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最終章『白の島』-13

「よっと。へへ……大丈夫かよ、おい」


 逞しい腕に、受け止められた。着地地点に先回りしていたアキレアがいなければ、今ごろ地面でもんどり打つ羽目になっていたかもしれない。


 ひとまず頷きを返してから、ゆっくりと立ち上がる。


「ああ、なんとかな……それよりも、エーデルは……?」


 僕はそう口にしながら、先程まで影の巨人が屹立していた辺りに目をやった。


 聖剣の凄絶なる一撃は、巨人の体躯だけではない。今や、世界そのものを切り分けんとするほどの大きな亀裂を、虚無の空間に残している。


 そして、そのすぐ手前辺りから、こちらに歩み寄ってくる影が見えた。


「私なら無事だ。カナタ、よく私たちを呼んでくれたな」


 剣を肩に担ぎ、悠然とエーデルが歩いてくる。その鎧を纏った立ち姿に、僕はしばらくの間、目を奪われていた。


「……どうかしたのか?」エーデルが首を傾げる。

「いや、学生服よりもやっぱり、こっちの方が似合ってるな、ってさ」


 ガクセイフク? と再び疑問符を浮かべた彼女をよそに、裂け目の方に目をやっていたモネが、どこか不安げに口を開いた。


「ひ、姫様。あの亀裂は、一体……?」

「ああ、どうやら、この剣の全ての力を解放した一太刀が、この世界の壁を切り裂いたようだ。恐らくだが、あの裂け目の向こうは――」


 ――外の世界に繋がっている。

 僕も、それは直感で理解していた。


 あの裂け目から漏れてくる光の向こうに歩いていけば、僕は現実世界に戻ることになる。


 どうなるのかはわからない。目覚めることができるのか、それとも、寝たきりのまま、僕の意識は闇に沈んだままになるのか。


 どちらにせよ、確かなことが一つある。


「……旅の終わり、だな」


 僕はしみじみ口にした。


 夢のような日々の終わり。


 『白の島』に上陸したときから、覚悟はしていた。この旅はいつまでも続かない。いずれ別れが来ることなどは、ずっと前からわかっていたことなのだ。


 だから、これは悲しい話でもなんともない。

 順当に、頁が捲られた上での結末だ。


「……行っちまうんだな、お前」


 アキレアの目が、少しばかり憂いを帯びる。それでも、年長者の矜持だろうか、その顔だけは、辛うじて笑顔を作ろうとしていた。


「カナタさん、私、あなたのことを一生忘れません」


 手を握りながら、そう告げてきたのはモネだった。彼女もまた、大粒の涙に目を潤ませている。


 そんな僕らを眺めながら、エーデルは何かを思い返すように目を細めていた。


「……カナタ、覚えているか?」


 彼女は、僕に問いかけてくる。


「初めて、お前を旅に誘ったあの晩。お前は言っていたな。自分は特別な人間じゃない、剣も振るえない、魔法も使えない、それに、心だって強くないと」

「……そういや、言ったっけね、そんなこと」

「なら、どうだ。少しはなれたか、お前の『なりたい自分』というやつに」


 『なりたい自分』。


 僕は少しだけ返答に困った。この旅の前と後で変わったもの。僕が得たもの、見たもの、聞いたもの、触れたもの。


 その全てを混ぜ合わせた上で、もし、答えを出すとするのなら。


「――わからないさ」僕は、はにかみつつ続ける。「でも、いつかわかる日が来る気がするんだ。これからの、道行きのどこかでさ」

「……そうか、ならば、今回は別れではなく、新しい旅立ちということになりそうだな」


 エーデルは満足そうに頷きながら、僕の手を取った。


「カナタ。お前と出会えたことを、私は誇りに思う」

「大げさだよ」僕は思わず苦笑するが、エーデルはそれでも、真剣な眼差しで僕を見つめていた。

「いいや、そんなことはないさ。……お前は仲間だ。いつまでも、私たちのな」


 仲間。その言葉の響きが、どこまでも僕の心に沁みていく。


 いつの間にか迷い込んだ絵本の世界。


 そこでの記憶が、頭の中を駆け巡る。どれもがかけがえのない、何より、宝物のような思い出だ。


「……ありがとう」僕はそう小さく呟く。


 別れの言葉などではない。これは、旅立ちの決意だ。だから、最後に精一杯の笑顔を見せようと思った。


 そして、僕らは並んで向き合い、手を重ねる。


「んじゃ、またな」とアキレアが言った。「いつか、酒が飲めるような歳になったら、また、飲み交わそうぜ」


 そんな彼の冗談に、僕たちは笑い合う。そして、モネは僕に向けて言った。


「……また、いつか、会えますよね?」


 僕はそれに答えなかった。できない約束はしたくないから、或いは、それに答えてしまったら、二度と会えないような気がしてしまったからだ。


 踵を返す。仲間たちに背を向けて、僕は一人で歩き始める。


 涙は流さなかった。それはなんだか、違う気がしたから。目元に溢れてくる雫を零さぬように堪えながら、僕は一歩ずつ歩みを進める。


 亀裂に向かって歩いていくたびに、意識がたわんでいくような感覚があった。或いは、足裏の感覚が遠のいて、遊離していくような錯覚か。


 どうあれ、目も、耳も、光も音も重力も、何もかもが少しずつ、曖昧になっていく。


 そして、目に映るものが全て、純白の光に包まれて――。



 ――僕は、この世界に別れを告げた。



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