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三章『青の島』-15

 クチナシが言っていた祠の入り口は、すぐに見つかった。


 濁流によって足元が不確かなせいか、平時であれば数分で歩けるような距離も相当な時間を要したが、比較的苦労せずに僕らはそれを見つけることができたと思う。


 祠のある洞窟には、竪穴状の入口があり、そこには現実世界で見たことがある、注連縄(しめなわ)のようなものがかけられている。


 なるほど、いかにもといった風情だ。

 しかし、ひとつだけ問題があった。


「……どうするんだよ、これ」


 僕はぽつり、呟く。


 洞窟の入口から、ざぶざぶと水が流れ込んでいた。どこまで浸水しているかはわからないが、少なくとも、入口の大半は水で埋まってしまっている。


「弱ったな」エーデルがぼやく。「これでは、中に空気があるかどうかもわからん。入るのは、相応に危険だ」

「それでも、行くしかないんだろ」

「愚問だ。私たちは、アキレアをここで失うわけにはいかないからな」


 そこで、彼女は纏っていた装備を外し始めた。躊躇もなく、それはこの水で満たされた洞窟の中に踏み込んでいく覚悟が決まっているということだ。


「カナタ、ここは私が行ってこよう。お前はここでモネと――」


 エーデルの言葉は、半ば悲鳴のような声で掻き消された。


「――姫様、危ないっ!」


 言うが早いか、モネの指先には水の槍が生まれていた。それは、刹那の速度で飛んだかと思えば、エーデルの背後に忍び寄っていた影に突き刺さる。


「なっ……」彼女は飛び退いたが、すぐに気が付く。僕らの周りを、無数の気配が囲んでいた。


 それは僕が見たことがある生き物に例えるのなら、蛇が一番近いだろうか。頭から尾までが艶のない漆黒に染まっていなければ、そうだと断言できたかもしれない。


 そんな生き物が、それこそ数十匹。僕たちを囲むように集まってきていた。


「くっ……そういや言ってたな、『様子を見に行った連中が帰ってきてない』って……!」


 理由はこれか、と思わず剣に手が伸びる。帰ってこなかった人々は、こいつらに襲われたのだ。


「……ま、待ってください」そんな僕を、モネが制す。「カナタさんは姫様と、祠に向かってください。ここは、私が引き受けます」

「モネ、でも、この数は……」


 僕は襲ってきた蛇の群れを観察する。一匹一匹が、人間と同じくらいの全長がある大きな蛇だ。


 それが何十匹と向かってきている。全て倒しきることは、容易じゃないだろう――。


「だから、私なんです。魔法は、一対多に適しています」

「……それなら、私の聖剣で焼き払おう」


 挟んだエーデルの申し出を、モネは一言で断った。


「駄目です、姫様、今日はもう聖剣を二回使っています。もう、何度も使うことはできないでしょう」


 エーデルは、それに反論することはなかった。モネの私見は、正しかったようだ。


 と、話し込む僕らの下に、一匹の蛇が飛びかかってくる。それを、モネの水の槍が串刺しにした。


 彼女はその攻防の最中、僕らに向けて一度だけ杖を振るう。すると、僕ら二人の体の表面に、薄い空気の膜のようなものが張った。


「……これで、お二人は少しだけ、水の中でも息ができるはずです。さあ、早く!」


 モネの叫びを境にしたかのように、蛇たちは一斉に襲い来る。

 彼女は指先で、無数の水の矢を放つ。舞った飛沫と、破壊音。


「――行くぞ、カナタ!」エーデルが僕の手を引いた。躊躇をしている暇はない。モネの覚悟を無駄にせぬためにも、僕は洞窟に流れ込む激流に飛び込んだ。


 全身を、冷たい感覚が包み込む。


 水が濁っているせいか、水中の視界は不明瞭だった。しかし、先を行くエーデルが手にしている聖剣の光が、僅かに道筋を照らしている。


 流れも早いが、洞窟の入口がそこまで広くないからか、手足を上手く使えば岩壁に叩きつけられることもない。


 体温が抜け落ちていく感覚の中、引かれた手だけが、温かな存在感を残していた。


 先行きの見えぬ、水底を進むこと数十秒。

 僕らはようやく、水面から顔を出した。


「……っ、ぷはぁ!」


 途中から、自分が息を忘れていたことに気が付く。折角、モネが魔法をかけてくれたというのに、滑稽な話だ。


「……ここは」エーデルが辺りを見回し、ぽつりと呟く。


 洞窟の中は、ひどく湿気ていた。空気が重く、息をするのも一苦労だ。


 それに何より、一寸先も見えぬほどに暗い。エーデルが聖剣で辺りを照らしつつ、ゆっくりと水から上がる。


「敵はいないようだが、見通しが悪い。油断せずに進むぞ」


 頷く。僕らは天井から落ちる水滴の音にまで気を遣いつつ、一歩、一歩。ぼんやりと照らされた道を、進んでいく。


 進むにつれ、皮膚の表面がピリピリとするような錯覚があった。それが、人間に誰しも備わっている危機感知能力なのか、それとも、何か他の感覚に由来するものなのかは、わからないが。


「……カナタ。お前にふたつ、話しておかなければならないことがある」


 エーデルは、振り返らずに続ける。


「ひとつは、これだけ暗いと、私の聖剣はほとんど使い物にならんということだ。地表で溜めた光を使い切れば、その後は普通の剣と変わらんからな」


 彼女の掲げる聖剣は、今も強い光を放っている。


 だが、よく観察してみれば、確かにその光は、ほんの僅かずつではあるが弱まっているようにも見えた。


「そして、あとひとつ。先程もモネが言っていたが、例え光が差していたとしても、私が聖剣を振るえるのは、あと一度だけだ」


 僕は思考する。これまでの旅でも、『赤の島』では一度、『黄の島』では二度しか聖剣は振るわれていない。


 身体的な負担なのか、それとも構造的な問題なのか。どうあれ、聖剣が力を発揮できるのは、三度までということか。


「……祠に何が待っているかはわからん。しかし、もし、何か悪しきものが潜んでいるとしたら……」


 そこで、エーデルはふっと表情を緩めた。ともすれば、自らが厄場にいることすら忘れそうになるような、穏やかな表情だった。


「お前の、未来視だけが頼りになるかもしれないな」


 未来視。

 それはつまり、先の展開を読んでいることによる、予測のようなものだ。


 しかし、この祠のことは、絵本のどこにも記載がなかった。なら、この先で何が起こるのかを、僕が彼女に伝えることはできない。


「……なあ、エーデル、実は」


 言うか否か、僕は逡巡した。さっさと口にすればいいものが、己に深く根差した怯懦が、それを容易には許してくれなかった。


 だから、機を逃してしまう。


「待て、カナタ。この先に何かあるぞ」


 そう口にしたエーデルは、ピタリと立ち止まる。視線の先は、広い空間になっているようだった。


 

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