攻防戦
天乃咲手を組んだ明日香は声高らかに祝詞を唱える。
「アマテラスオホミカミ!」
その瞬間、明日香に触れる寸前で葵は見えない何かに強く弾き飛ばされた。
だが、倒れ込まずに自身の細い足で地面に踏みとどまる。
「ふふふ……十言神咒なんて面白いものが使えるのね。じゃあ、これならどう? 憑術、鉄砲水」
葵はそう言霊を唱えるとまるで木の実を溜め込んだリスのように自身の頬を膨らませ、何かを勢い良く吐き出した。
葵の口から巨大な水の塊が飛び出す。
「(水なら……!)トホカミエミタメ!」
明日香は避ける素振りもなく、水の塊に向かって片手を出し、天津祓を唱える。
すると水の塊は明日香の目の前で止まったかと思うと、その直後に勢い良く葵に向かって飛んでいった。
葵はそれを身を翻して躱す。
水の塊は彼女の背後にあった狛犬に当たり、水飛沫を上げて爆発する。
水の塊が当たった狛犬は石像であるにも関わらず跡形もなく粉砕されてしまった。
(あんなものをもし生身で受けてしまったら……)
明日香はその光景を見て思わず心の中で絶句する。
もはや、本当に殺しにかかっている……憑霊使いが相手をするべき者を相手にしているという現実が改めて彼女に重くのしかかった。
「大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫。あなたのこともちゃんと守るから安心してね(とはいえ……)」
明日香は心の中である懸念を抱きながら対峙している葵を見る。
天津祓がある限り、五行である水、火、金、土、木は操れる為、先程のような攻撃はそんな脅威にはならない。
しかし、神社の結界を簡単に抜け、なおかつ破壊した者である。油断は出来ない。
そんな中、先程葵に吹き飛ばされた讃我が明日香達の元に戻ってきた。
「讃我、大丈夫?」
「あぁ。しかしお前が天津祓を使うことが出来て助かったぜ……」
「でも、油断は出来ないわ」
「あぁ、分かっている。術のみならず接近戦もヤバイからな。おれが飛ばされた所は何も無かったから良かったものの……もし何かあったら衝撃で簡単に仏さんになっていた所だ」
「ふふふ……すごいすごい。生魂の膜を張らなかったのに無事だったんだ? それにそっちのあなたは天津祓も使える……面白い面白い。じゃあ、葵も少しだけ本気を出そうかな? あまり呆気なく壊れないでね? あなた達は葵の大事な毬なんだから……」
「あんな風にされるのはゴメンだぜ」
「ふふふ……でも、最後まで使ってあげるわ。血が滲み、髪が乱れ、目が飛び出す程ボロボロになるまで……」
「勝手に想像を膨らませるのは構わないが……お前が毬を手に入れることは無い! ノウボウ・タリツ・ボリツ・ハラボリツ・シャキンメイ・シャキンメイ・タラサンダン・オエンビ・ソワカ!」
中指の腹だけ合わせ、他の指全てを組んだ手印を組み、真言を唱える讃我。
大元帥明王の真言と共に数珠を持つ手が紅い炎を灯したように光り始める。
そうして、彼はその光る拳を葵へ向けて放った。
光る拳から強い衝撃が烈風となって葵へ襲い掛かる。
「憑術、水障陣」
対して、葵はそう唱えて地面に両手を置く。すると彼女を囲むように円状の水の壁が地面から噴き出し、烈風を遮断する。
そうして、今度は水の壁が地面から幾つも噴き出しながら讃我達の方へと向かってきた。
「トホカミエミタメ!」
それを見て明日香はすかさず天津祓を唱える。
その瞬間、水の壁は讃我の目の前で止まった。
だが、讃我はその止まった水の壁の向こうから葵が頬を膨らませていることに気付き、大きく後ろへ跳びながら明日香へ叫ぶ。
「次が来るぞ!」
「憑術、鉄砲水」
讃我が警告をすると共に葵の言霊の声が聞こえ、幾つもの水の塊が水の壁を通過しながら讃我達へ襲い掛かる。
讃我は身体を屈ませてそれらを辛うじて避けるが、明日香は反応に遅れてその場から離れることが出来なかった。
仕方なく、彼女は天乃咲手を組んで十言神咒を唱える。
「アマテラスオホミカミ!」
見えない加護が明日香と美優を護り、辛うじて飛んでくる水の塊を防ぐことに成功する。
だが、防いだ為か水の塊は弾けてその飛沫が彼女達の顔を濡らし、視界を遮った。
だからこそ、明日香も美優も気付かなかった。
いつの間にか葵が自分達の目の前に移動していたことに―――
「ふふふ……好機。憑術、牢水」
(しまっ―――!)
