四章『黒の島』-3
この旅が終わって現実に戻れば、僕はどうなってしまうのだろうか。
英と共に飛び降りた僕が無事であるとは思えない。向こうに戻った刹那、命を落とす可能性だってあり得る。むしろその方が自然と言えるくらいだ。
それに、よしんば助かったとしても無傷ではないだろう。後遺症が残らないとも限らない。
いや、それ以前に。
戻ることもできず、僕の意識が絶えてしまう可能性だって――ゼロではないのだ。
「……ああ、怖いよ。怯えてる、のかもしれない」
素直に口にする。虚勢は無意味に思えた。少なくとも彼女には、全て見抜かれてしまうだろう。
「でも、それは当然のことだ。誰だって死ぬのは怖い、苛烈な現実なんて、見たくないんだよ」
まるで一夜の夢のような、この旅路を歩んでいるうちは考えなくて済んだあれこれが、僕を殺してしまうような錯覚。
ほんの少しでも思考を向けてしまえば、その残響がいつまでも消えないから、僕は目を背け続けているのに。それを聞いたエーデルの表情は、全くと言っていいほど変化していない。
ただ、全てを受け入れるように頷くばかりだ。
その穏やかな笑顔が、どうにも、気に入らなかったから。
「……エーデルは、怖くないのかよ」
それは、ほとんど底意地の悪い――意図的に彼女を傷付けようとする言葉だった。
駄目だと頭でわかっていても、止めることができない。
「お前たち皆、僕にとっては物語の登場人物でしかないんだぞ。物語が終われば、その先なんて……」
「その先なんて?」エーデルは、僕から目を逸らさない。
「……ない、かもしれないだろ?」
自信を持って口にすることはできなかった。後ろめたい気持ちが、僕の皮膚の内側を引っ張っている。
断言はできない。僕だって、彼女にそんなこと、本当は言いたくないのだ。
それでも、下らない見栄や反抗心が言葉を歪めてしまい、思ったように言葉が接げない。
そんな僕の、碌でもない話だというのに、エーデルは笑わなかった。受け止めて、ゆっくりと噛み砕き、そして。
「そうだな、でも、カナタ。お前は勘違いをしているぞ」
「……勘違いって、なんだよ」
半ば意地になっていたのだと思う。彼女の言葉を、高潔な彼女の意思を、ほんの少しだけ曲げてやりたかった。
そんなことに意味など、無いというのに。
エーデルは僕の気持ちを知ってか知らずか、事も無げに言うだろう。
「……そもそも、な、私たちとお前は、何も変わらん。同じものなのだ」
「……でも、エーデルはまるで、この世界の主人公みたいで」
キラキラと輝いていて。
華があって。
見せ場があって。
この物語において、必要とされている。
そんな彼女が、僕と同じなわけがない――。
「変わらんよ、私たちも、カナタもな」
彼女はそんな僕の、弱々しい言葉を一笑に伏した。不思議と、彼女の顔を見ていると、ちっぽけな悩みを抱えている自分が馬鹿みたいに思えてくる。
「誰もが、物語の主人公であり、また、別の誰かの物語の登場人物なのだ。私たちは命の数だけ、それぞれの物語を紡いでいるのだから」
物語の主人公。
何も無い、空っぽの僕すらも、そうなのだろうか。
「それは――」
無理がある、ように思えた。
僕を主役に据えた物語が、どれほど人の興味を引くものだろうか。そんな作品を描く人間の気が知れない。
或いは。
人の気など知れないからこそ、描こうとしたのかもしれないが。
「……まあ、考え方は自由だ。私も、強制はしないさ。」
そこで、彼女は立ち上がった。話はもう、終わりなのだろうか。
まだまだ話したいことがあるような気がした。一方で、彼女が話を切り上げようとしていることに、安堵している自分もいる。
自分の一番柔らかいところに、傷を負わなくて済んだと、そう安堵している。
夜のような暗澹に浮かんだ、まるで一番星の如く眩しい彼女は、僕の目を灼いてしまうから。
だから、このまま立ち去ってくれれば良かったのに。
彼女は、僕に歩み寄ってくると、軽く肩を叩いた。まるで、僕の弱気に気付いているかのように。
無意識に傷付くことを避ける僕を、鼓舞するように。
「……でも、お前の言う通り、この世界が絵物語であるのならば。そろそろ次のページを捲る時間なんじゃないのか?」
ページが捲られる。
そうすれば、否応なしに物語が進む。今となっては物語の一部である僕に、それを拒む術は――ない。
「おうい、お前ら! 次の島が見えてきたぞーっ!」
船室の外、甲板の方から威勢のいい声が聞こえてくる。見張りと操舵を兼ねているアキレアのものだ。
それを聞いたエーデルは、微かな微笑みとともに、僕に一瞥をくれた。そして、力強く歩き出す。
「ああ、今行く! ほら、カナタ。一緒に行こう」
差し伸べられた手。
手のひらが重なる。暖かい。暖かくて、先を歩いてくれる、手を引かれる感覚はどうしてこうも、心を落ち着けてくれるのだろうか。
物語は進む。ページを捲るまま。
物語は進む。僕の迷いを、乗せたまま。




