じた。
千鶴の目に虎次郎のソウルライフが彼の手に集まるのが見える。
淡い水色の……まるで透き通った氷のようなソウルライフだ。
虎次郎の手に集まったソウルライフは彼の手から燐の腹部を介して彼女の全身を巡る。
すると、燐の中にいる蛇に異変が起こった。
煌めいていた双眸が次第に虚ろとなり始め、その動きが徐々に鈍くなってきたのだ。
「……冬眠するにしても潜る土も無いだろう。悪いがそのまま永眠してもらうぞ」
虎次郎がそう呟いた途端、蛇の身体は徐々に凍りついていき、あっという間に氷漬けにされてしまった。
そうして、氷漬けになった蛇は瞬時に砕けて燐の中から消えてしまう。
すると、同時に燐の方にも変化が起き始めた。
「……あれ? なんだか、おかしいのが治った!」
虎次郎が離れると共に布団から飛び起きる燐。
どうやら、体調も軽快したようだ。
「一体、何をしたんじゃ?」
何も見えていなかった馬肝は傍で見ていたであろう千鶴に詳細を尋ねる。
千鶴は今、見たことをそのまま伝えた。
「あの子の中にいた蛇が突然凍りついて、消えたんです」
「凍った……じゃと? それは一体―――」
「俺のソウルライフは水行の氷に属している……弱い憑霊くらいなら簡単に凍らせることが出来る。寒さに弱い蛇なら尚更だ」
「……なるほど、そういうことじゃったか。しかし、その蛇はどうやってあの子の身体の中に入ったんじゃ?」
「……それは俺にもまだ分からないが、それでもこれで分かったことがいくつかある。一つはこの町で人々が体調を悪くしている原因がこの蛇の憑霊であること……そして、それが人為的に行われたということだ」
「なんでそう思うの?」
そう尋ねる燐に虎次郎は静かに答えた。
「体調が悪くなったのはつい最近だろう? もしもこれが昔からあるものなら風土病でもあるが、こんな急に大多数が取り憑かれるなんて通常は無いことだ。ましてや、所構わず……明らかに何者かが作為的にやっているとしか思えない」
「しかし、一体誰が……何の目的で、どこからやったんじゃ?」
「それもまだ分からないが……蛇となると広める場所は限られてくる。……すまないが、もう一度千里眼を使ってくれないか?」
虎次郎は千鶴にそう言うと自らはなぜか台所へ向かう。
そして、なぜか彼は台所の流しにある蛇口に手を掛けた。
「見ていてくれ」
千鶴にそう合図すると虎次郎は蛇口を捻って水を出す。
その瞬間、千鶴は「あっ!」と声を上げた。
蛇口から水と共に燐の中にいたものと同じ黒い蛇の憑霊が出てきたのだ。
その反応を見た虎次郎は半ば確信したように言った。
「……蛇は水を好み、水と共に移動する。そうなると飲水と一緒にした方が広めるのに効率が良い。……この水の出処が蛇を広めた場所だ」
虎次郎がそう言い放つ中、出てきた蛇は流しの中で不気味にその身を動かしていた。