理由
「……悪かったな」
雪羅が去った後、春輝は徐に口を開いた。
辺りには気まずい空気が流れ、誰一人として彼の謝罪に対して応える者はいない。
それほどまでに一同が聞いた内容は衝撃的なものだったのだ。
「本当はこんな空気にするつもりは無かったんだけどな……」
申し訳なさそうに言葉を続ける春輝からは今までのような明るさは無く、その顔は曇りがかっている。
どんな言葉を掛けたら良いか……皆がそう考える中、一人幼い燐は唐突に春輝に聞いてきた。
「でも、どうして逃げたの?」
核心を突いたような質問だった。
場に緊張感が漂い始める。
しかし、そんな無遠慮な質問を受けた春輝は逆に渋い顔をする様子もなく。
宙を見上げ、ポツリポツリとその質問に答えた。
「そうさなぁ……詳しく言うと長くなるが……簡単に言うと戦うのが嫌になったからかな?」
「戦うのが嫌に?」
「あぁ、新霊組にいた頃は今まで自分が正しいと思って動いていた……けれど、ある時を境にそれが本当に正しいのか、と疑問を持つようになっちまったんだよ。疑問を持つようになったら人間は終わりだな。それを機に新霊組の活動に身が入らなくなっちまって……気がついたら戦うことが嫌になっちまったんだ。特に俺は戦闘特化の“丑”の隊長をやっていたもんだからさ……支障が出たりなんだりして逃げ出しちまった」
戦うのが嫌で逃げ出した―――春輝の言葉に美優は何も言うことが出来なかった。
自分は今、春輝に守られている……それはすなわち春輝の嫌だった戦うことを強要しているようなものだ。
そんな罪悪感に駆られ、美優が思わず謝罪の言葉を口にしようとした時、春輝は真っ直ぐに美優を見つめた。
「だけど……今は少し変わってきた」
「えっ?」
「戦うことが好きになった訳じゃないし、新霊組の時に抱いた疑問はまだ晴れちゃいないけど……けれど、この町に来て戦って……久し振りに昔の感覚を思い出したような気がする。新霊組に入った当初のな……だから、巻き込んで申し訳ないなんて思わないでくれ」
春輝の言う疑問や昔の感覚というのは美優には分からない。
けれど、それは春輝自身の領分であり、美優が口にするべきことではない。
だから、美優は何も言わずその言葉に黙って頷いた。
「よし、さぁこの話しはこれで終わりだ。せっかく虎次郎が奮発しておごってくれたんだ。どんどん頼もうぜ!」
「いや、それはどうかと思うけど……」
いつもの明るさを取り戻した春輝とその春輝を苦笑いで見る美優。
その様子を見た讃我と明日香は互いに顔を見合わせた後、微笑みを浮かべ、小鈴はホッと息を吐く。
そんな状況の中、燐はふと思い出したように春輝へまた尋ねた。
「ねぇねぇ! そう言えばあのお兄ちゃん、燐を助けてくれた時に男の人を目を見ただけで倒したけど……あれも憑霊使いの技なの?」
燐が言っているのは公園で虎次郎が襲い掛かろうとした男を手も出さずに地面に倒したあの出来事である。
傍から見れば、あれこそ何かの術か何かを使ったかのように見える。
だが、春輝から返ってきた言葉は意外と簡単なものであった。
「あぁ、あれか? あれは憑霊使いの技でも術でもねぇよ。合気道の技術の応用だ」
「合気道?」
合気道が何なのかよく分からない燐に春輝は説明した。
「護身術の一つでな。僅かな力と身体の動きを利用して相手を制する体術だ。虎次郎がやったのはそれの上級技術……相手の殺気と自身の殺気を同じ強さに調整してぶつけ、目を通して相手の動きを操る技術だ。これを使えば相手は視線だけで操られたかのような錯覚に陥る」
「そ、そんなのがあるのね……」
「憑霊使いってのは色々な妙技を持つんだな……」
呆気に取られる讃我と明日香。
だが、当の春輝は平然と答える。
「まぁ、芸は身を助けるって言うしな……新霊組所属の憑霊使いは最低でも他宗教の術と剣術や柔術といった護身術をある程度身につけることが義務付けられている。これは補助専門の部隊の隊員も同様だ。まぁ、ある程度って言っても一つ習得すれば良いだけの話しだ」
「簡単そうで意外と入るのが難しいんだな」
「まぁ、相手が憑霊全般だからな。外国の憑霊が襲ってきても対処出来るようにしているのさ。……そういえば、外国といえばこんな話しを正吾から聞いたんだけど―――」
春輝はそこで正吾が依頼されたことを皆に伝えた。
それはバチカンから来たといわれる司祭枢機卿のことである。
「……なんでそんなお偉いさんがよりにもよって今ここに来てるんだよ……」
「不動先輩、それは俺も同じことを言った。という訳でなんか変な外国人を見たら教えて欲しいんだけど……」
「そういえば……今日ウチの神社に日本語が上手な外国の方が来たけど……」
「えっ!? それ本当?」
「うん、アタシの修行の休憩中に来たの」
「あぁ、そういえばおれの寺にも明日香に紹介されて来たっていう外人が来たな……もしかして、そいつか?」
「げっ、マジかよ……一日どころか半日違いかよ……」
明日香、讃我、美優が口々にそういう中、春輝は軽く舌打ちをする。
