三章『青の島』-12
「う、うぉーたーかったー、ですか?」
それは、二人で魔法の試し打ちをしていた時のことだ。僕の言葉に、モネはこてんと首を倒した。
「そう、ウォーターカッターっていうのは、僕の祖国にある、水に強い圧をかけて打ち出して、モノを切断するために使う道具なんだ」
僕は昔見た、児童向けの科学番組を思い返しながら、彼女に説明する。
「強い圧……ですか、できなくはないと思いますが……」彼女は少しだけ、考え込むようにして、「水だけではモノを切れるほどの力は生み出せないんじゃないでしょうか?」
「ああ、だから少しだけ、研磨剤を混ぜるんだ。本当はガーネット……宝石の一種を使うみたいなんだが、贅沢は言えん。この辺りで一番硬い岩を削って試してみないか?」
口にしながら、僕もそこまで自信があったわけではない。
工業用のウォーターカッターの仕組みなど詳しくは知らないし、それを素人が真似したところで、同じだけの効力を発揮することは難しいだろう。
現実は、物語のように易しくはない。
半可通な現代工学の知識によって、文明発達の遅れた世界で都合良く話を進められるのなら苦労はしない――。
――そんな風に、考えていたのだが。
「い、行きますっ……!」
僕の眼前で、モネが飛び上がる。振りかぶった杖の先に形成された刃は、高圧の水によって形作られたものだ。
目標は、鉄壁の龍鱗。彼女の華奢な腕が、剣士たちに比べれば随分と緩慢な調子で閃いて――。
――途端。凄まじい斬撃が、龍の鱗を切り裂いた。
「……なっ!?」アキレアが驚愕の声を上げる。
それも、仕方がないだろう。
発想、立案した僕にだって、こんなに上手くいくとは思わなかったのだ。
何せ、試し打ちの時点でモネの刃は、岩山を縦に両断している。凄まじい切れ味、まさか、本当にウォーターカッターが再現できるとは、露ほども思っていなかった。
しかし、よく考えてみれば自明だ。
だってここは正しく――絵物語の世界なのだから。
「そこだ、エーデルっ!」
僕の合図よりも早く、黄金の閃光は駆け出していた。彼女は光を湛えた聖剣をその手に、モネの作った僅かな亀裂に迫っていく。
その輝きは、豪雨の中にあっても曇らない。これまでの旅でも、僕らの行く手を晴らしてくれたのは、いつだって彼女の齎す光だった。
全身の力を余すところ無く使った回転斬り。聖なる光と、彼女の無駄のない剣戟が、薄靄の中に閃いて――。
――無慈悲に、弾き返された。
「……は?」僕は思わず、間抜けな声を出してしまう。
上手く行っていた、はずだ。
手抜かりなく、モネの魔法は龍の鱗を破壊した。そして、僕らの持ち得る最大火力をぶつける――それで、終わりのはずなのに。
振り下ろされた聖剣は、つい数秒前に切り裂いたはずの、分厚い鱗に阻まれていた。
「……再、生……っ!?」
エーデルの顔が、始めて慄くような陰りを見せた。それと同時に。龍は激しく体を旋回させた。
まるで、嵐のような勢いの風が辺りに吹き荒れ、華奢なモネや非力な僕はもちろん、アキレアやエーデルも、難なく蹴散らされてしまう。
これが、龍。
僕は、甘く考えていた。
策を弄するとか、何か他の方法があるとか、諦めなければとか、そういったものではない。
『これ』は、触れてはいけない災害だ。
僕たち人の手には、どうすることもできないものだ。
投げ出された体は、地面に強かに打ち据えられる。しかし、幸いなことに、どこも折れたりはしていないようだ。
打撲と擦過傷。それならばまだ立ち上がれる……。
……立ち上がって、どうする?
「……う、あ……っ」
込み上げてくる感情を、必死に抑えつける。
もう、打つ手がない。
僕らに配られた手札では、この怪物を打倒しうる方策が、一つとして残されていない。
旅の終わり。
曲げてしまった物語。
頭の中に、いくつもの言葉が渦巻く。もう、ここで、終わりなのか――?
「――いや、まだだぜ」
不意に、横合いから聞こえてきた声には、妙な力強さが込められていた。
振り返るまでもなく、僕の前に歩み出たのはアキレアだった。彼もまた、衣服は破れ、あちこちには血が滲んでいる。
しかし、その瞳には諦めなど微塵も感じられない。ただ、戦いに向かう、戦士としての覚悟が浮かぶばかりだった。
「……言ったのは、お前だぜ。俺なら、あいつに勝てるってよ」
「それ、は……!」
『鬼の心臓』。
確かに、僕らには最後の切り札が残されている。
本来の展開ならば、それを使うことでアキレアは龍を落とすことができる。
しかしそれは、彼の旅の終わりと引き換えに、だ。
「何言ってんだよ、あんた。それを使わないために、ここまで……」
言いかけた言葉は、胸ぐらを掴まれたことによって途切れる。
「俺にだってわかってらあ、そんなこと。でもよ、ここでやらなきゃ、全滅しちまう」
彼の背中の向こう。視界の先で、ゆっくりとエーデルが体を起こすのが見えた。モネも、杖に縋るようにして、立ち上がろうとしている。
しかし、一目でわかる。彼女らも満身創痍だ。もう、手段など選んでいられない。
つまり、僕は何も変えられなかったのだ。
ここで、アキレアの旅は終わる。僕らの足掻きなど無意味だと、物語は残酷に進行していく――。




