最終章『白の島』-11
でも、それが間違いだと教えてもらった。
それが間違いだと、気付くことができた。
だから。
「僕たちはさ、生まれたその日から、ただ意味も無くここに在っていいんだよ」
僕の答えに、『あいつ』は目を丸くする。
予想外なのだろう。僕だって、素面ではこんなことを口にすることはない。
この世界の熱に、冒険の余波に浮かされるように、或いは、何かもっと大きなものに酔っているかのように。
ここまでの、夢のような旅路で見つけたものが、胸の中を温め続けている。
「……だから、お前ももう、怖がらなくていいんだよ。たぶん僕は、大丈夫だからさ」
「……わかってたの? ぼくが、どこからきたのか」
「わかってたさ。だって、お前は、僕なんだから――」
その言葉に、『あいつ』は安堵するように目を閉じる。
ずっと、違和感はあったのだ。
――英は、僕のことをここまで考えてなどいないだろう。
彼女と僕は、不干渉。
互いに交点を作らぬように弧を描く、そんな双曲線だった。
ならば、目の前のこいつは、きっと英などではない。その姿を借りた、僕の内側から発露した、もっともっと昔の、幼い頃の後悔――。
それならば全てに説明がつく。あの世界に英がいなかったことも、僕を責めるように語りかけてくることも、辿々しい喋り方も。何もかもが、ピタリと当てはまる。
人影――幼い頃の僕の体が、俄に発光を始めた。その矮躯が少しずつ、光の粒に分解され、そのまま虚空に溶けていく。
「なあ、昔の僕」僕は語りかける。心配性の、懐古に向かって。「ちゃんと、お前に許してもらえるような、大人になるからな」
いいよ、そんなの。
彼はそう、笑った気がした。最後の声は聞こえなかった。ただ、ふわりと崩れていくその輪郭が、最後にそんな風に喋ったように見えただけだ。
彼がいなくなれば、僕は一人、誰もいない空間に残される。
……いや、きっと、最初から僕は一人だったのだ。
これが、眠り続ける僕の見ている夢であるとするのなら、この場所も、きっと僕の頭の中でしかない。
なら、後は意を決するだけ。微睡みを振り切るように、目を開ければ、僕は――。
「……っ、なんだ、あれ……!?」
そこまで思考したところで、僕はあることに気が付いた。
真っ白の空間。その宙空に、黒い点のようなものが浮かんでいる。それは少しずつ体積を増してゆき、すぐに、小山のような大きさになった。
黒い、巨大な影。
辛うじて人形に見えるものの、僕を圧倒するように見下ろすそれは、尋常の生き物には見えなかった。
影はゆっくりと振り上げた腕を、勢いよく振り下ろしてきた。僕はそれを横に飛んで寸でのところで躱しつつ、相手を睨みつける。
「……ラスボス、ってわけかよ」
今の僕には、わかる。
『これ』は、僕の中の不安が膨らんで生まれたものだ。言うなれば、僕自身の心の闇。それを引き受けていてくれた幼い僕がいなくなり、誰も押さえるものがいなくなったのだろう。
先程、見た光景。
傷付き眠る自分と、泣きじゃくる姉。
正直、不安でないわけがない。だからこそ、『これ』を切り倒して、僕は現実に帰らなければならない。
手の中の聖剣が、光を帯びる。
最後の戦い。そう思えば、全身に巡った血が冷たくなっていく。不思議と恐れはない。聖剣が力をくれるのか、それとも、僕が強くなれたのか。
そう考える僕の間隙を突くように、影が再び触腕を伸ばしてくる。腕は半ばほどでいくつもの股に分かれ、僕を押し潰さんと襲い来る。
それを僕は、一歩、二歩と下がりながら躱す。が、体勢を崩したところに飛来してきた一撃は避けることができず、剣を薙ぎ払って、どうにか逸らす。
「っ、こいつ……!」
それだけで、手のひらが痺れるような感触があった。何発も避けられるような攻撃じゃない。どこかで踏み込まなければ、このままジリ貧になってしまうだろう。
一か八か、聖剣の光を飛ばしてみようか。けれど、代償は決して軽くない。もし、届かなければ、大きな隙になってしまうかもしれない。
どうしたものか――思考を巡らせる僕の耳に、何か、硬いものが足元に落ちる音が聞こえる。
落ちたのは、ペンだ。
祖父の遺した、『遺物』の一つ。それを目にするのと同時に、僕はそれに手を伸ばしていた。
このペンは、虚空に聖剣を描き出すことができた。それならば、この場所でも、何かを描くことが可能なはずだ。
ゆっくりと息を吸う。ここは、僕の頭蓋の中。頭の中において、人間は誰しも、自由なものなのだ。
僕は筆を走らせる。この状況を打開しうるもの。相手の攻撃を受け止めて、状況を打開するのなら――。
『だから、我々は忘れてはいかんのだ。いつでも、人間は自由であるということを。頭蓋骨の中では、どんなものでも、描けるということを――』
「――ッ、――!」
影が咆哮を上げた。それと同時に、鋭い手刀が僕に襲い来る。
僕はそれを真っ直ぐ見据え、迎え撃つように聖剣を構えた。純白の空間に満たされた光を吸って、剣身が輝きを放つ。
迫る影の手。それが僕の頭上数十センチにまで至ったところで、聖剣の光が極点に達する。
けれど、振り抜くまでは間に合わず、僕は漆黒の腕に押し潰される――。
――刹那、僕の目の前に、何かが割り込んできた。




