四章『黒の島』-9
モネが手のひらを前に突き出す。それと同時に、彼女の周囲に光の玉のようなものがいくつも浮かんだ。
黒く、黒く――見たこともない色に輝いた光球が、その熱量を増していく。
「――いかん! カナタ、こっちへ!」
エーデルの声に、反射的に足が動いた。彼女の方に向かえば、そのまま手を引かれ、僕らは窓から外に飛び出した。
――それと同時に、先程まで僕らがいた位置を、黒い熱線が焼き払った。
「……っ!」思わず、息を呑む。
広くもない中庭に、僕らは転がった。砂利が皮膚に擦過傷を作った感覚があったが、今は構っていられなかった。
「っ、クソっ、どうなってやがるってんだ!」
同じように窓から脱出したアキレアが、体を起こしながら悪態を吐く。
どうなっているのか。それがわかる人間は、ここに一人もいないのだろう。エーデルが、困惑とともに首を振る。
「わからん、『遺物』の力によって、何か悪い影響を受けてしまったのか……!?」
「……僕にも、さっぱりだ。僕の知っている展開とは、かけ離れている――」
と、口にしようとして、全身の毛が逆立つような感覚が包み込む。
悪寒。
この場所に一秒でも留まればマズい、という直感が、僕の体を動かした。
サイドステップを踏み、横合いに飛び退くと同時に、僕のすぐ隣で、空間が爆ぜた。
「……っ、無茶苦茶だ!」
頬を焼く熱。髪の端が焦げたのか、僅かに焦げ臭ささが鼻を衝いた。
「逃げないでください、カナタさん」
冷たい、どこまでも冷たい、温度の通わない声が響く。
窓枠に足をかけるようにして、モネが現れる。彼女は地面から僅かに浮遊しており、ふわりと持ち上がったローブが、纏う風に揺れている。
その傍らに浮かぶのは『遺物』。真っ白な紙の上に描かれた彼女の姿は、正しく、絵物語の魔女のような迫力がある。
そんな彼女は僕たちと同じ、中庭に降り立つと、再び杖を正面に構えた。
「カナタさんを殺すつもりはありません。姫様とアキレアも、できれば殺したくありません、大人しく、私の言うことを聞いてください」
「――っ、モネ、どうして!」
僕の言葉に対する返事は、熱線による一撃だった。
黒い光の束が、頬の僅か数センチ横を掠めていく。それだけで、臆病な僕の喉は、言葉を紡ぐのを止めてしまう。
「……一応、要求を聞いておこう」
エーデルが、ゆっくりと聖剣を抜き放つ。視線は鋭さを増し、戦闘態勢に入ったことが見て取れるだろう。
そんな様子も意に介さず、モネはどこか吹っ切れたような表情で答える。
「旅を終わりにして、二人ともこの島を出てください。カナタさんは……ここに、私と残りましょう。二人きりで、暮らすんです」
そうして、彼女の口角が上がる。まるで歪な三日月のような笑み。それは一目でわかるほど、明らかに正気のものには見えなかった。
「そんなこと……」
できない。
できるはずがないのだ。
僕は元より、この世界の人間ではないし、この世界も、祖父の描いた絵本の世界だ。
どう考えても、物語に逆らって生きるのは難しいように思える。
「お前……わかってるんだろうな、今、姫様に弓引いてんだぞ!」
「わかってますよ、アキレア。でも、今の私には、姫様よりも譲れないものがある……!」
再び、彼女の周囲に、複数の黒い光球が浮かぶ。凝縮された光の照準は、確かめるまでもなく僕らの方を向いている。
黒い熱線の威力は、今までに見た彼女の魔法とは比べ物にならない。恐らく、『遺物』の力によって強化されているのだろう。
一発でも受ければ、どうなってしまうかなど言うまでもない。
「――ならば、手加減は要らぬな」
だというのに、金色の髪をはためかせ、聖剣の姫は先陣を切る。
視界に残る、黄金の軌跡。それは数瞬とかからぬうちに、放たれた漆黒の光と激突する。
空間が震え、舞った砂埃が衝撃の凄まじさを物語る。その渦中にあれど、エーデルは揺らぐことなく、そこに立っていた。
「……モネ、私は嬉しいのだ。いつも引っ込み思案で、誰かの影に隠れていたお前が、欲しいものをはっきりと口に出せたことがな」
柔和な笑みと言葉。だが、それとは裏腹に、構えからは殺気が滲み出している。
「しかし、私も譲れん。この旅を終わらせるわけにはいかない。つまるところ、これは――」
エーデルが、再び駆ける。それを追いかけるようにモネの光球が閃いては、聖剣の斬撃に撃ち落とされていく。
そして、黄金の姫は手近な壁を蹴って跳躍する。その落下とともに振り下ろした剣が杖によって防がれ、辺りには鋭い金属音が響く。
「――これは、信念を懸けた戦いというわけだ」
鍔迫りが弾けるまでに、数秒。勢いよく後退った両者は、激しく睨み合う。
モネは愛憎入り混じった複雑な瞳で。
エーデルは折れぬ真っ直ぐな瞳で。
それぞれ、一呼吸の間が流れる。
「……マズいな、ありゃ」それを見ていたアキレアが呟く。
「マズいって、何がだよ?」
「姫様の聖剣だ。いつもほどの出力が出ていねえ。モネのことを斬るべき『魔』だと認識できてねえからだ」
「それは……当然だろ」
モネは仲間だ。
ここまで苦楽を共にしてきたのだ――彼らは、僕なんかよりもきっと、ずっと。
見れば、確かにエーデルの手にしている剣の輝きは、いつもよりも幾分鈍い気がした。
一方で、モネの魔法の冴えは増している。吹っ切れた彼女には、心理的な枷も無いのだろう。
ただ、激情に任せて力を振るう。
そんな、怪物と化してしまっている。