明日香が気がついた時には既に遅く、葵は地面に手を触れて明日香と美優を地面から出た巨大な水の塊に閉じ込める。
更に水の牢獄の中に強い流れが起こり、それがまるで鎖のように明日香と美優の四肢を絡め取り、身動きすら封じた。
(こんな水の中じゃ祝詞を唱えられない! それに、手も動かせないんじゃ手印も……!)
「明日香! 月見里!」
「ふふふ……まずは一つ。これで盾は消えたわ。あとは矛……」
葵は讃我をゆっくりと見る。
彼はそれに対して、睨みつけるようにして応じた。
「二人を離せ!」
「ふふふ……離せ、と言われて離す訳ないじゃない。でも、安心して……巫女姫は殺しちゃいけないから息だけは出来るようにしたわ……」
「くっ!」
葵の言葉から溺死する心配は無いにせよ、これでは実質人質を取られていることと何ら変わりない。
だが、焦った所で事態は改善されない。手をこまねくよりも動いた方が状況は打開されやすい。
讃我は苦々しい表情を浮かべながらも親指を組み、更に人差し指を合わせたように指を組む。
不動明王の手印……不動根本印だ。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン!」
讃我の身体から凄まじい量の霊気が噴き出す。
それを見た葵は手を広げて前に出す。
「待っていろ、二人共! オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ!」
讃我は真言を叫びながら親指と小指を合わせたような手印を組んで葵へ向けた。
すると、彼の背後の空間から光り輝く杖のようなものが幾つも現れる。
讃我の唱えた真言は毘沙門天の真言……それは聖なる錫杖を無数に出して怨敵を穿つ戦神の真言である。
対する葵はそれを見て、呟いた。
「ふふふ……朧、あなたの憑術借りるわ。憑術、激流槍葬・千槍」
葵がそう言うと明日香と美優を囚えている水の塊から幾つもの槍の形をした水が浮き出てくる。
「水と光……どちらが勝るか……勝負だ! 行けッ!」
讃我がそう命じると光の錫杖は葵目掛けて一斉に飛んで行く。
それと同時に葵の水の槍も一斉に讃我に向かって行った。
互いに飛び交い、打ち合い、消える中……水の槍は讃我の頬を掠め、膝や脇腹を切り裂きながら通過する。
一方葵の方も着物の裾や袖を光の錫杖が貫いていく。
(讃我……!)
囚われている明日香と美優はその光景をただ見守るしか無い。
終いに水の牢獄の外は打ち合いによる粉塵に包まれ、視界が遮られる。
果たしてどうなったのか?
祈るように見守る明日香と美優の目の前がやがて晴れていく中、彼女達の目に映ったのは―――
「はぁ……はぁ……!」
「ふふふ……ご苦労さま」
身体中傷だらけで服がボロボロになった讃我と葵の姿であったが、葵がまだ立っているのに対し、讃我は息を乱して膝と両手を地面に付けていた。
(讃我!)
「ふふふ……かなりの真言を使えるみたいだったけど、使い過ぎてもう真言に使うべき法力が残っていないわ。不動明王の真言で自身の霊気を法力に変えていたのが何よりの証拠……」
「はぁ……はぁ……クソッ!」
一般に仏法に帰依する僧侶は他の霊能力者とは違い、霊力を法力という別なものに変化させ無ければ御仏の力を借りることは出来ない。
一方、それらの総称である生魂ことソウルライフならそのようなことをしなくても使うことが出来るのだが、讃我はまだ春輝からソウルライフの扱いについて教わっていなかった。
彼もソウルライフを使えばまだ戦えたのだろうが、法力に変えてから使う手段しか無い今の讃我では毘沙門天の真言こそが最後の手段であった。
だが、その策もついには尽きた。
「ふふふ……もう満身創痍ね。生魂もだいぶ弱っている……もう息をするのもだいぶ辛いでしょう? せめて、遊んでくれたお礼として……あなたを毬にして大事に使わせて貰うわね。憑装、水槍剣」
葵はそう言うと水の牢獄から先端が剣の刃になっている水の槍を取り出す。
明日香はそれを阻止しようともがくが、相変わらず身動き一つ出来ない。
「ふふふ……それじゃあ、さようなら」
葵はそう讃我に告げて持っている槍を振り下ろす。
讃我は覚悟を決め、歯を食いしばり目を瞑った。明日香も思わず目を閉じてしまう。
だが、その時であった。
一発の銃声が境内に響き渡り、同時に葵の持っていた水の槍が砕ける。
「ふふふ……今度は誰かしら?」
葵は手を静かに戻し、邪魔した者を見る。
讃我と明日香は未だに目を閉じている。その為、美優が代わりに葵の見ている方へ目を向ける。
(あっ……あの人は!)
美優が目を向けた先にいたのは以前彼女が修行をしていた時に神社に訪ね、明日香を応対したあの外国人であった。
「オウ……ナントカ、間二合イマシタネ……」
その外国人は青い目で笑い掛け、持っていた拳銃をそっと下ろした。