三章『青の島』-13
「……だけどよ、俺はここで終わるつもりはねえ」
絶望に目を背けようとしていた僕は、彼の発したその言葉に、思わず顔を上げた。
「終わるつもりはないって、でも!」
「三日。稼げるんだろ、俺なら」
彼は僕の首元を、ゆっくりと離した。そして、先程までの強い感情が籠もったものとは違う、優しい瞳を向けてくる。
三日。
それは、龍とアキレアの決着までにかかる日数だ。
つまり。
「その間に、他の方法を見つけてきやがれ。俺が保っているうちに、必ずな」
「……っ、そんなの」
できない。
思わず、反射的に口を衝きそうになった僕の胸を、彼は軽く小突いた。ゴツゴツとした拳の感触を、胸骨越しに感じる。
「できなくったって、構いやしねえよ」彼は、豪快な笑みを浮かべながら。「それでも、俺はお前に賭けてみたいんだ」
体の奥底に、何か熱いものが燻るような感覚があった。
喜びとも違う、体を突き動かすエネルギー。それが僕の中で、ゆっくりと燃え始める。
見れば、モネもエーデルも、もうすぐ傍まで近寄ってきていた。ボロボロの二人だって、当然諦めちゃいない。
なら、どうして僕が投げ出せるものか。
僕は、その場で一歩下がった。そして固く拳を握ってから――それを、アキレアの拳に合わせる。
それが、僕の答えだった。
満足したように、彼は笑う。そうして、僕らに背を向けた。あまりにも大きな背中。それは、僕たちを轢き潰さんと睨みつける巨大な龍を前にしても、全く揺らがない存在感を放っている。
「……それじゃ、頼んだぜ」
その言葉と同時に、彼は胸に手を当てた。
途端、辺りに響き渡る重低音。ここが絵本の世界でなければ、スピーカーを探していたかもしれない。腹の底まで響くような、そんな重い音。
それが、目の前のアキレアから発されていると気が付くまでに、数秒を要した。
常人離れした心拍が、彼の体に血を巡らせていく。筋肉は怒張し、肌は赤みを帯びる。逆立った髪は天を衝き、上がった体温のせいか、全身からは薄く蒸気が立ち上っていた。
さらに恐らくは、高速で跳ねる心拍に耐えるため、その口元は固く食い縛られている。
これが、『鬼の心臓』。
正しく鬼の如き、鬼気迫る姿だ――。
「う、がああああっ!」
アキレアが吼える。と同時に地面を蹴り、彼は一息で頭上高くまで飛び上がる。
丸太のように太い腕から放たれた一撃が、龍の顔面を激しく打ち据える。巨体が大きく揺らぎ、苦悶の叫びが空気を震わせた。
……効いている!
「……私も、実際に使うところを見るのは初めてだ」
エーデルが、その様を見ながらボソリと呟く。
「命を削る力、ここまでのものであるとは思わなかった。確かに凄まじいものだが、これでは――」
「ああ」僕は、アキレアが残した剣戟の軌跡を追いながら。「体に無理が出て、当然だ」
鋭く剣を振るう彼は、鬼神の如き形相だ。
しかし、太く浮いた血管は、離れても聞こえるほどに大きくなった心音は、絶えず彼の体に負荷をかけ続けているだろう。
一刻も早く、打開策を見つけてやらなければならない。
「で、でも、どうすればいいんでしょう。傷を与えても、塞がってしまいますし……」
モネの視線は、自らが切り裂いた龍の胴あたりに向けられている。そこには傷があった形跡すらも残っていない。
どころか、現在進行系でアキレアが与えている傷すらも、立ちどころに治り続けてしまっている。
「まるで、流れる水でも切っているようだな。どんなに凄まじい力があろうと、あれでは……」
「……っ!」
水を切る、という言葉に、何かが引っかかるような気がした。
そうだ、よく考えろ。三日三晩の時間をかければ、アキレアは龍を打倒できるのだ。
ならば、倒す手段がないわけではない。どうにかして、どうにかして――。
――どうやって?
具体的な方法は、何が考えられる?
再生機能の限界まで削り続けたのか?
それとも、何か有効打を見つけたのか?
あるいは、三日という時間が、解決してくれるのか?
「カナタ……?」エーデルが、僕の顔を覗き込む。
頬を伝う雨粒を拭うことも、僕はできずにいた。ただ、思考を回す。これまでの情報の中に、手がかりが残っていないだろうか。
『りゅうがいなくなり みずがかれてしまった――』
『もっと思いださなきゃ。ねえ、絵本のこと――』
『違います。川が危ないのは、龍神様が"川の化身"だからです――』
「……まさか」僕はそこで、顔を上げた。
一つだけ。それは荒唐無稽にも思える仮説のようなものだ。
しかし、可能性はある。龍が傷を負ってもすぐに治癒する理由、龍が暴れることによって、川が氾濫する理由。
そして、何より。龍が落ちた後に、川が枯れる理由――その全てに説明がつく。
「な、何かわかったんですか、カナタさん……?」
恐る恐る聞いてくるモネに、僕は首肯する。
もしかすると、自分に都合のいい解釈をしようとしているだけなのかもしれない。
「ああ、もう、これしかない――」
だが、仲間たちの前で弱いところを見せたくなかった。だから、まるで未来でも見てきたかのように、僕は堂々と宣言する。
「――龍は、この島に流れる、川そのものなんだ」




