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アイン  作者: さき
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第五話 日常の片割れ

次の日────


時雨堂は元々、働き手を募集していなかった。

それでも私は、何日も何日も文蔵さんの元へ通い、ようやく働くことを許してもらえた。


文蔵さんを騙していることに、わずかな後ろめたさはあった。

それでも——止まれない。


復讐だけが、私の生きる理由だった。


家族は、きっとこんなこと望んでいない。

もし見られたら、きっと止められる。


それでもいい。


これ以外、何もいらない。

何年かかろうが、あいつを殺さなければ、私は前に進めない。


友達も、仲間も、大切な人もいらない。

作るつもりもない。


私はただ、復讐を企む逆炎者に過ぎないのだから。


——だから、他人がどうなろうとどうでもいい。


そう、思っていた。


まさか、自分がこんなことをするなんて——


三十分前―――


今日は仕事の日。

いつも通り、時雨堂へ向かった。


だが店に着いた途端、男の怒鳴り声が響いた。


「おい!!どうなってんだ、この店は!!」


「お客様、どうか落ち着いてください」


店の前で、男と文蔵さんが言い争っていた。


焔花は咄嗟に駆け寄る。


「どうしたんですか?」


「あぁ、焔花」


「誰だ、お前は!」


「ここの従業員です。何かありましたか?」


男は舌打ちをしながら、一冊の本を突き出してきた。


「これ、見ろよ」


ページを開くと、大きなシミが広がっていた。


「昨日買ったんだよ。なのにシミがついてんだ。おかしいだろ?」


「だから金返せって言ってんのに、このジジィがよ」


文蔵さんが静かに口を開く。


「申し訳ありません。しかし、お渡しする本はすべて事前に確認しております。ご購入の際にも、ご一緒に確認をお願いしました」


「はぁ?見落としがあったんじゃねーのか?俺だって細かく見てねぇんだよ」


文蔵さんは、本を一冊ずつ丁寧にめくる人だ。

見落としなんて、あるはずがない。


この男の狙いは明らかだった。

本と金を同時に手に入れるつもりだ。


「申し訳ありませんが、そのような事例はこれまで一度もございません。お客様ご自身でつけられた可能性はありませんか?」


「ふざけんな!!」


男は文蔵さんの胸ぐらを掴んだ。


「さっさと金返せ!」


「警察を呼びます」


文蔵さんがスマホを取り出した瞬間——


ドンッ!!


鈍い音とともに、文蔵さんの体が吹き飛んだ。


「っ……!」


「文蔵さん!」


顔は腫れ、血が滲んでいる。


「キャーッ!」


周囲から悲鳴が上がる。


「警察!」


誰かが通報した。


「ちっ……」


男は舌打ちし、ナイフを取り出した。


「金を出せ!!早くしろ!」


文蔵さんと、私に刃が向けられる。


それでも文蔵さんは立ち上がった。


「金はやらん。本も置いていけ」


「……あぁ?」


「お前などに本を読む資格はない。本が可哀想だ」


「文蔵さん……」


「このクソジジィがぁぁ!!」


男がナイフを振り上げた。


——その瞬間。


私は地面を蹴った。



手首を掴む。

ひねる。


「なっ——!?」


ナイフがカラン、と音を立てて落ちた。


そのまま腹へ、一撃。


ドスッ。


鈍い音とともに、男は崩れ落ちた。


気づけば、体が動いていた。


周囲の視線が、一斉に私へ向く。


「焔花……」


(やってしまった)


男を見下ろしながら、そう思った。


パチ、パチ、と拍手が起こる。


「すごい……!」


「ナイフ持ってたのに……!」


「……」


私は何も言えず、文蔵さんの元へ駆け寄った。


「大丈夫ですか?立てますか?」


「……あぁ……それより焔花——」


文蔵がふと焔花の首元に視線を落とした


わすがに、その目が細められる。


その時。


「ウーーーーーー」


パトカーのサイレンが鳴り響いた。


警察官が駆け寄ってくる。


「通報を受けました!ナイフを持った男が——」


倒れている男を見て、言葉を止めた。


「あぁ!その子がやったのよ!」


「すごかったわ!」


「君が……?」


警察官は驚いた表情で私を見る。


私は、何も言えなかった。


その時、文蔵さんが口を開いた。


「この子は昔、合気道をやっていてね。これくらいは朝飯前なんだ」


——え?


