四章『黒の島』-8
「なるほどな、確かに異様だ」
まじまじと、突き立った姿見を見つめながら、エーデルが呟く。
あの後、僕は皆を家の中に招き入れることにした。『遺物』を入手するためにはエーデルたちの力が必要というのもあったが、特段、家の中に危険が見受けられなかったというのもある。
モネとアキレアも各々、先程突如として現れたそれを観察している。当然、鏡というからには、顔や体を映すことはできる。しかし、それ以外は特に変哲は無さそうだった。
「……魔力は感じます、が。魔物のものとは違うようです。危険は無いと思いますが」
「カナタ、これがお前の言っていた……」
僕は頷く。そして、鏡面に触れれば、冷たさが指を伝う。
「ああ、『望みを映す鏡』だと思う。とはいえ、僕も詳しく知ってるわけじゃないんだが……」
「望みを映す……ねえ、何でそんなもんが、カナタの爺さん家に置いてあるんだよ」
アキレアの口にした疑問に対する答えを、僕は持っていなかった。当然だが、絵本の展開では鏡があったのは、もっと別の場所だったのだから。
「僕が見た景色では、もっと神殿然としたところに置かれていたんだけどな……」
「それもまた、我々が『外れてしまった』が故だろう。同じ働きをするものなら、私たちの目的には問題がないはずだ」
エーデルの言葉は道理だった。そもそも、この島に現実世界の町が、祖父の家があること自体がおかしいのだから、僅かな差異に突っ込んでも仕方がない。
「なら、やることは決まってんな、この鏡に映りゃいいのか?」
「ああ、そうだな、だけど、ちょっと待ってくれ」
そうして、僕は少し距離を取り、鏡面に自分が映らない位置に立った。
僕には、曇りのない意思などない。
彼女らのように、祖国の復興のために『遺物』を必要としているわけでもない。そんな僕が介入することによって、妙なトラブルが発生するのも癪な話だ。
「後は、皆が鏡に望めばいいだけだ。祖国の復興のために、『遺物』をこの手に……ってな」
「ふむ、なるほどな。仕組みは簡単だが、何か罠があったりはしねぇのかよ?」
「その辺りは、もうエーデルと打ち合わせ済みだ。恐らく、何事も起こらないだろうし――」
その感情に名前をつけるのなら、信頼の二文字がよく似合うだろう。
「――それに、何があってもお前らなら、何とかなるだろ」
楽観ではなく、誇張でもなく。彼女らなら、どんな困難が降りかかろうと進んでいける。
そんな気が、するのだ。
「……なら、これで遂に『遺物』が全て揃うんだな」
アキレアが、どこか感慨深そうに呟く。
彼らがどんな思いで『遺物』を求めてきたのか、僕は知らない。故郷を亡くし、民と家族を喪い、それでも前を向いてきたのだと、描写をなぞっただけだ。
その思いには寄り添えていない。
その思いを分かち合えていない。
けれど、命懸けで脅威に立ち向かってきた、彼らの勇敢さを、僕は知っている。そして、その原動力になるだけの思いであったのなら――きっと、凄まじい熱量を秘めたものなのだろう。
「ああ、これで、旅も終わり……だ」
エーデルはそう口にすると、鏡の前に立つ。微塵も揺らぐ気配はなく、普段通りの気高い彼女のまま。
旅の終わり。
形はどうあれ、歪んでしまったとはいえ。
エーデル姫と、仲間たちの物語は終幕に向かうのだろう。
あとは、彼女が望むのみだ。自らの未来を、そして、明るい物語の結末を――。
「――旅が、終わる?」
ぞくり、と。
その時に僕が感じたのは、寒気だった。
悪寒、というべきだろうか。何よりも冷たく、凍りつくような声が鼓膜を撫でた。
「も、モネ……?」僕はその声の主が立っているであろう方向に視線を向ける。
彼女は、普段通りそこにいた。
細い体も、だぼついたローブも。トレードマークのエナン帽も、並べていつも通り。
違うところがあるとすれば――視線だろうか。
彼女の淡い色の瞳が、しっかりと鏡を見据えている。その色彩からは、今までの彼女が見せていたようなか弱さは見て取れない。
狂気にも似た強い感情――それが、どろりと膿のように、目元から溢れ出す。
「旅が終われば、カナタさんはいなくなってしまうんですよね?」
声が、罅割れるように揺れている。
涙声とも違う、動揺とも違う。激情を抑え込んだかのような、抑圧の声色。
「そ、そうだけどさ、なあ、落ち着いて……」
「私は……お別れなんて、したくありません」
ふわり、と。
モネを中心として、微かな風が吹いた。それが彼女の気迫によるものなのか、それとも、魔力か何かが影響したのか。
わからない。
わからないけれど、僕の目にそれは映っていた。
向かい合う彼女らを映す鏡。
そして、鏡面に映るモネの手に握られた、不思議な気配を放つ、真っ白な紙――。
僕が認知するのと同時、こちらのモネも、手にした遺物を視線の高さまで持ち上げる。
「……私、考えたんです。どうしたら、カナタさんがこの世界に留まってくれるのか。どうしたら、ずっと一緒にいられるのか」
途端、エーデルの荷物が輝き始める。『青の島』で龍の涙を受け取った時と同じような、『遺物』の共鳴反応。
僕らの手を離れ、モネの下に集まった三つの遺物。
全てを描けるペン。
全ての色を表せるインク。
そして、この世の全てを載せられる紙――。
「な、なにしてやがるんだ、お前っ!」
アキレアが駆け出す。しかし、もう遅い。ひとりでに動き出したペン先はインクを吸い、宙に浮かぶ紙に形を描き出そうとしている。
エナン帽とローブ、手にした杖にも、見覚えがある。
描かれたのは、モネの姿。しかし、その髪の色は鮮やかな赤ではなく、まるで透き通るような白色だった。
どこからともなく、黒い靄のようなものが滲んできては、モネを包んでいく。いや、これは靄というよりも、曇りと呼ぶのが正しいのか――。
「ここで、旅を終わりにすればいい。力づくでも止めて、どこにも行けないように――」
彼女が杖をひと薙ぎする。それと同時に、部屋に積まれていた画材が、本が、あらゆるものが吹き飛ばされ、床を転がった。
もちろん、僕も例に漏れない。壁を支えにしてその場に踏み留まることができたものの、気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうなほどの風に、目が開けられない。
それでも、と、両腕を顔の前で交差させながら、ゆっくりと目を開けば――。
「――私のものに、してしまえばいいんです」
曇りの晴れた、その先に。
屈折した、白髪の魔法使いが、立っていた。




