四章『黒の島』-1
久し振りに姉に会ったのは、僕が中学を卒業する年の九月。祖母の三回忌の席であったことを覚えている。
滅多に里帰りしてこない彼女は、しばらく見ないうちに派手な見た目になっていた。
趣味の悪い、暗い色の蝶を思わせるメイクと髪型は、よく通った鼻筋と勝ち気な目元に似合ってはいたが、自分の知らない生き物に変わってしまったかのようで、好きにはなれなかった。
「へえ、あんた、こっちの学校に来るんだ」
斎場で冷えた仕出し弁当を突きながら、姉は今気づいた、とでも言うかのように白々しい表情を浮かべ、問いかけてきた。
「地元じゃなくていいの? 一人暮らしとか、結構大変なのよ」
「……うるさいな」僕は数年ぶりに顔を合わせた姉から目を背ける。
この時、どうして僕は家を出たかったのだったか。下らないことだったと思う。誰もが一度は抱くような故郷への漠然とした嫌悪感があったと、たしか、そんな理由だ。
「何よ、久し振りに会った姉が心配してるのに、その減らず口」見るからに、彼女は機嫌を損ねたようだった。
「別に、構わないでくれよ。もう、決めたことなんだから」
「なーに、いっちょ前に反抗期気取ってるのよ。あんたが思ってるほど、世の中優しくはないのよ」
大学を出たばかりの姉も、世の中を語れるほどの歳ではないだろうに。
彼女は、いつでもそうだった。僕の半歩先を歩いていなければ気が済まない。僕にマウントを取ることで姉としての面子を保っているつもりなのかもしれないが、踏み台にされる僕は、毎度毎度、たまったものではない。
「それに、あんたこの学校。結構勉強頑張らなきゃいけないんじゃないの? 大人しく、こっちにしときなさい」
さらに、僕の志望校を聞いた彼女は眉を寄せながら、スマートフォンの画面を押し付けてきた。
そこには僕が目指していた高校よりレベルを二つほど下げた学校のホームページが表示されている。僕は、それを払い除けてから。
「いいんだ、もう決めたって言ってるじゃんか」
この頃の僕は、まだ自分が空っぽであることに気がついていなかったのだ。
何も成せない。
何にも成れない。
そんな空洞であることを知っていたのなら、姉の言う事を賢く聞いておくこともできただろうに。
自分も何かに成れるのだと。
自分も何かを持っているのだと、そう、信じていた。
「……それならいいけど、姉ちゃんは心配なのよ。第一、生活費とかどうするのよ」
「それは……ほら、バイトとか」僕は口ごもった。具体的なプランなど、持っていなかったから。
不安そうに口にする僕を見て、姉は意地悪そうに口角を上げた。何がそんなに嬉しいのかはわからないが、「しまった」と思ったのを覚えている。
「ほら、なら、一人暮らしなんて止めときなさい。どうせ、あんた一人じゃ宗教勧誘だって断れなくて終わりよ」
「そ、そのくらい……」
「あと、ゴミ出しや家事は? ご飯だって、自分で用意しなきゃ出てこないのよ。部屋を掃除するのも自分、誰も助けてくれないの」
まくし立てるようにして言われ、僕は思わず、言葉に詰まってしまう。
それでも、勝ち誇るように笑う姉に何か言ってやりたくて、必死に頭を回す。何か、何か言い返すことはできないだろうかと、そう、頭の中をひっくり返して――。
「――頑張ってみたいんだよ、僕も」
そう、心にも無い言葉を口にしたのを覚えている。
本当はやりたいことなんてロクに無かったはずなのに。
本当は、ただただ都会に憧れていただけなのに。
それでも、その台詞だけはやけに堂々と、真っ直ぐに言うことができた。
「……本気なの?」姉は、僕の目を覗き込んで。「楽しいことばっかりじゃ、ないのよ?」
「そんなの、どこだって一緒だろ。ここだって、東京だって、辛いことは同じようにあるんだ」
そこで、彼女は僕としばらく睨み合った。強調されたアイラインのせいか、元々強かった姉の目力がさらに強まり、僕は息もできないような緊張感を覚えていた。
そのまま、しばらくの間。先に目を逸らしたのは、姉の方だった。
深い溜め息を吐いて、額を指先で押さえる。そして、呆れるように肩を竦めながら口を開いた。
「……わかったわよ、好きにすれば。でも、一つだけ――」
彼女は、今思えば、見たことがないくらいに優しく。けれどその時は、意図の読めない視線と共に、その続きを口にした。
「――私と一緒に、住む気はない?」
今思えば、姉は僕のことを心から案じてくれていたのだ。
けれど、僕は彼女の気持ちに気がつくことはなかった。下らない反抗心で逆らって、文句を言って、突っかかって。
思い返す度、後悔ばかりだ。
ごめん、姉ちゃん。
さようなら、姉ちゃん。




