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カラン・・とグラスの中の氷が鳴る。


呼び出されて訪れた喫茶店。テーブルの向こう側には、今は誰もいない。

さっきまでそこにいたカレは、言うことだけを言うとさっさと席を立ち、最後に一言、「ごめん」と呟くように告げ、伝票を手に取り会計を済ませて店を出て行った。


『彼女、妊娠してるんだ』


衝撃的な告白のせいで目に見えている景色がぼんやりと色あせた。

後に続けられた「卒業を機に結婚する」とか「彼女の父親が経営する会社に勤めるんだ」などという話は、そのときには全然意識に引っ掛からなくて、カレの姿がなくなってから反芻して、ああ・・そうなんだと思った。


一口も口をつけないままアイスティーのグラスの氷はほとんどが溶け、琥珀色のグラデーションを作り出している。

冷房の効いた店内とは別世界のような、陽炎で揺れて見える外界に視線を移す。忙しなくハンカチで汗を拭き続ける小太りの中年サラリーマンの横を、日傘を差した和装の老婦人が涼しい顔ですれ違って行った。


静かに流れるクラッシックに未練は残るけれど、あたしは空になった向かいの席に「バカ」と呟き立ち上がった。




世間はお盆休みの真っ只中。ウチでもお母さんがお萩を買ってきたし、少し離れた場所にある母方のおじいちゃんが眠るお墓にもお参りに行ってはきたけれど、家にはまだ仏壇がないからお寺さんに仏様を迎えに行くとか迎え火を焚くとかってわけでもないし、お客さんが来る予定もない。

本当に『お盆休み』ってだけ。あたしには。


「ただいまー」


ついでにと頼まれたそうめんを買って帰ると、「おかえりー」とお母さんのものではない女性の声があたしを迎えた。

クーラーをつければ涼しいのに、リビングとダイニング の両方の窓を全開にして、わざわざ扇風機で涼を取っている。


「あー、夏実(なつみ)叔母さんだー。どうしたの?」


スーパーの袋をお母さんに手渡しながら、リビングのソファでふんぞり返る年の近い叔母に訊ねた。


「住吉の家に線香あげてきた帰りなのよ。逸美はどこ行ってたの? こんな暑い日に」


住吉(すみよし)はお母さんの旧姓。

お母さんの一番下の妹である叔母さんは、お母さんと・・叔母さんにしたら姉なんだけど、年が九つも離れている。イコール、あたしと年が近いこともあり、叔母というよりもお姉ちゃんってカンジで、小さい頃から親や友達に相談しづらいことは夏実叔母さんに訊いていた。


2.5人掛けの広いソファを独り占めされているので、あたしはナナメ左の一人掛けのソファに腰を下ろした。


「ちょっとね。あ、そうだ! 今日、(しょう)くんは一緒じゃないの?」


渡したい物があるんだケドと、叔母さんの一人息子の姿をキョロキョロと探してみた。前に会ったときハマッてるゲームの話を楽しそうにしていたのを思い出し、あたしの部屋でポツリと佇むピンクのモンスター人形を貰ってもらおうと思ったから。


「ごめ~ん。生は一緒じゃないのよー。パパにくっついてアチラの実家の仏様参りに行っちゃったの」


実家と言っても旦那さん・貴生(たかお)さんの生家じゃなくて、貴生さんの祖父母の位牌がある、彼の父親の実家・・う~ん、ややこしい・・・だそうで、夏実叔母さんより六つ年下の貴生さん側の兄弟イトコには、みんな一様に5歳の生くんと同じ年頃の子供がいて、正月とお盆には一斉に集まるらしい。


「凄いわよ~。上は11歳から下は3歳まで、子供の数だけで15人! その親・・ウチの人の兄弟とイトコね。親たちとその連れ合いを足して、更にお義父さんの世代の兄弟、そしてその子供たち孫たちまで同じ日に重なった時にはもーう・・・・・・両手両足の指じゃ数え切れないくらいなんだから!」


・・・まあ早い話、生くんの遊び相手には事欠かないってことなんだね。


「みんな集まるのに叔母さんは行かなくてよかったの?」


よく考えてみると、ヨメの立場でサボりはまずいんじゃないかと心配して訊ねると、丁度用意が出来たらしくガラス製の大皿に見栄えよく盛られたそうめんと3人分の小鉢をお盆にのせて、ふふふっと意味深な笑みを浮かべたお母さんがリビングにやってきた。

ローテーブルにそれらを置きながら、叔母さんと視線で合図を取り合い頷いている。


「ねぇ逸美。なんでこの部屋クーラーつけないのかわかる?」


「え? クーラー? ・・壊れちゃったとか?」


「まさかー。壊れたんなら今頃は電気屋さん呼んで修理してもらってるわよ」


そこまで言うとしゃがんでいた姿勢から立ち上がって、ダイニングキッチンへと戻っていった。今度は手にめんつゆのボトルを持って再びリビングに来ると3つの小鉢にそれぞれ注いでゆき、エプロンのポケットから割り箸を取り出して差し出してきた。


「う~ん・・電気代がかかるからって節約?」


「今更1日だけクーラーやめて一体いくらの節約になるのよ? 3・・2・・1・・はい。ブッブー! 時間切れです。さて正解は?」


子供みたいにはしゃいだお母さんは床の上に直接ぺたりと座ると、いそいそと割り箸を割って小鉢に麺を取った。その上でいつの間にか既にそうめんを食べ始めていた叔母さんに解答を求める。


