四章『黒の島』-10
と、瞬間。僕は足裏から、微かな振動を感じ取った。
それが地震の初期微動にも似ていたからだろうか、反射的に、後方に身を躱す。
「アキレアっ!」呼びかけも半ば、アイコンタクトが通じたのか、彼もバックステップを踏む。
その直後、先程まで立っていた地面が、大きく隆起した。まるで巨人の腕のように、あと数瞬避けるのが遅ければ、捕らえられていただろう。
「アハハハ! カナタさん、油断しちゃ駄目ですよ!」
僕は歯噛みする。完全に、エーデルに気を取られていると思っていたのに。彼女の視野は、僕らの動きもしっかりとカバーしていたようだ。
「く、そがよおっ!」アキレアが、土の腕を蹴り砕く。それと同時に振り上げた剣で、猛然とモネに突進していく。
「姫様、合わせろッ!」
アキレアの掛け声に、エーデルは降り注ぐ黒い熱線を避けつつ、逆サイドから切り込んでいく。剛剣と聖剣、それぞれが、交差するように、屈折した魔法使いに迫る――。
「――無駄、ですよ」
しかし、二人の剣はモネに届くことなく、宙空で何かにぶつかったかのように静止した。
「なっ……んだ、こりゃあ」
「見えない……壁だと……!?」
二人の顔が、驚愕に引き攣る。それと同時に、黒い光が弾けた。
浴びたこともないような、凄まじい爆風。それとともに弾き飛ばされ、彼女らは地面に強かに打ち付けられる。
呻き声を上げながら立ち上がろうとする彼らを目にしながら、僕は背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。
強すぎる。
まるで相手にならない。遠距離には地面を操る攻撃、中・近距離では黒い熱線、そして、やっとの思いで接近しても見えない障壁に阻まれる。その上、まだ他の魔法を使うことができる可能性も高い。
挙句、こちらの決め手となり得る聖剣は、本来の馬力が出せないままだ。
打開策が、思いつかない――。
「……クソがよ、モネのやつ、どうにか正気に戻さねえことにはやってられねえぞ!」
アキレアが、悪態と共に緩慢な動きで立ち上がる。剣を半ば支えにしつつ体勢を立て直した彼だったが、明らかにその体は、フラフラと傾いている。
「ああ、だが、どうすればいいのだ……!」
同じようにエーデルも立ち上がるが、額の辺りからどろりと、血液が流れ落ちる。頭蓋が割れたわけではなさそうだが、額を深く切ってしまったようだ。
二人とも、決してダメージは少なくない。
僕は、モネをよく観察する。傷を負っていないのは僕だけ、そして、彼女は僕だけは殺す気が無いとも言っていた。
ならば、この場で最も彼女の裏をかける可能性があるのは、僕だ。
そうして観察を続けていれば、ひとつ、気が付くことがあった。
「……あれだ」僕は、モネのすぐ隣を指差す。
「あれ、ってお前、あれは『遺物』だろうがよ」
「ああ、恐らくモネの力の源はあれで間違いない」
「……言わんとしていることがわかったぞ」エーデルが再び剣を構える。「本人ではなく、あちらを狙えということだな」
そんな彼女の言葉に、アキレアは動揺したように眉を寄せた。
「でもよう、姫様。『遺物』を壊しちまったら、俺たちの国はどうなるってんだよ」
彼女らの目的は、『遺物』によって滅亡した国を蘇らせることだ。
もし、それを破壊してしまったとなれば、仮にモネを正気に戻せたとしても、彼女らの旅は目的を失う。
それでも、と、エーデルは揺るがずに言う。
「……私は、失ったものばかりを数えてきた」
再び、聖剣が光を帯びる。
いつもよりも弱々しく、決して目が眩むほどの光量はない。けれど、それは確かに、彼女の思いが潰えていない証拠だった。
「だが、今、私の目の前にあるものは、まだ失われなどいないだろう。なら、がむしゃらにでも手を伸ばすべきだ……違うか?」
――エーデルは、諦めてなどいない。
手の届くところにいる仲間のことを、諦めたりなどしない。
「……わかったよ、その無茶、付き合ってやる」
僕はそこで、ようやく剣を抜く覚悟ができた。鞘を滑る金属の感覚は、何度繰り返しても慣れないものだ。
「あいつは、僕だけは殺さないって言ってた。なら、僕が盾になれば、少しくらい接近する隙が生まれるだろ」
「いいのか? タダじゃ済まないかもしれないんだぞ」
「もう、無傷で帰ろうなんて思っちゃいないさ。やれることをやらせてくれ。後悔だけはもう、したくないからさ」
そこで、アキレアが大きく溜息を吐いた。剣を握っているのとは反対の手で、僕の額を小突く。
「へっ、ガキが、一端の口を利くようになったじゃねえの」
彼は言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうに口角を緩ませた。そして、それは次の瞬間、視線を鋭くするのと同時に引き結ばれる。
「なら、俺も『心臓』を使う。あの障壁は俺がぶち破ってやるからよ、姫様は、ありったけの力で剣を振るってくれ」
「よし、なら、決まりだな」
僕らは、モネを見据える。彼女はどこか余裕そうな表情と共に、僕らが持ち直すのを待っているようだった。
慢心か、それとも、万全の僕らを折るための手段なのか。判然としないものの、今はその答えが出なくてもいい。
「……お喋りは、終わりましたか?」
「ああ、お陰様でな。それじゃ、行かせてもらうぞ……!」
そう残して、僕は駆け出す。
全身の筋肉がみしりと音を発て、一気に上がった心拍が、指の先まで血液を送っていく。
髪が揺れて、頬に風を感じる。体が加速していく。不思議と恐怖は無かった。この世界に来てから、僕は自分の恐怖を別の感情で塗り潰すことに慣れたようだった。
それを勇気と呼べるかは――今もわからないままだが。
「モネえええええええっ!」
背後で、力強く地面を蹴る音が聞こえた。アキレアとエーデルが、僕の後に隠れるようにして動き始めたのだろう。
「……そん、な」
モネの顔が、驚愕に歪む。彼女は、信じられないとでも言いたげに、その薄い唇を開いて――。
「――こんなに、予想通りに動くなんて」
彼女が、そう口にしたのを。
僕は嫌にはっきりと、唇の形まで、見ることができた。
最初に感じたのは、痛みより熱さだった。何か、高い熱を帯びたものが、焼けるほどに熱いものが、僕の。
僕の右肩に、突き刺さっている。
自分が黒い熱線に撃ち抜かれたのだと気が付いたのは――その一瞬後の話だった。