思わず目を見開く。


そんな話、したことはない。


「そうか……しかし危険だ。無茶はしないように」


「……はい」


「そちらの方、怪我がありますね。病院へ。君も付き添ってくれ」


「……はい」


その後、私たちは病院へ行き、事情聴取を受けた。


男は傷害罪で逮捕され、気づけば夕方になってしまった。


帰り道、お互いに言葉はなかった。


焔花は混乱していた。

こんなことは、今まで一度もなかった。


これまでも似たような場面を目にしたことはある。

人質事件のときも、何度か——


けれど、そのたびに目を逸らしてきた。


人前は避ける。

目立たないように生きる。

この力が知られないように、違和感を持たれないように。


そうやって、やり過ごしてきたはずだった。


——なのに。


あの時、体が勝手に動いていた。


(どうして……)


「……」


ふと、視線を感じる。


文蔵が、こちらを見ていた。

何か言いたげな表情で。


――――――


気づけば、時雨堂の前に立っていた。


カランッ


「入りなさい」


焔花は無言のまま、店の奥へと入る。


しばらくの沈黙の後、文蔵が口を開いた。


「今日は、すまなかったね。助けてくれてありがとう」


「いえ……大したことはしていません。それより、傷は大丈夫ですか?」


文蔵は口元に手を当てながら言った。


「あぁ、大丈夫だよ。殴られたのは何十年ぶりかな」


文蔵は、どこか楽しそうに笑った。


「……あの」


焔花は、少しだけ間を置く。


「どうして、嘘をついたんですか?」


「嘘?」


「合気道なんて、やったことありません」


「あぁ……」


文蔵は、わずかに目を細めた。


「そうだったかな?」


「はい。文蔵さんに自分のことを話した覚えなんてありません」


文蔵は、目を合わせようとしなかった。


「すまない、誰かと間違えたみたいだ」


「さぁ、今日はもう上がっていいよ。焔花も疲れただろう」


そう言って、本の整理を始める。


(……嘘だ)


胸の奥が、ざわつく。


(何か隠してる)


焔花は、そう確信した。


「文蔵さんっ!!」


これまでに出したことのない声量で、名を呼ぶ。


文蔵の手が、ぴたりと止まった。


「嘘はやめてください!何か言いたいことがあるなら、はっきりしてください!」


「………」


短い沈黙。


やがて、文蔵はゆっくりと振り返った。


「僕は、ずっと引っかかっていることがあるんだ。焔花、聞いてくれないか?」


「引っかかっていること……?」


焔花は、無意識に唾を飲み込んだ。


「僕にはね、古くからの友人で警察に勤める奴がいてね。もう定年退職してしまったんだけど」


「彼は、十年前に起きたアイン殺人事件の捜査を担当していたんだ」


「捜査を……?」


わずかに、指先が強張る。


当時のアイン殺人事件は、逆炎者と犯罪者の両面から捜査されていた。

炎衛軍と警察による合同捜査——


「彼は人一倍、犯人を見つけようとしていた。その話はよく僕にもしてくれてね。どんな小さな手がかりでもいいからと、よく聞かされていた」


焔花は、何も言わずに聞いている。


「だが結局、犯人は見つからなかった。彼は五年前、何も掴めないまま定年退職した」


文蔵の声は、どこか静かだった。


「……だけどな」


一拍、間を置く。


「彼が辞めた年。ある本を見つけたんだ」


「本……ですか?」


「あぁ。古い書物でね。そこには——炎の模様が描かれていた」


その言葉に、焔花の瞳がわずかに揺れた。


(……まさか)


「僕はそこで気づいたんだ」


文蔵の視線が、ゆっくりと焔花へ向く。


「彼が見せてくれた資料の中に、焼け跡から見つかったネックレスがあった」


「焼けていて、はっきりとは分からない。だが——」


「それらを合わせると、炎の模様になる」


焔花の手が、無意識に首元へ触れかけて——止まる。


「炎衛軍も警察も、その事には気づいていない。だからね、ここからは僕の妄想なんだが──」


「そのネックレスは、一つ違和感があった」


「違和感……?」


「それは──」


ほんのわずかに、声が低くなる。


「見つかったネックレスでは、その模様は完成しないという事だ」


「……っ」


焔花の呼吸が、わずかに乱れる。


「それって……」


「あぁ」


文蔵は、静かに言った。


「もう一つ足りないんだよ、ネックレスの数がね」


空気が張り詰める。


「中途半端な模様にすると思うかい?だから僕はこう思う」


そして——


「アインは、七人存在しているということだ」


焔花の瞳が、わずかに見開かれた。

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