最終章『白の島』-2
『白の島』。
全ての『遺物』を集め、そこに辿り着けば願いが叶うとされている、伝説の地。
しかし、未だに辿り着いた者は一人としておらず、伝説はいつまでも伝説のまま、埃を被ることすら許されずにいる。
エーデル姫とその一行は、亡国の復興を願うために、『白の島』を目指して旅をしている――と、最後の島についてわかっているのは、これくらいだ。
理由は明快、祖父はこの先を、本に記していなかったからだ。
僕が絵本を読まなくなったから描くのを止めてしまったのか、それとも、仕事や寿命の関係で、それ以上描くことができなかったのか。
どうあれ――この先に待っているのが、空白であることだけは、確かなことである。
「おう、どうだ。そろそろ、見えてきたか?」
舵を取るアキレアが、船首近くに立つモネに問いかける。
彼女は目元まで持ち上げた双眼鏡――これは祖父の家から拝借したものだ――を下ろし、ゆるゆると首を振った。
「駄目です、島影も見えません。まだまだ遠くなんじゃないでしょうか?」
「それは妙だな」海図を片手に、エーデルが首を傾げる。「この海図が正しければ、もうそろそろ陸地の影が見えてきてもいいはずなのだが」
僕も船首の方に目をやる、が、そこにはどこまでも続く水平線が広がるばかりであり、島らしきものの影も形も見えることはない。
「おいおい、そりゃあ困るぜ。その海図、本当に正しいんだろうな?」
「正しいだろ、だって、『遺物』が記したんだからさ。これで間違っているってのなら、もうお手上げだぜ」
そんな風に軽口を叩きながら、僕はある可能性が頭を過っていた。
つまり、『白の島』など、最初から存在しないのではないか、という可能性だ。
僕は絵本を読破している。しかし、描かれていたのは『黒の島』までだ。その先は、白紙のページが続くばかりである。
ならば、島が見つからないというのも――そもそも、この物語に続きが存在しないからなのではないだろうか?
となれば、気になるのは英が残した言葉だ。「最後の島で待っている」と彼女は言っていた。そうである以上、島が存在しないとは考えづらいのだが……。
「ふむ、『遺物』が間違っているということはあるまい。となれば――」
エーデルはそこで、海図を置くと、腰元の聖剣に手をかけた。
「モネ。魔力の反応はあるか? 惑わされているのは、我々なのかもしれん」
「えっ? あ、えーっと……」
モネが杖を手に取り、しばらく目を瞑る。そうして数秒後、驚いたように顔を上げた。
「ま、魔力反応、あります! 前方に、とても大きな……!」
「……やはりな」エーデルは確信に満ちた声と共に、聖剣を抜く。「そうではないかと思っていたのだ、少しばかり、輪郭が揺らいでいるような気がしていたのだ」
そう口にすると同時に、白銀の剣身が陽光を集め始める。浮上を許さぬ神聖な輝きが、彼女の手元に集まっていく。
エーデルはそれを、前方に向かって大きく振り下ろした。
――瞬間、剣の輝きが弾け飛び、金色の光が海を割った。
光の刃は海面に直撃し、轟音とともに海は二つに裂ける。その勢いは留まることを知らず、そのまま水平線の向こうへと突き進んでいく。
そうして、十数秒後だろうか。
『それ』が僕らの前に姿を現した。
一見すれば、それは今までに見てきたものと同じ、島の輪郭と、聳える山や町の稜線に見えたことだろう。
しかし、違う所がひとつ。その島は地面も、木々も、その周囲の海までもが青白い、神秘的でありつつ恐ろしさも感じるような光を纏っていた。
ここが、『白の島』。
エーデルの、そして僕たちの、旅の終着点。
「……やっと、辿り着いたな」
剣を収めながら、彼女はしみじみと口にする。
「おいおい、なんだよこりゃ。いつの間に、こんなに近くに……」
「目隠しの魔法か何かだろう、これのせいで、今まで人々から見つかることはなかったのだ」
「でも、こんなに大規模な魔法、一体誰が……?」
各々、仲間たちは衝撃を口にする。
