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四章『黒の島』-6

 僕たちが入った服屋は、郊外店だったこともあり、それなりに店舗面積がある。試着室も複数設置されており、床には埃ひとつない。


 なんとなく、所在なさげにハンガーラックの隙間を行く。


 そこまで衣服にこだわりのない僕は、一人で服を選びに来たことも少ない。大体が通信販売でありふれたものを買うか、姉に引っ張られて渋々店に行くくらいだろうか。


 特に、複数人でなんて、家族以外ではほとんど初めての経験だった。


「お、これ見ろよカナタ! こんな鮮やかな色のシャツ、王族だって着てねえぜ!」


 はしゃぐようにアキレアが手に取っていたのは、派手な色のアロハだった。


 既に彼は試着を繰り返し、下はダメージジーンズ、上にはタンクトップと革ジャンという、まあ何とも90年代のファッションになっていたのだが、ここにはその趣味を指摘するような人間がいないのが救いと言うべきだろうか。


「ああ、はいはい。着替えは試着室でやってくれよな……」


 僕は適当に返しながら、自分の着ている半袖パーカーの替えを探し始めた。冒険の中で幾度も傷つき、汚れたためか、今着ているものは相応にみすぼらしくなってしまっている。


 女性陣は、僕たちを置き去りにして店の奥にズンズンと進んで行ってしまった。追っていくことも考えたが、着替えのタイミングでかち合ってしまったら気まずいので、止めておくことにした。


「それにしてもよ」アキレアが、丸レンズのサングラスを掛けながら。「姫様はどうして、急に服屋なんかに入ったんだ?」

「それこそ、僕がわかるかよ。女性なんだし、普通に服が気になったんじゃないのか?」

「んなわけねえだろ、初めて上陸する島、異様な状況、ここで姫様が気を抜くはずがねえ。何か、考えがあるんだ……」


 僕は肩を竦めた。

 エーデルの考えることなど、僕にはわからない。


 けれど、一つだけ言えるとすれば、彼女がここで無意味にファッションショーに興じるような性格ではないということくらいか。


「……まあ、それでも人の気配が無いなら、少しは――」


 僕がそう口にしようとしたところで、目の前に、ラックの隙間から誰かがひょこっと顔を出した。


 初見では、それが誰なのかわからなかった。僕よりも頭一つ低い、華奢なシルエット。落ち着いた色のロングスカートとニットブラウス、頭にちょこんと載せたベレー帽が、何とも似合っている。


「……モネ、か?」僕は恐る恐る口にする。

「そ、そうです。似合いますか……?」


 おずおずと訊いてくる彼女に、何と言葉を返すべきか、すぐに答えは出てこなかった。


 似合うと言うべきだったのか。

 可愛いと褒めるべきだったのか。

 答えに窮して、僕の思考は固まってしまった。


「あ、ああ、えーっと……」


 答え倦ねていると、不意に、背後から肩を掴まれる。


「そういう時は、素直に褒めておくものだぞ、カナタ」


 その声に振り返れば、着替えを終えたエーデルが佇んでいた。


 スラッとしたパンツスタイル。シンプルなブラウスにジャケットを羽織っただけだったが、それが妙に絵になる。


「カナタの世界の服は不思議だな、体に密着するというか、見たことのない造りのものばかりだ」

「そうか? まあ、エーデルたちから見ればそうなるのか……」

「服の作りはどちらでもいい、それよりも、だ」


 そこで、彼女は僕の正面に移動する。そして、身を縮こまらせていたモネの肩を抱くと、普段通りの自信に満ち溢れた笑みを浮かべた。


「しっかりと言葉にしてくれ。どうだ、似合っているか?」

「……っ」


 急に、喉の奥が渇くような感覚があった。


 何と言うべきなのか、頭の中を無数に泳ぐ単語の群れが、いつまで経っても形を成さない。


「カナタ」そんな僕に、エーデルは。「正解などない。正解の言葉など求めていない。お前の、そのままの感想でいいんだ」


 言うべき言葉などない。

 正解など求めていない。


 それは、僕の気持ちを驚くほど軽くしてくれた。とはいえ、いきなり気の利いた台詞など出てくるはずもない。


 僕にできるのは、どこにでもあるような、しかし剥き出しの感情を、声に乗せることだけだった。


「に……似合ってる、よ……」


 ただそれだけのことなのに、頬が熱を帯びていく。そんな僕の醜態を前に、エーデルは力強く頷いた。


「そう、それでいいのだ。カナタは少しばかり、ひねくれた所があるからな。たまには素直になるといい」

「……まさか、そのためだけに服屋に入ったんじゃないだろうな」

「無論、違うさ。だって、こうしてお前のいた世界の衣服を纏えば――」


 そこで、彼女の目に、憂いのようなものが浮かんだ気がした。


 どういう意味を持つのか、そもそも、見間違えではなかったのか、今となっては、確認のしようもないが。


 有り体に言えば、彼女は少しだけ――悲しそうだった。


「――向こうの世界に行っても、私たちを思い出せるだろう?」


 アキレア。

 こうして見れば、服の趣味が悪い、普通のおじさんに見える。がっしりとした体つきで、ジムから出てくるところを見かけてもおかしくはない。


 モネ。

 臆病そうに歩く姿は、古書店なんかが似合うかもしれない。けれど、堂々と魔法を使うあの横顔は、日常にあれば誰かを勇気づけるだろう。


 そして、エーデル。

 モデルか、そうでなくてもキャリアウーマンのような。どうあれ、人を惹き付ける立場にいる者だろう。CMなんかで見ても違和感はない。


 確かに、こうして普通の格好をしていれば、向こうの世界で行き合ってもおかしくないように思えるかもしれない。


 ……皆が、僕のよく知る現実に溶け込んでくるような。


 そんな錯覚すら、してしまう。


「……悪い。僕のため、だったんだな」


 いつか、必ず彼女らとの別れはやってくる。そして、それは遠くない未来の話だ。


 だから、その後にも僕が寂しい思いをしないように。どこかで、また出会えるかもしれないと、期待を抱けるように。


 そんな、彼女らの優しさだったのだろう。


「……ありがとう、みんな、僕は――」


 先程諭された「素直」とやらに従って、感謝の気持ちを言語化しようとした――その瞬間だった。



 店の外を、誰かが歩いていった。



 纏っていたのは、どこかで見たことがある汚れたローブ。小柄な体躯と、華奢な手足。


 『黄の島』でも『青の島』でも見かけた、あの人影。

 一つだけ違っていたことがあるとすれば、そのフードが下げられ、顔が露わになっていたことだろうか。


 暗がりの下、隠れていた素顔を目にして、肺が冷たくなるような、全身の皮膚に針を刺されたような。


 そんな痛みの中で――僕は、ぽつり、その名前を呟いた。



「――はなぶ、さ?」



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