「えー? 姉さんそこでワタシに振る? ・・まあ、いいけど。あのね・・・」


叔母さんは、手にしていた箸を置き改まった様子で居ずまいを正すと、ほのかに頬を赤らめて照れ臭そうに笑った。


「お医者さんに行ったら4ヶ月だって言われたのよ」


「え・・・・・・えと、ソレって『おめでた』ってこと?」


そうめんに伸ばしていた箸先が宙で止まる。つやつやのそうめんに触発されていた食欲が一気に減退した。

なんだろう、このタイミング。せっかく忘れてたのに、さっきカレに・・元・カレにされた話を思い出して気持ちが下降する。


「そう。だから騒がしいアチラは遠慮させてもらったの。もうね、びっくりしたわ~。この年で妊娠すると思わなかったんだもん」


「ほんとよー。夏実ッたら来年には40なのよ。高齢出産でしょ。大丈夫かしら?」


「いやね、姉さんッたら。高齢出産って言ってもあたし、初産って訳じゃないんだから。お忘れのようですけど、まだたった5年前に生を産んだばかりですからね」


二人できゃいきゃいとおしゃべりしつつ、それでも大皿の中のそうめんが見る見る減ってゆくのを、進まなくなった箸で彩のために添えてあった缶詰のみかんを摘みながら眺めていると、それに気付いたお母さんが「どうしたの?」と覗き込んできた。


「なんでもない。って言うか、さっきともだち(・・・・)と喫茶店でパフェ食べて来ちゃったから、まだおなかすいてない・・かな?」


ヘラリと笑って箸を置く。


「あたしは後で食べるから、今はいいや。ごちそうさま」


「そお? 後でって言っても多分残らないわよ。そろそろ直樹も帰ってくるだろうから」


壁にかかった掛け時計をチラッと見やり、朝から部活動に出かけている息子の名前を出した。

食べ盛り伸び盛りの中学生の胃袋は、某ネコ型ロボットの四次元ポケット並に許容量が半端じゃない。目に付く物は何でも食べちゃって、直樹の通った場所はぺんぺん草のひとつも残らない。


思ったことを告げると、「ヤダ、ソレは言いすぎよ~」茄子とレバーは残すわよ。キライだからと控えめな否定をしながらも、それを聞いて大笑いする叔母さんと一緒になってお母さんも笑った。


「とにかく今はいいわ。ちょっと眠いから昼寝してくる。夏実叔母さんよかったね。おめでとう。貴生さんにもおめでとうって伝えといて」


「うん。逸美、ありがとう」


本当に心から嬉しそうな叔母さんの笑顔に、あたしはこの吉報を心底喜べているか、自分でも解らなかった。



僅かに後ろめたい気持ちで自室に戻ると、もう誰かに遠慮する必要もないからとすぐに開いてた窓を閉め、冷房のスイッチを入れた。微かにモーターの音がし始めるのを聞き、冷風が直接当たるテーブルの前に腰を下ろし、頬杖をついて未だそこにいるピンクのモンスターを見下ろした。


「叔母さんが帰る前に渡しておかなきゃ・・」


人差し指でぐりぐりと頭をなでる。たいして可愛い顔をしているわけじゃないけれど、こうして毎日見ているとそれなり(・・・・)に見えてくるから不思議だ。


コツン・・・


もうすっかり慣れた、プラスチックの軽い音が聞こえた。いつもの場所にいつもの物が、たった今クローゼットの足元に届いた。

横着して四つん這いで移動し、ごろんと腹這いに寝転がって不定期便であるカプセルに手を伸ばした。

・・? なにかいい匂いがする。


半分透明のカプセルの中には、紫色のフワフワしたものが入っていた。一緒に入れられているメモはいつも以上に小さく畳まれており、紫のフワフワに擦れて所々が少し青く色移りしてしまっている。


「ぅわあ・・っ」


フタを開けるとこぼれ出てきたモノはラベンダーの花。量はそれ程ではないが、まだ摘んで間もないようで、とにかく香りが強い。一瞬にして部屋中にラベンダーの匂いが充満した。

色だけではなく香りまで移ったメモを丁寧に開き、やや癖のあるカクカクとした文字を目で追う。


【両親からの北海道土産。おすそ分け】


北海道?お盆前のメモには確か『那須』の牧場にデートって書いてあったような・・・

どちらにしろ()のご両親のバイタリティーには感心しちゃうし、何年たってもラブラブなんてステキ。

花を贈ってくるなんて気障なことをするくせに、書かれていた一言はあっさりと色気の無いものだ。だけど彼がこの花の香りをあたしにも楽しんでもらいたいと思って送ってくれたことはとても強く感じられた。


クスリと笑みが漏れる。彼にはいつもこうして救われている。彼にそんなつもりはないのだろうケド、結果的にあたしが酷く落ち込んでるときに連絡が来る。必ずと言っていいくらいに。


「ほんと、マメだなぁ・・」


彼の恋人はきっと幸せだろうなぁと、いるかどうかも分らない存在を羨ましく思う。常に気に掛けてくれてて、高価ではないけどサプライズでちょっとしたプレゼントを贈ってくれたりする。

別れたカレは一度だってあたしのために自分のスケジュールを変更してくれたこと無かったし、あたしが社会人だからなのか、外食やコンビニの支払いは大概があたしに回ってきていた。


まだ瑞々しいラベンダーの花に顔を近づけ香りを深く吸い込む。ささくれ立った心が柔らかく撫でられているように癒される。


花を一つまみ、本棚から抜き出した中学時代の英和辞典に挟むと今度はドレッサーの前に座り、抽斗からメモ用紙とペンを取り出す。嬉しい気持ちを伝えるために、「ありがとう」から始まる返事を書いてカプセルに詰めた。




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