これが一日、二日ならなんとか諦めがつくのだが、ついさっきとなるとどうも悔しい。
そんな春輝に先輩達は年長者らしくアドバイスをした。
「まぁまぁ、そう気落ちしないで。讃我のお寺に行ったってことは今夜はこの辺りのホテルかどこかに泊まっているかも知れないわ」
「確かにな。おれもどこか紹介してくれって言われた時は近くにある馴染みの寺しか言ってないからな。その寺の者に連絡を取って行き先を聞いておく」
「悪いな。桐崎先輩、不動先輩。俺からも正吾に言っておくわ」
「燐も外人さんを見つけたら教えるね!」
「アタシも千夏とかに頼んでみる。千夏はこういうの好きだから……」
「皆……悪いな」
春輝はこの出会った仲間達に感謝した。
けれども内心でどこか不安があった。
別に仲間が信じられないという訳では無い。
不安な部分はその仲間が協力してくれることによって何か危険な目に遭わないか、という懸念だ。
滝夜叉姫は恐らく暫く動けない。しかし、その裏で以前から暗躍している謎の憑霊使い……そして、その枢機卿が何者かに命を狙われているという情報。
そのことがどうも引っかかった。
彼の勘なのだが、これは恐らく繋がっている。
もし、万が一にも春輝がいない時に皆がその憑霊使いと遭遇したら……恐らくタダでは済まない。
「だけど皆……もし、その外人を見つけても変に接触しようとしないでまず俺に教えてくれ。あと、もしその外国人が何者かに襲われているのを見た時は……どんな相手であれ決して立ち向かおうとせずにすぐに逃げるんだ」
「春輝君!?」
助けずに逃げろ―――その他者を見捨てるような発言に一同は驚きを隠せない。
「随分と冷徹だな、五十嵐」
「俺は正直なことを言ったまでだ。断言する。憑霊と憑霊使いは違う。もし、憑霊使いが敵に回ったら……確実に死ぬぞ」
確実に死ぬ―――数々の死線をくぐり抜け、尚且つ憑霊使いである春輝の言葉は重く妙に説得力がある。
その為、誰も反論することは出来ず息を呑むことしか出来なかった。
「憑霊には詠唱や真言は効く。だが、憑霊使いは生きた人間だ。そんなのは効かない。だから出会ったら逃げて欲しい……勝手なことばかり言ってなんだけど、頼む」
そう言って頭を下げた春輝は苦悶の表情だ。
美優はそれを見て内心思った。
(いつもの春輝君と……違う)
そして、それは小鈴も同じことであった。
なんというか、二人にはいつもの覇気が無い。
「……悪いけど、今日はもう帰る。行くぞ、小鈴」
「はい」
ようやく頭を上げた春輝は突然そう言うと小鈴を連れて店を出ようとする。
それを見て、燐と美優も慌てて席を立った。
「春輝君! すいません、先輩……アタシも今日はこれで……」
「あぁ、気にするな。それより五十嵐について行ってやれ」
「なんだか、今日の彼少し変だから……月見里さん、また明日ね」
「はい。それじゃあ、失礼します」
讃我と明日香に頭を下げ、燐と共に店を出た美優は先に店を出た春輝のあとを追いかけた。
「待って、春輝君! ねぇ、待ってよ!」
「……美優」
立ち止まって振り向いた春輝にようやく追いかけて来た美優は息を乱しながら問いかけた。
「どうしてあんなことを言ったの!? 逃げろ、とか死ぬ、とか……なんだか今日、いつもの春輝君らしくないよ!」
春輝がこんな態度を取ることは今に始まったことではない。
いつも戦いになるとこうなることは知っている。
それでも、オンとオフを切り替えるように戦い以外での春輝は明るくドジを踏むことはあっても日常を謳歌していた。
けれども、滝夜叉姫の配下であった蜘蛛丸と夜叉丸との戦い以降、春輝はなんだかそのような様子を見せなくなった。
前までは補習をしたり授業中に居眠りなどは普通であったが、このところの彼は授業中でも何か考え事をしていたり、学校が終わったら真っ直ぐに帰って燐の修行に付きっきりな状態である。
まぁ、燐もそれを望んでいた訳だから修行自体は地味であれ嫌ではない。
しかし、傍から今まで春輝を見ていた美優は彼の微妙な変化に気付いていた。
「なんだか、最近の春輝君……余裕が無いように見える」
「そう……か?」
口ではそういうものの言葉が一瞬詰まった所をみると彼も薄々は自分の変化に気付いているらしい。
美優から視線を逸らすように彼女に背を向けた春輝は暫くその場で佇む。
そうして、暫くしたあと絞り出すように声を出した。
「……そうでもないさ」
そうしてまた歩き出した春輝を美優は止めることが出来なかった。
見栄を張っている、と聞こえは悪いがこの短時間で色々あったことを考えれば今の春輝が少しでも平常を保つには少し一人にした方が良いのだろう、と思ったからだ。
そんな美優に小鈴は頭を軽く下げ、春輝とともに立ち去る。
その態度はまるで春輝の心中を察してくれた美優に対してまるで礼を述べているかのようであった。
「大丈夫。あとは燐達がついて行くから…………おねぇちゃん、またね!」
「うん。またね、燐ちゃん」
そんな美優の心中をこれまた察した燐が明るく別れを告げて去っていくのを美優は静かに見送った。