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最近すっごく楽しそうねと、隣の課の先輩に言われた。
「あ。ソレ、あたしも思った。この頃の逸美ってなんか、こう・・楽しそう。?って言うか・・」
美菜は「う~ん」と腕を組んで言葉を探している。
今日は美菜と二人昼食を社員食堂でとり、午後の就業が始まる前にメイク直ししなきゃと化粧ポーチ片手に寄ったトイレの洗面台の前で、二つ上の先輩OLに声をかけられた。
「ああっ!そうっ。充実っ!充実してるってカンジなのよ!終業時間が近付くとソワソワしてくるし」
「え、そ・・かな?」
探していた表現が見つかり、スッキリした顔で鏡に向かう。美菜お気に入りのローズ系のピンクのルージュで唇を彩ると、元々の華やかな面立ちが更に際立った。
最近は念入りメイクをしなくなったあたしは、簡単に口紅だけ治して、美菜が終わるのを隣で待っている。
例年よりもずっと短かった今年の秋ももう終盤だなと思わせる寒い11月初旬。さすがにタイル張りのトイレは冷える。更にはこのところググッと気温が下がったのに、職場用にと用意したカーディガンは薄手の物しかなく、寒さに耐え切れず、さっきの昼休みにコンビニで使い捨てカイロを買ってきた。
ポツリポツリとではあるけれどクリスマス商品が並び始めた棚を見て、しみじみ思った。時間が経つのってホントに早い。子供の頃って1日が早かったけれど、オトナになると1年が早く感じるようになる。不思議と1日が早く感じたりはしないんだけど。
「沖田君も「もしかして新しいカレシができたのかな?」って言ってたもの。・・・で?実際はどうなの?」
興味津々の美菜に苦笑し、首を振って否定する。
「まさか。・・もう暫く恋愛事はいいわ。あたし男を見る目がないみたいだし、他に楽しいことあるしね」
「うわぁ!22歳の花盛りのセリフじゃないわ。ソレ。ヤバイわよ。枯れてきてるわ~」
美菜のからかい口調にべーと舌を出す。何とでも言いなさい。あたしは今十分楽しいから、これでいいのよ。
最近のあたしが何故ご機嫌なのかを知っている美菜は、やれやれと肩を竦めただけだった。
カレと別れた夏。本当なら打ちのめされて落ち込んで、何日も泣いて過ごすはずだったけど、ある事のおかげであたしは失恋の痛みに押し潰されたりしなかった。
「ねぇ、彼に会ってみたいとか思わないの?」
メイク道具をポーチにしまってトイレを出る。廊下を歩きながら質問され、あたしはう~んと唸った。
彼というのは、毎日のように手紙の遣り取りをしてはいるけれど、実は名前も顔も知らない相手。恋の終わりと入れ代わりのように、そのヒトとの交信が始まった。
お互いに正体を知ろうとはせず、自身を明かすようなことも書かない。ただその日あった面白い事とか、ちょっとしたグチを聞いたり聞いてもらったりしている。
「どんなヒトなのか、興味はあるけど・・・でも、知らないほうがいろいろ話せるっていうか、ガッカリとかされたくないし・・」
「なんでガッカリなのよ?」
「・・・あたし美人じゃないから」
別に恋愛するつもりじゃないから,あたしの顔なんて関係ないんだけど、でもやっぱり男のヒトからしたら相手はブサイクより美人のほうがいいはず。
落胆されて、もう文通もやらないと言われたら絶対にショックだし、そうならなかったとしても、もし会ってみたら彼があたしの好みのタイプで、万が一でも懲りずに恋をしちゃったりして、また失恋なんてことになったらきっと酷く落ち込んじゃう。そのうえ、その時は多分カプセルのような傷心を癒す物はないと思うから、ホントの本気で立ち直れなくなっちゃう。
エレベーターの前で何か言いたそうな美菜と別れて、同じく昼食から戻ってきたほかの社員と一緒に乗り込む。課のある3階に着くまでのわずかな時間、ちょっぴり下降した気分を立て直すため、これまで彼にもらった手紙の数々を思い出していた。なのに、
帰宅して夕飯を取ってからゆっくりとお風呂に入り、ホカホカと機嫌よく自室に戻ってきたあたしを待っていたのは、彼からのカプセルだった。けれどウキウキと開いた紙面に書かれていた文字をたどり、ギュッと眉根にシワが寄る。
【メアドを教えて欲しい】
なんで急に?
