一章『赤の島』-3
「さあ、洗いざらい吐いてもらうぜ。お前さんはどこの誰で、誰に命じられてここに来たんだ?」
アキレアが僕にそう尋ねてきたのは、太陽の照りつける甲板の上でのことだった。
見えるのは僕に詰め寄るアキレアと、それを不安そうに覗き込む、魔法使い然とした少女の二人。エーデルと名乗った、鎧姿の姫様は、どうやら船室の中にいるようだ。
僕は漫画のように体をロープでぐるぐる巻きにされ、座らされている。見えはしないが、恐らくマストにも縛り付けられているだろう。簡単に逃げ出すことはできない。
「いや、知らないって。だから、僕は別に、あんたたちを傷つけるつもりなんて……」
「少なくとも、モネには襲いかかろうとしてたように見えたがな」
その言葉に、背後に控えたモネが、ビクッと反応するのが見えた。
「違う違う! あれはほら、悲鳴を上げられたから落ち着かせようと思って……」
「そうか? 俺には、そうは見えなかったぜ。おうい、モネ。海水を一杯汲み上げてくれるか。水でも浴びれば、少しは正直に話す気になるだろうよ」
「だああ、ちょっと待ってくれって! 話を聞いてくれよ、なあ!」
僕は必死に制止しながら、何とか言い訳を考える。
正直に言って、わかってもらえるだろうか。いや、それは難しいだろう。
飛び降りに巻き込まれて、気が付いたら知らない場所にいた。ましてやそれが、絵本の中の登場人物たちのいる、わけのわからない船の上だった、なんて。
それこそ、絵空事もいいところだ。
考え込む僕を見下ろしながら、アキレアは肩を竦めた。そのままゆっくりと屈み込むと、視線を合わせつつ、口を開く。
「……はあ、仕方ねえやつだ。なら、名前は? それくらいなら言えるだろうよ」
僕は少しだけ迷ってから。
「……来間彼方。高校2年生だよ」
「カナタか、変わった名前だな。そのコウコウってのがなんなのかは知らねえが、生まれはどこの国なんだ?」
「言ってもわからないさ。どうせ、あんたたちは知らない所だ」
強情な奴め、と彼は息を吐いた。
この尋問は、いつまで続くのだろうか。遮るもののない陽射しは、確実に体力を奪っていく。
キラキラと輝く水面も、こうして見れば、日光を照り返す鏡に過ぎない。
頬を、一筋の汗が伝う。いっそのこと、本当にモネが水をかけてくれたらいいのにと、そんなことを考えていると。
「もう、いいだろう、アキレア」
凛とした声が、甲板に響く。
波の音も、空を行く鳥の声も全てを追い抜いて、視界の先に、黄金の輝きがちらついた。
「姫様。いや、いいって訳には……」
「カナタと言ったか、たぶん彼は、私たちの敵じゃないと思う。嘘を吐いているような目には見えないし、何より、腕も足も、戦える人間の太さには見えない」
「だが、魔法を使う可能性もあるんだ。いくらこいつがヒョロヒョロだっつってもよ、危険は――」
「……たぶん、それはない、と思います」
おずおずと、背後で手を挙げたのはモネだった。自信なさげに持ち上げた手は、細かく震えているようにも見える。
「私、カナタさんからは魔力を感じません。きっと彼は、魔法を使うどころか、学んだことすらないんじゃないでしょうか?」
「……じゃあ、こいつはどうして、船に忍び込んだっていうんだよ」
「さあな」エーデルは首を傾げた。「おおかた、貨物船にでも忍び込もうとしたら、船を間違えたのだろう。島に着いたら、保安官に引き渡せばいい」
縄を解いてやれ、と命じられたアキレアは、渋々、といった様子で真横にしゃがみこんだ。
そして、マストに繋がる縄を乱暴に解いていく。久方ぶりに自由になった手足を、滞っていた血流が巡り始め、僅かに痒みを覚えさせた。
「いいか、妙な真似したら、とっちめてやるからな」
アキレアが念を押すように言う。
僕はそれを適当に躱しながら、頭の中で絵本のストーリーを思い返していた。
確か、彼らが最初に向かうのは……。
「……それよりも、この船ってどこに向かってるんだ?」
辺りに視線を巡らせながら尋ねる。島影は、未だに輪郭すら見えてきていない。
もし、本当に彼らが絵本の中の住人だとして、次に向かう島がわかれば、どのくらいまで物語が進行しているのかが把握できるだろう。
置かれているこの状況が、一体如何なるものなのかはわからないが――ひとまず、この場でジタバタしても仕方ない。
この土壇場において、奇妙なほどに冷静に、僕はそんなことを考えていた。
僕の質問に答えたのはエーデルだった。彼女は船首に立ち、透き通った髪を靡かせながら、振り返りもせずに声を張る。
「『赤の島』だ。ランタン諸島、始まりの島。お前も、そのくらいは知っているだろう」
「……ああ、勿論」
その名前にも、当然聞き覚えがある。
絵本の物語の――一番最初の島。つまり、彼女らの冒険もまた、始まったばかりなのだ。
……そろそろ、言い逃れができなさそうだ。
絵本の中と同じ名前の舞台、絵本の中と同じ名前の人がいる。
となれば、やはりここは絵本の中の世界なのだろう。今際の際に見る夢か、それとも、本当に死に瀕して、世界を渡ってしまったのか。
定かではないが、そうなってくれば一つ、興味が湧いてくる。
一体、どこまで絵本と同じなのだろうか?
「なあ、エーデル……さん」
僕はおずおずと話しかける。
「エーデルでいい。どうかしたのか?」
「いや、さ。みんな、船に乗って島を目指してるってことだったけど、一体、どんな目的があるのかなって」
当然、僕はこれも知っている。だから、確認作業。車通りのない横断歩道で左右を見渡すような、そんな仕草だ。
「てめえ……」
当然だが、アキレアは明らかに警戒の色を示した。眉間に寄せた皺、怒らせた肩。しかし、そんな彼を、エーデルは片手で制した。
「よい、アキレア。そもそも、身分を明かしているのだ。少し調べれば、すぐに割れる話だろう」
彼女は僕にツカツカと近づいてくると、顔を近づけ、瞳を覗き込んだ。
そこに邪な思いがないかどうかを、確かめようとするかのように。
「……な、なんだよ」
「いや、なんでもないさ。それより、私たちの目的だったな?」
離れていく際に、カチャリと鎧が鳴った。見るからに暑そうな格好だが、彼女は汗一つかいていない。
「……復興だ。私はフロス王国最後の王族として、絶対に国を立て直さなければならない。そのためには、必要なのだ――」
そう。
このランタン諸島には、"それ"が眠っている。
全てを集めたものの願いを、何でも叶えると言われている、古の秘宝――。
「――とこしえの夢の欠片、『遺物』の力がな」
僕たちのすぐ脇を、鴎が飛んでいく。
こんなにリアリティのない世界の中でも、潮風は塩っぱい。そして何より、疑うこともできないほどに、目に染みる。
何かに気がついたかのように、アキレアが舵に向かって歩いていく。
弾かれたように、モネが駆け出し、何やら慌ただしく動き出した。
最初の島、その港が、直ぐ側に迫っていた。




