表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/82

最終章『白の島』-7

 この機を逃したら、僕はもう、この世界を受け入れるしかなくなってしまう。


 そんな、確信にも似た焦燥感は、言葉を詰まらせる。思考を鈍化させ、次の句を接げないようにしてしまう。


 それでも、話した。朝から続く、この硬質の違和感の話。今までに見ていた、長い長い夢の話。何もかもをめちゃくちゃな順列で、思いつくままに話した。


 彼女はそれを、黙したまま聞いていた。茶化すことも、遮ることもなく。そうして、数分、いや、数十分も話し込んだ頃だろうか。


「……君の言いたいことはよくわからないが、どうやら、酔狂で声をかけてきたわけではないようだな」


 金色の彼女は、僕の辿々しい言葉に、そう結論をつけた。


 その上で、少しだけ、その目を伏せる。


「だが……すまない、私は君の言う違和感というやつがわからない。この世に生まれ落ちて十余年、しっかりと記憶も、暮らしもある」


 彼女の瞳は、嘘も偽りもないように思えた。


 それもそうなのかもしれない。この世界が一つとしておかしくないのなら、おかしいのは僕の方だ。そんな僕が藻掻いているのは、傍から見れば、狂人の独り相撲だと思われても仕方がない。


 けれど、そこで彼女の言葉は終わらなかった。さらに、そのままの口調で彼女は続ける。


「しかし、だ。君の話が本当で、もし、この世界に何かおかしなところがあるとするのなら――必ず、どこかに綻びがあるはずだ」

「……綻び? そんなもの、どこに……」

「さあな、わからん。私にとっては『ここ』が生きる世界だからな。ただ、君にとってそうでないというのなら――」


 ――探し出すしか、なかろう。


 この僅かな交差を、彼女はそう結んだ。


 そうして、話は終わりだとばかりに、背を向けて歩いて行こうとする。そんな彼女に、僕は。


「……待った」呼び止める。振り返らず、その足だけが止まった。「最後に名前、聞かせてくれないか」


 もしかすると、無駄なことなのかもしれない。


 この出会いに意味などなく。これからの道行きで、彼女と会うことは二度と無いのかもしれない。


 それでも、聞いておきたかった。

 彼女の名前だけは、聞いておかなければならない気がした。


「……サユキ。咲くに幸せと書いて、咲幸だ」


 名乗りと同時に、脳裏で声が響く。


『君は、エーデルにあこがれていつつも、どこか遠いそんざいだとおもっていたね』


 図星を突かれて、思わずドキリとする。けれど関係なく、声は続ける。


『だから君は、ここでもエーデルを少し遠いいちにおいた。遠めにみて、そのまぶしさでてらしてもらうくらいで、ちょうどいいから、でしょ?』


 ああ、本当に――その通りだ。


 そのまま、彼女は歩いて行く。幾度となく僕の道を拓いてくれた、金色の軌跡を残しながら。


 僕はそれが見えなくなるまで見送ってから、学校を後にした。


 夕方だというのにまだまだ日の高い帰路は、それでも朝より幾分歩きやすかった。


 そんなアスファルトの道を、僕は一歩一歩、歩いて行く。


 綻び。

 そんなものが、どこにあるのだろうか?


 元の世界の形がどうだったかなんて、もう、僕はほとんど覚えていない。ただ、パズルの絵がズレているように思えてしまったときのような、そんな気持ちの悪さに突き動かされているばかりだ。


 もう、諦めてしまおうか。


 この世界は決して、悪いものではない。心地の良い人間関係、心地の良い距離感。当たり前のものが当たり前にあって、空っぽの僕は、なんとなく満たされたフリで生きていけるだろう。


「……ただいま」


 僕はそんな風に考えながら、玄関の扉を開けた。姉が帰ってくるまでは、まだしばらく時間がある。醤油を買ってき損ねたことを怒られるのは、それからだろう。


 ならば、まずはそれまでに課題でも済ませておこうか――なんて、呑気に浮かべつつ、居間の扉を押し開いた。


「――おや、おかえり、カナタ」


 そんな僕を迎えてくれたのは祖父だった。彼は視線をテレビから外すと、僕の方に柔らかく笑いかけてくる。


「今日も暑かったろう。その後、体調は大丈夫だったかい?」

「……うん、問題ないよ。それよりも爺ちゃん、何を見てたの?」


 テレビの画面には、報道とバラエティを半々に混ぜたような、騒々しい番組が映し出されている。


 それを見つめながら、少しだけ祖父は、目を細めた。


「いや、なに。前はゆっくりテレビなど、見ることもなかったからね。ちょうどいい機会だ、のんびりとさせてもらったんだよ」

「……? そうだっけ、爺ちゃん、普通に――」


 僕がありもしない記憶を探ろうとした、その瞬間だった。



「――ああ、生前には、そんな暇もなかったからね」



 その一言に、僕の背筋が凍る。


「じ、じい、ちゃん……?」

「カナタ。君は気がついているだろう。この世界は、君が生きるべき現実世界じゃないってことにね」


 彼は、そこで立ち上がる。テレビから聞こえてきていた笑い声が、意味不明なノイズに変わったような気がした。


「今朝は彼女らの手前、『胡蝶の夢』などと言ったがね――その実、君はまだ夢から覚めてすらいないわけだ」

「ちょ、ちょっと、待ってくれよ爺ちゃん!」


 慌てて、僕は彼を制した。


 思考が追いついてこない。祖父は、この世界の異常に気がついていたとでも言うのだろうか?


「じ、爺ちゃんは、何をどこまで知ってるんだよ……?」


 僕は恐る恐る問いかける。答えが欲しい一方で、全て冗談だと、そう言ってほしいような気もしている。


 彼がこの先を口にすれば――きっと、物語は加速していくだろう。僕はそれに、ほんの少しだけ怯えていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