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三章『青の島』-17

 この魔物を倒す手段は、聖剣しかない。


 しかし、その担い手であるエーデルは起き上がらず、この場で動けるのは僕だけだ。


 どうにか、エーデルが立ち直るまで時間を稼がなければならない。


 僕が?

 一人で?


「……そんなの」


 できるわけがない。


 後半を飲み込んだ言葉が、胃の中で暴れている。緊張も相まって、気を抜けば嘔吐してしまいそうだ。


 手足の感覚が遠のく。握っている剣の冷たさすらも、どこか頼りない浮遊感。


 それでも、やらなければいけない。


 この結末を望んだのは、僕だ。僕が物語を捻じ曲げてしまった。アキレア一人の犠牲で続けられたはずの旅を、僕が終わらせるわけにはいかない。


 見様見真似で、刺突の構えを取る。そのまま大蛇の首元に斬りかかるが――エーデルやアキレアのように、剣に勢いが乗らない。


 強固な鱗に弾かれ、僕は大きく体勢を崩す。そこを大蛇は見逃さず、素早く首をひと薙ぎ。それだけで、僕は呆気なく転がった。


 無様だ。


 素人の僕が扱う剣では、鱗を裂くことができない。

 魔法は一度使えたことがあるが、今はまるっきり使用不可だ。


 僕には、戦うための力がない。この場を、運命を打破するだけの力がない。


「……カナ、タ」不意に、横合いから声が聞こえる。


 見れば、崩れた石壁に凭れるようにして、エーデルが立ち上がっていた。彼女は絶え絶えの息で、今にも脱力しそうな足を震わせながら、そこに立っている。


「カナタ、お前ひとりだけでも、逃げるんだ。私が聖剣を放てば、少しくらいは隙が生まれるだろう」

「――っ、そんなの」


 できるわけがない。

 ふたつめ。先程と同じ言葉が、また腹に溜まる。


 彼女を置いていけば、間違いなく命を落としてしまう。そうなってしまえば、託してくれたアキレアにも顔向けができない。


 やるしか、ないのだ。


 だが、どうする。エーデルは動かない。僕の攻撃は通用しない。聖剣以外の光源がないここでは、そもそも攻撃を当てるのも――。


「――そうか」


 僕の頭に、閃くものがあった。


 上手くいくかどうかは、わからない。もしかすると、今よりも状況が悪くなる可能性もある。


 それでも、試さずに逃げ出すよりは。

 彼女を見殺しにするよりは、マシなんじゃなかろうか?


「……どうせ、駄目ならここで死ぬんだ」


 死ぬくらいなら。

 最後に一度くらい、頑張ってみてもいいじゃないか。


 意を決する。そこから行動までは早かった。


 僕は横合いに投げ出された、エーデルの聖剣に飛びついた。淡い輝きを放つ剣は、今もまだ、その力を失っていないようだった。


「……やめ、ろ、カナタ……!」


 エーデルが、絶え絶えの息で呼びかけてくる。


「それは、普通の人間には扱えない……! 下手すると、お前の体が……!」


 構わず、僕は聖剣の柄を握る。それと同時に、手のひらから肩にかけて、焼かれるような熱が上ってきた。


「――っ!」思わず、苦悶の呻きを上げそうになる。


 エーデルは、これに耐えながら戦っていたのか。だとすれば、どれだけの苦痛を背負い込んでいたのだろう。


 意識が飛びそうになる。絶え間なく遅いくる痛みと熱が、少しずつ僕を削っていく。


 やはり、無理なのか。

 僕に、この剣を振るうことなど、できるわけ――。


「……ない、なんて、言うかよッ!」


 ――みっつめは、握り潰した。


 手のひらが爛れる痛み。いや、実際に身体が傷ついているわけではないのだろう。


 骨も、筋肉も、腱も。何もかも、まだ健全に動く。ならば、僕が剣を振れない道理はないのだ。


「う、ああああああっ……!」


 喉から声を絞り出す。頭の芯が白熱する。度を越した痛痒は骨格を辿って全身に伝わり、気を抜けば眼球が発火してしまいそうだった。


 けれど、動く。

 体は、動く。


 僕は再び、見様見真似で構える。幾度も見た、八相の構え。彼女のものと比べれば頼りないだろう。腰が引けて、腕にも力が入っていない。


 ――それでも、呼応するように聖剣は輝きを増した。

 闇に閉ざされた空間の全てを照らすように、光はその熱量を高めていく。


 焼かれる手のひらが、ドクドクと脈打っている。止め処無い苦痛が内臓を締め上げて、吐き気すら催しそうになる。


 けれど、今だけ。

 この瞬間だけ、保ってくれ。


「……カナタ、まさか、お前――」


 エーデルが、何かを呟いた。


 それももう、聞こえない。僕の見る世界から、余計なものはどんどんと追い出されていく。


 恐れを隠さずに飛びかかってきた大蛇も。

 暗闇に満ちる、異様な瘴気も。

 地面の凹凸、壁のザラつきも、何もかもが消え去っていく。


 全て、要らないものだ。

 今の僕には、必要のないものだ――。


「いっけええええええええっ!」


 僕は剣を振り下ろす。剣先に光が集束し、巨大な刃を形成したかと思えば、それがどこまでも伸び、一筋の光の帯として大蛇に突き刺さった。


 影に潜む蛇には、今際の声すらもなく。聖なる光が、その長大な体を喰い荒らす。何かから逃れようとするかのようにのたくった体は岩壁に幾度となく衝突した。


 それでも、光の刃は勢いを殺すことなく、大蛇の体を切り裂いて――。



 ――僕が覚えているのは、そこまでだった。



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