四章『黒の島』-11
「――っ、カナタぁっ!」
半ば悲鳴にも近いエーデルの声。
それを聞きながら、僕はゆっくりとその場に倒れていく。
傷口からは血も流れない。高熱によって傷が塞がれたのか、鼻先につくタンパク質の焼けた匂いがひどく不快だった。
無様に転がる僕を見下ろしながら、モネが呟く。
「……カナタさんなら、そうすると思ってましたよ。あなたは優しいから、最初に自分の身を犠牲にしてしまう――そうですよね?」
彼女は指先を繰る。それと同時に、いくつもの漆黒の光球が、光の凝縮を始める。
「あなたは殺さない、確かにそう言いました。でも、危害を一切加えないとは言っていません。ここには『遺物』もありますし、殺しさえしなければ、どうにでもなるでしょう――」
冷たく言い放つと同時に、追撃の熱線が、その砲門から放たれる。
避けることはおろか、起き上がることもできない。ただ、迫りくる光から、目を背けることもできずに――。
「――くっ!」
僕の身を焼かんとして迫っていた熱線は、背後から飛来した聖剣の光によって防がれる。
両者が激突した刹那の凄まじい爆風に、思わず目を瞑る。気を抜けば吹き飛びそうになる体を、どうにかその場に縫い留めた。
聖剣は、黒い光を全て撃ち落とすことには成功した。
しかし、やはりというか、モネまでは届いていなかった。彼女は無傷のまま、僕らを侮るようにしてそこに立っている。
「……もう、これで終わりですよ。私に聖剣は通じない。カナタさんの自己犠牲も、アキレアの力も、何もかもが私には無駄なんです」
切れるカードは全て切った。
もう、僕の手札には何も残っていない。肩の傷と疲労感、あとは血が冷たくなるような絶望感だけだろうか。
ここまで来て詰むとは。僕の頭の中はある種の逃避的に、敗因を整理し始めた。現実を受け入れられてなどいないくせに、悟ったように、並べ立てていく。
――この島の探索を、もっと注意深く進めていたら?
――『鏡』を見る時に、あの部屋にいるのをエーデルだけにしていたら?
いや、もっともっと前。それよりも根本的なところから――。
――モネと、もっと早くから向き合っていたら?
『たら』『れば』ばかりが積み重なっていく。けれど、時間は巻き戻らない。
「……なあ、モネ」僕は思わず、呟いていた。「僕は、どうすればよかったんだ……?」
こんなわけのわからない世界に飛ばされて。
ここまで、がむしゃらにやってきて。
それでも、絶望的なほどに叩きのめされて。
やっぱり、僕がやってきたことは何もかも間違いだったのだろうか?
僕はこの物語に干渉するべきではなかったのだろうか?
「……カナタさんは、よくやっていたと思います」
モネが、ぽつりと呟く。
それは先程までの冷酷な響きとは違う、普段通りの彼女と同じ、人間らしい温度の通った声色だった。
「強さも、特別な力も持っていないのに、常に皆の前に立って、どんな困難にも折れずに立ち向かって――」
彼女の瞳が、僅かに揺れる。
大粒の涙が、彼女の目元からいくつも零れ落ちる。宝石のようだと表すのは月並みだが、本当に澄んだ水晶のように、綺麗な雫だった。
そこで、彼女は目元を覆う。指先が哀憐の結晶を拭い去れば、そこに残されていたのは、冷徹な魔女の眼だけだった。
「――だから、悪いのは私。何もかも私が悪いんです。それでもいいから、あなたにいなくなってほしくないんです」
そんな彼女の仕草を見ていた僕の脳裏に、閃くものがあった。
もしかして、彼女は。
それならば、十分に試す価値はある。問題は、どうすれば彼女の感情を今以上に引き出せるかだ。
エーデルの聖剣は、あと一振り。
アキレアの『心臓』はあまり使わせたくない。
となれば、次の交差が最後の一手になるだろう。泣いても笑っても、それ以上は有り得ない。
心臓が、痛いほどに加速する。
傷跡が脈打ち、白熱する。それも構わずに、脳髄に酸素を回していく。
思考に集中。それ以外の全てを切り捨てる。最良の一手、この状況を覆せるだけの手が、どこかに――。
「――これだ」僕は確信を掴んだ。
言語化するのは難しい。けれど、これが恐らく考えうる限り、最良の一手だ。
僕はくるりと振り返り、背後に立つエーデルに視線を向ける。言葉にしてはいけない。モネに悟られたら、ここから先の作戦は全て、上手く行かなくなってしまう。
この決死のアイコンタクトが通じるかどうか――それが、最初の賭けだった。
「……カナタ、お前は」
エーデルの言葉が中途半端に切れたのは、躊躇によるものだったのだろうか。
けれど、彼女にもわかっているはずだ。もしかすると僕以上に、なぞるべき最善の道が――。
「――っ! 姫様、何を!」
モネの顔が驚愕に、或いは恐怖に歪む。
それは、僕が賭けに勝ったことを表している。あとは、彼女の良心に期待するばかりだ。
きっと、彼女の目には今、聖剣を構えたエーデルが映っているのだろう。
僕を巻き込む位置から聖剣を放とうとしている、エーデルが。
「……本当に、いいんだな」
聞こえる声は震えている。仲間を何よりも慮る彼女に、僕はとんでもなく残酷なことを頼んでいるのかもしれない。
けれど、これでいい。だから、僕は力強く頷いた。
「――ああ、やってくれ」
途端、眩い光が後方から追いかけてきた。今までに幾度となく敵を打ち砕いてきた、破邪の光。
それは、一つの例外もなく――勿論、僕の背骨も。顔色一つ変えずに破壊するだろう。




