四章『黒の島』-2
黒の島。
ランタン諸島の中でも最も小さいこの島は、唯一の無人島でもある。
この島には、最後の『遺物』が眠っている。それを手にすれば、いよいよ向かうは旅の終着点である『白の島』だ。そこまで至った旅人がいない現状では、ランタン諸島最後の島とも呼べるかもしれない。
絵本の通りであるなら、黒い木々に覆われた、不気味な外観をしているだろう。地面も湿気た黒土のように描かれており、子供ながらに不気味な気配を感じ取ったのを覚えている。
おどろおどろしい色使いと、いつもよりも幾分不気味に感じる地の文によって綴られたこの島。そこで繰り広げられた冒険は――。
「――たぶん、一番呆気なかったと思う」
僕は記憶の底を辿りながら、そう口にした。
ここは、船室の中。寝台に掛けるようにして話す僕の正面には、向き合うようにしてエーデルが腰掛けている。
『青の島』を出港して数時間。傷が治りきっていないこともあり、見張りを代わってもらった僕が船室で休んでいると、現れたのは彼女だった。
「カナタ、次の島の上陸まで、そう時間がない。よければ、『黒の島』について知っていることを話してくれないか」
そんな彼女に応じるように、僕は絵本のページを思い出しながら、話すことにしたのだが……。
「……呆気なかった? それは、どういうことだ?」
僕の言葉に、エーデルは訝るように眉を寄せた。精緻な彫像のような美形の彼女は、顔を顰めると少しだけ怖い。
妙な緊張感を覚えつつ、僕はその先を続ける。
「ああ、まず、次の島については、脅威らしい脅威が無いんだ。人も住んでいないし、敵らしい敵もいない」
「……それならば、『遺物』は野晒しになっているというのか?」
首を振る。『遺物』は守られているのだ、それも、ある種最も強固な守りによって。
「いや、そうじゃない。この島の最奥にあるのは、『望みを映す鏡』だ」
「『望みを映す鏡』だと? なら、それが『遺物』なのか?」
「結論を焦るなよ」僕は前のめりになる彼女を制しつつ。「違う、その鏡はあくまでも、『遺物』を手に入れる方法でしかないんだ」
僕は答えながら、昔、祖父から勧められたファンタジー小説の中に、似たような仕掛けがあったな、と思い返していた。
それなら、さながら『遺物』は賢者の石か。しかし、一筋縄では行かないところもある。
「……ただ、鏡が映すのは望みだけじゃないんだ。その人間の、曇りも映し出す」
「曇り、か。それはつまり、心の悪しき部分も見抜かれる、ということだな」
首肯する。望みの裏側にある、欲望や感情。それらが形を成して、襲いかかってくる――。
「――そのはず、なんだがな」
僕はそこで言葉を切って、エーデルの瞳を覗き込んだ。
どこまでも澄んだ、ガラス細工のような碧眼。そこには、曇りや陰りなど一つも存在していない。
「単純な話だ。鏡は、曇りを映し出すことがなかった。エーデルは何もすることなく、何とも争うことはなく、『遺物』を手にするんだよ」
欲望や感情を曇りとするのなら。
きっと、そんなもの彼女には無いのだろう。望んでいるのは亡国の復興のみ。そして、それ以外の余計な欲は持ち合わせていない。
だからこそ、鏡は素直に『遺物』を託してくれたのだろう。実際に彼女と会って、こうして冒険をすれば、その理由にも頷ける。
「……そうか、つまりもう、ほとんど『遺物』は集まったも同然というわけか」
「ああ、まだ油断はできないが、ほぼほぼ大丈夫だろ、それに、何かあったとしても皆でカバーすればいい」
三色の島も、怪物も。別れの運命だって、僕らは乗り越えてきた。
ならば、この先に何が待ち受けていても、問題なく越えていけるだろう。それは、信頼というよりも、確信めいたものだった。
「……旅の終わり、か」エーデルが呟く。「どんな時間にも、終わりは来るものなのだな」
終わり。
ありとあらゆる物語に、最後の一ページは存在するのだ。
それは、僕らのお話にも例外はなく。
いずれ、僕たちはフィナーレの一文を置いて、現実に戻らなければならない。
……現実。
「ああ、本当に、終わっちまうんだなあ」
僕は口にしながら、胸の中に渦巻く複雑な感情を持て余していた。
ここが、物語の世界だとして。
僕が、いずれは元の世界に戻っていくものだとして。
そこで待っている現実とは、どんなものなのだろうか?
想像する。アスファルトの地面、学校の中庭。聳え立つコンクリートの麓に、飛沫を上げて潰れた体が二つ。
動くこともなく、語ることもなく、生温い気温に熱せられ、僕ともう一人の体は、ゆっくりと腐敗していく――。
「――カナタ、大丈夫か?」
呼びかけられて、ハッとする。意識がどこか、別のところに飛んで行ってしまっていたようだ。余計な思考を、頭を振って追い出していく。
「悪い、少しボーッとしてた。気にしないでくれ」
そんな言葉で誤魔化せる相手ではない。加えて、それで踏み込んでくるのを止めるほど臆病でもない。
だから、彼女はその先も続けてしまう。
「……カナタ、お前は、怯えているんだな」
怯えている?
意外な言葉に、僕の思考はフリーズした。
「ここはお前にとって、絵物語の中のような世界なのだろう。ここで私たちと旅をしている間は、お前の現実と向き合わなくて済む」
「な、いや、そんな……」
否定したい。
否定したいはずなのに、言葉が出てこない。
だって、彼女が言うことは全て、的を射ていたのだから。




