最終章『白の島』-3
「……は?」
思わず、間抜けな声が漏れる。
周囲の景色が、純白に塗り潰された。
先程まで乗っていた船も、波打ち際の砂浜も、笑いかけてきた仲間たちも、何もかもが存在しない。
足元には硬質で冷たい感触が、そして、風や暑さすらも感じない、無機質な光が僕を照らしている。
『何も無い』空間。
僕はいつの間にか、そこに立っていた。
「なっ……ど、どういうことだよ! エーデル、アキレア! モネ……!」
当然、返事などない。
だって、彼女らはもうどこにもいないのだから。
血管が痛むほどに血液が加速する。それと同時に、おぞましい実感が、ひたひたと落ち着いてきた。
物語の続きは、無い。
最終章は、未だ白紙のページ。
つまり、ここは、文字通り世界の終着点。僕は、『何も無い』ページに来てしまったのか――。
「そう、君はここまで来てしまったんだ」
不意に、背後から聞き覚えのある声。
思わず振り返る。いや、振り返らずともわかる。
ここにいると思っていた。
ここでなら会えると思っていた。
けれどまさか、こんな、こんな形で再会することになるとは。
「……英、なのか?」
僕は恐る恐る口にする。立っていたのは、幾度となく見えた、ローブの人影。
しかし、既に脱ぎ捨てられたフードの下には、確かに僕の見覚えがある顔が存在しており、見慣れたシニカルな笑みを湛えている。
僕の唯一の友人――英瑛梨香が、そこにいた。
「やあ、カナタ。ようやくゆっくりと話せるね。ここまでのぼうけん、お疲れさま」
「お疲れ様、じゃねえよ……」僕の声はきっと、震えていたと思う。「みんなをどこにやった! ここは一体どこなんだ! 僕は……一体どうなったって言うんだ!」
「いちどに聞かないでよ。頭がキンキンしちゃうって」
英は煩わしげに頭を振る。
そうして、酷く退屈そうに。それでいて、さも当然のことを説明するように口を開くのだった。
「ここがどこなのか、は言わなくてもわかってるでしょ? みんなのもくてき地、『白の島』――まあ、今はまだ白紙なんだけど」
「やっぱり、『白の島』は存在しないんだな?」
「まーた質問が増えた。でも、そうだよ。だって、カナタのお祖父ちゃんがまだ描ききれてないからね」
描ききれていない。
だからここには、何も無い。
「でも、ほんとうは描く気がなかったのかもしれないね」
「……何でだよ、爺ちゃんは、いつだって――」
「『もう、いいよ爺ちゃん。絵本とか、ダサいし』」
その言葉に。
僕は、呼吸の仕方を忘れてしまう。
そんな僕を嘲るように、英は笑う。滑稽な僕の姿が面白くて仕方ないのだと、そうとでも言いたいかのように。
「……なに、びっくりしてるの? いったのはカナタ、でしょ?」
「いや、まあ、そうだけど……そんなつもりじゃ」
「つもりじゃなくても」遮るように、声は続く。「君はこのおはなしをころしたんだ。さいごまでつづくはずだった、エーデルひめたちのおはなしは、ここで息をとめてしまった」
僕は、それに何も言い返せなかった。
悪気はなかった。もちろん、悪意も。けれど、そんな純粋な言葉の刃が、祖父の筆を折ってしまったのだ。
エーデルたちの悲願を、打ち砕いてしまったのだ。
それが、何も無いこの場所で。
そして、僕の罪だけが横たわるこの場所で僕を待っていた、たった一つの真実だった。
「だから、ひめさまたちのたびは、ここでおわり。もちろん、カナタのたびも」
「……僕は、現実に」
口にしようとして、そこで、止まる。
止まったのは、いくつも疑問が浮かんだから。疑っているのは、この世界と――何より、僕自身の心だ。
――本当に、現実に帰れるのか?
――本当に、現実に帰りたいのか?
それを読み切ったように、英は僕との距離を一歩だけ詰めた。彼我の距離が縮まると同時、僕の内臓は根こそぎにされたように熱を失っていく。
「……かえりたくなんて、ないよね?」
「……」
帰りたく、ない。
現実に戻れば、僕は何者でもない一人でしかない。ひと山いくらの通行人A。たとえ明日死んだとしても、誰も気にせずに日々は過ぎるだろう。
しかし、ここには。この世界には、僕を認めてくれた人たちがいる。一人の仲間だと、認めてくれた人たちがいる。
誰だって、辛いことは嫌なのだ。苦しいことは厭なのだ。だから、本音を行っていいのなら――。
「……僕は、帰りたく、ない」
現実と向き合わなければいけないと思っていた。
仲間たちとの冒険の日々を胸に、僕は二進も三進も行かない現実に、立ち向かっていくべきだと考えていた。
……だけど、そんなことをする必要はない。
僕がこれ以上、傷付く必要なんて無いじゃないか。
自分の中身を満たすことに、痛みを伴うというのなら。僕はもう、空っぽで――。
「だいじょうぶだよ、カナタ」
そんな僕の手を、英が優しく包み込む。体温の一つもない、まるで粘土細工のような手触りは、絵本の世界の仲間たちよりもずっと、無機質なものに思えた。
けれど、今の僕にはそれが心地よい。
都合の良いものは、何であれ心地の良いものだ。
「カナタにつごうのいいせかいを、えがいてあける。だって、ここはまっ白なんだから。なんだってえがけるよ、ほら――」
抱き締められる。それと同時に、僕が薄まっていく。漠然としていく。輪郭を失い、頁の中に埋まっていく。
何か、大切なことを忘れているような気がした。
だけど、もう、それすらも。今の僕には、どうでもよかった――。




