三章『青の島』-10
龍の住処は、『青の島』中心部に位置する山の頂上にあるようだった。
龍の住む山と言えど、天を衝く巨峰、というわけではない。現実世界でも山なんて気にして見たことはないが、それでも標高は1000m前後ということだろう。
日の出に合わせて出発したため、辺りはまだ、にわかに薄暗い。加えて、分厚い雨雲が日光を遮るからか、視界はひどく不明瞭だった。
そんな中を、僕らは歩いていく。戦闘はモネ、エーデル。非戦闘員の僕は後ろから二番目で、殿をアキレアが歩いている。
「……っと、危ねえ。気を付けねえと、足を取られるな、こりゃ」
後方から、アキレアがぼやく声が聞こえる。それも仕方ないというべきだろうか、地面は降り続いた雨のせいでひどく泥濘み、坂を登ろうと踏み込んだ片足が、そのまま靴の半分ほどまで沈み込んだ。
「そうだな、普段よりも足場の見極めが重要になるかもしれない。油断はしないことだな」
エーデルは淀みなく歩いているように見えた。しかし、常に視線が足元に向いているあたり、かなり気を使っているようだ。
かく言う僕も、スムーズに進めているわけではない。平坦な道を歩く時の、何倍もの体力を使いながら、山道を行く。
それから、一、二時間ほど歩き続けた辺りであろうか、不意に視界が開けた。
見れば、先程まで僕らの左右を塞いでいた山林の木々が、そこでピタリと途絶えている。
頂上。辿り着いたそこにあったのは、現実世界にある神社によく似た建物だった。
入口には鳥居、恐らく宮造りの本殿。鈍角の屋根を多量の水が伝っていく。
「……見たことのない造りの建物だな。この島の町並みといい、独特の文化があるようだ」
僕には懐かしさすら覚えさせるそれらも、注意深く辺りを見渡すエーデルからすれば、どうやら馴染みのないものであったようだ。
彼女は既に抜剣している。アキレアも、モネもそれぞれの武器を構えていた。境内で刃傷沙汰とは、罰当たりにも程があるものの、この世界に神道の概念を引っ張り出してくるのも野暮だろう。
僕も一応剣を帯びてきていたが、下手に武器を構えるのは、逆に動きづらくなる。ひとまず、辺りの様子を伺うことにした。
神社のようなこの建物は、完全に無人であるようだった。雨の音と、僕らの衣擦れの音以外は、何も聞こえない。
静寂の中で、僕は気を引き締める。三人のように戦うことはできなくとも、巻き込まれて傷つかないようにはできる。そう、足裏に緊張感が漲っていく――。
「――上だッ!」最初に叫んだのは、アキレアだった。
皆、言葉の通りに頭上を確認する余裕などない。しかし、僕らは反射的に身体を反らせた。
直後、僕らの立っていた場所に影が差す。一瞬遅れて、轟く轟音が耳を打つ。見上げると、そこには、見たこともないような威容があった。
遠目に見れば、それはとぐろを巻いたヘビのように見えたかもしれない。うねる曲線の体を、まるで甲冑の如き無数の鱗が覆っている。
その表面は漆塗りのような艶を帯びていたものの、恐らく、触れれば肉を削り取るのであろう、無数の棘が近付くことすら許さない。
長い鼻梁を持った頭部には、まるで獅子舞の頭のように巨大な口が開いており、そこから覗く幾多の牙は、その一つ一つが僕らの五体を引き裂くのに十分な鋭さと大きさを備えていた。
「っ、まさか……これが……!」
エーデルの呟きが聞こえる。僕もまた、同じ思いだった。
龍。
僕たちはその存在を、今までに乗り越えてきた怪物たちと同列に考えていた。
乗り越える方法があるはずだと。
打倒する術があるはずだと。
けれど、目の前にいる『これ』は、そんな甘い考えを打ち砕くかのような、正しく、恐ろしいまでの神威を帯びた――。
「おい、カナタっ!」慄く僕の背中を、アキレアが叩く。「勝算は――あるんだよな!?」
僕は耳を疑った。『これ』を目にして、この圧倒的な存在感を目にして、まだこれ以上、戦おうというのだろうか。
『遺物』なんて諦めて逃げてしまおうと、そう考えるのが当たり前なのではないだろうか?
「うむ、お前の未来を見る力。今回こそ、使い所だと思うのだがな……!」
エーデルが僕に微笑みかける。その瞳には、怯えなど欠片もない。
「か、カナタさん、やりましょう! 大丈夫です……私が、やってみせます!」
モネが杖を構える。誰よりも気弱な彼女は、誰よりも気丈に、立ち向かおうとしている。
仲間たちは、微塵も恐怖していない。
いや、恐怖など、既に捻じ伏せてここに立っているのだろう。
僕は、そこで目を閉じた。恐ろしい龍も、降り続く雨も、何もかもが余計なノイズでしかないように思える。
――僕は、空っぽだった。
空っぽのまま、それを受け入れたフリをして、ここまで歩いてきた。
だけど、もう気がついてしまったのだ。自分にも目指すところが、なりたいものがある。
それはまだ、形を成していないけれど。
彼らのように。勇気あるものに、僕は――。
「――ああ、行くぞ、皆っ!」
僕は気合いの声を上げた。
ここで立ち向かわなければ、僕は一生変わることができない。
勇敢な彼らと肩を並べられるように――なんてのは、過ぎた願いだろうか。
斯くして、僕たちは龍に戦いを挑んだ。
挑んで、しまったのだ。