もちろん――僕もだ。これならばまだ、『白の島』など存在しないほうが話が通る。
だって、祖父は、爺ちゃんは物語の続きを描いていないのだ。
だと、するのなら。この島を描いたのは、一体誰なのだろうか――。
「……カナタ、大丈夫か?」
不意に、肩を揺さぶられる。エーデルが僕のことを、心配そうに覗き込んでいた。
「……あ、ああ。ちょっと、考えごとだ」
「そうか、それならいいのだが、ここが最後の島だ。気を引き締めておいてくれよ」
最後の島。
そんなものは、存在しないはずなのだ。
ということは、この先に待っているものは完全なる未知。『黒の島』のときも大概ではあったが、今回は訳が違う。
それを、彼女らに伝えるわけにはいかない。だから、僕が気を張っておかなければ。
「わかってるさ。旅の終わりくらいは、しゃんといさせてくれよ」
背筋を正す。全身の産毛が逆立って、僅かな異変すらも逃さぬように、アンテナを張る。
そんな僕の緊張と裏腹に、船は島に接岸していく。彼我の距離は、もう、僅か、数mというところだ。
「よっしゃ、錨も下ろした。いつでも上陸、いけるぜ」
アキレアがそう呼びかければ、皆の視線が僕に集まるのがわかった。
どうしたことかと思っていれば、すぐにエーデルが微笑みかけてくる。
「……我々はようやく、旅の果てに至ることができた。これも、君のおかげだ、カナタ」
彼女の言葉に、僕は思わず目を丸くしてしまった。大したことはできていない。というよりも、彼女らは元々、僕の介入など無くても旅を完遂できていたはずだったのだ。
ただ、僕が余計なことに首を突っ込んだだけ。厄介ごとを持ってきたこともあったはずだ。それなのに、何故。
「がはは、腑に落ちねえ、って顔をしてんな」
背中に衝撃、勢いよく叩かれた僕は、体勢を崩しそうになる。
もう見慣れた豪快な笑顔。これもまた、アキレアという男の心遣いなのだろう。
「お前さんは、自分で思うよりも周りに色々な影響を与えてんだよ。未来視ってのがなければ、俺はここに立ってないわけだしな!」
それに、モネも同調するように頷く。
「ええ、そうです。私はカナタさんの中に、本物の勇気を見ました。何も持っていなくても、勝てなくても、何度でも挑み続ける。そんな心に、惹かれたんです」
なんだか、その言葉たちがむず痒くて、気恥ずかしくて、どう返したらいいかわからず、僕は後頭部を掻いた。
少し、ズルをしているような罪悪感があった。僕自身に特別な力があるわけではなく、先の展開を知っていただけ。
けれど、仲間たちは、僕の背を押してくれる。
「カナタ、君がどう考えようと、私たちは君に感謝している。君がいたからこそ、私たちは欠けることなく、ここに至ることができたのだから」
「……やめてくれよ、そういうの。あんまり、向いてないんだよ」
「がはは! ヒヨッコが、向き不向きじゃねえんだよ、こういうのは!」
アキレアの太い腕が、肩の辺りに重みを感じさせる。肩を組まれるのなんていつ振りだろうか。
現実世界に、そんなことをしてくれる仲間はいなかった。
現実世界に、僕を認めてくれる人間はいなかった。
――そんな世界に、僕は。
「よし、そうしたら、上陸と行くか。前人未到、ランタン諸島最後の島に、私たちが初めて降り立つのだ」
「どうせならよ、カナタ、お前が先頭を行けよ。初上陸の栄誉は、お前に譲ってやるからさ!」
アキレア、エーデル。彼女らの顔には屈託などない。
旅を終えることができる開放感と、僅かな寂寥感。それだけなのだろう。
「そ、そうです! カナタさんには、その権利があると思います!」
モネも、満面の笑みを向けてくる。
そうだ。まずは、彼らの物語をしっかりと終わらせなければならない。僕がどうなるのかは、その後考えればいい。
「……ありがとな。そうしたら、一番乗りはいただくぞ」
そう残して、僕は船首から砂浜目掛けて飛んだ。
飛んだ。
あの日の屋上のように。
世界の境を、飛び越えた時のように。
――途端、全てが消失した。




