ガード下
ガード下
「カッ、カッ、カッ、カッ、カッ……」
靴音が聞こえる。
かなり早い靴音。靴のかかとがガード下に響き渡る。
ガード下の飲食店街。
通路の両側は居酒屋、バー、スナックがまばらに立ち並ぶ。
しかしここは平日の朝8時過ぎ。店はもう全部閉まっている。
通路を照らすのはか細い蛍光灯の列だけ。
私はかなり酔ってこのガード下の通路に横たわっている。
意識はあるが足がもつれて歩けない。
私等いないかのように靴音が通り過ぎていく。
何足も、何足も。
朝の勤め人の足は速い。
私は昨晩この通路沿いにある女主人のバーで飲んでいたのだ。
明方近くになり、店は私と女主人だけになった。
女主人も飲んでいた。
二人は店で好きな音楽をかけて音楽の話をしていた。
暗闇と酔いに音楽。楽園だ。
女主人は私を外に放り出すかのように追い出した。
彼女も相当酔っていたので、眠りたかったのだ。
店に鍵をかけて中で一人で寝ている。
私はガード下の冷たいコンクリートに頬をつけて横たわっている。
酔いつぶれて眠るのに場所などどうでもよい。
*
昨日は普通に働いていた。
全くいつものように。
気楽さと、緊張で満たされた一日。
そしていつも通り遅い時間迄働き、退社した。
電車を降りて駅から家とは反対方向の女主人のバーに寄った。
それも何日かに一回の普通の出来事だ。
昨日の朝は普通に出社した。
〔return 0;〕とか書くのが私の仕事だ。プログラマというやつだ。
私の勤務先のオフィスは全く小奇麗だ。
天井に整然と並ぶ蛍光灯。
その下に整然と並ぶ机。
机はパーティションで区切られている。
その区切られた空間で私達は部品として黙々と働く。
見た目にはオフィスの全様は精密な機械のようだ。
区切られたパーティションの中では、皆視線をめまぐるしく動かして仕事をしている。
良心と自己保身のせめぎあいが続く、そしてやっつけの結論を記して、疑いの心を踏み越えて先へ先へ進む。
だがそんなことは全く表には出さない。私達は誠実で清潔な集団なのだ。
計画、尊重、競争、嫌悪、打倒、隠蔽、取引、検証。
いろいろな単語で表される行為を毎日全速力で繰り返す。
この美しき精巧さ。
*
この国では酔いつぶれて倒れているぐらいでは強制排除は無い。
それもこの精巧な仕組みに組み込まれている。
警官が通りかかったところで、免許証と社員証を見せればそれで何も起こらない。
頬に感じる冷たいコンクリート。
日の差し込まない通路の湿気た空気。
高速で甲高いかかとの足音。
精巧で規則正しいかかとの音。
その音が奏でる悲哀。
精巧で高性能なレース用の車のエンジンは素晴らしい音を奏でるという。
熱狂的で希望に満ち、それでいて物悲しい音を。
高速で甲高いかかとの足音。
精巧で規則正しいかかとの音。
ガード下に横たわる私。
車から脱落した磨耗した部品としてコース上に転がっている。
そしてこの素晴らしいエンジンの排気音を聞く。