これまでも全く相手を知ろうとする文面が無かったわけじゃない。でもそれと無くかわしているうちに彼も察してくれたみたいで、こんな風に率直に訊かれたのは初めてだった。
【どうして?】
呆然と手紙を見つめていたが、のろのろと立ち上がりいつものメモ帳を取り出す。もちろん彼の要望には応えず、なぜなのか理由を訊き返す。今現在の心地よい距離から動きたくなくて、拒絶を含ませたあたしの意思表示。
当惑が指先にも出ているらしく上手くカプセルのフタが閉まらないうえに、最近ではあまり失敗しなくなった送信もなかなか思うように転がってくれない。
何度も繰り返し、やっと送り出せたあと、グッタリとベッドに腰掛ける。今日美菜と話してたことを思い出し、同時にそのとき考えていたことも思い出した。
会ってガッカリされたくない。
グルグル考えているうちに段々と落ち着いてきた。そうなると、会いたいと言われた訳じゃないのに動揺している自分がおかしく思えてきて、ベッドにバフンと仰向けに寝転ぶと天井を見上げながらクスクスと笑い出していた。
あたし変。暫く恋なんかしないとか思ってるくせに、美菜の問いや手紙に揺さぶられて、恋を意識してるみたいな方向になってた。よくよく考えてみると、もしメアドを教えたからって会うことになるとは限らないし、カプセルが携帯に代わるだけで二人の距離は何も変わらない。
一頻り笑って浮上した頃、彼からの返事。僅かになにかがまだ、胸の真ん中に残ってるような違和感はあったが、それでもカプセルを無視することなく拾い上げた。
時間をかけて手紙を開き、書かれていた言葉に首を傾げた。
【転勤するかもしれない】
え・・転勤?
すぐにはピンと来なかった。でも手は次のメモに伸びていて、反射のように一言だけ書く。迷いがないからなのか、カプセルは揺らぐことなくまっすぐに進み、一度でアチラへと渡った。
【たぶん年度末】
いつ?との質問にすぐに答えが来る。待ってる間に状況が飲み込めて来たあたしは、彼の転勤が二人の関係に終わりを齎すものなのだと、遅ればせながら気がついた。
【引っ越すの?】
【社寮に入ると思う】
彼はアパートを出る。・・と言うことは、
【じゃあ春になったら終わり?】
嫌だ。このまま終わりたくない。
顔を知らない。名前も知らない。住んでる所は関東の南部ぐらいとしか分からない。以前あたしがひとつだけ・・髪が短めだということだけ伝えた代わりに、彼からもひとつ、9月で25歳になったと教えてもらった。
知ってることはほんの僅か。でも、彼の存在は今のあたしにとって、あって当たり前になりつつあった。
【終わらせたくない。メアドを教えて】
懸命に繋がりを切らせまいとしてくれる彼からの返答を素直に嬉しいと思う反面、どうしても今以上に踏み込む勇気が出ず、躊躇いにペンを持つ手が止まる。
あたしが応えなければ、春には終わる。断られたことに気を悪くしてその前に終わる可能性だってゼロじゃない。それにもし応えてメアドを教えたとして、本当に彼はこの関係を続けてくれるんだろうか?
どうしても思考が後ろ向きになってしまうのは、あたしが自分に自信が持てないから。
【考えさせて】
ズルズルと考えて引き伸ばして、結局答えは出なかった。