三章『青の島』-9
クチナシが資料を持ってきたのは、僕ら全員が部屋に戻ってきてからしばらくしてのことだった。
魔法の試し打ちから帰ってきて、一時間ほど経った頃だろうか。さしたる収穫もないままに帰ってきたエーデルとアキレアは、ひどく機嫌が悪いように見えた。
「駄目だ、ここの連中は、龍と戦うって口にした途端に、そっぽ向きやがる」
「ああ、どうやら、こうなる前は島の守り神だったようだな」エーデルも、髪を拭きながら。「皆、口を噤むばかりだ」
「へっ、今にも島が沈みそうだったのに、何やってやがるんだろうな!」
悪態を吐くアキレアに苦笑いを返しつつ、僕は手元の本に目を落とした。
クチナシが持ってきたのは、分厚い本が数冊と、紙を紐で綴じたものを三束ほど。
エーデルも、そのうちの一冊を手に取る。
「……ふむ、結局のところ、龍についてわかることはそこまで多くないようだ」
そう口にしながら、パラパラと資料を捲る。僕もそれに迷い、乾燥した指先で頁をなぞる
。
龍は、昔から水の神として崇められていた。
年に一度、神官が祠に祈りを捧げに行く習わしになっている。
龍を怒らせた場合、止むことのない雨が降る――。
「どれも、クチナシから聞いた話と同じだ」
資料に載っていたのは、既知の情報ばかり。龍が人々の暮らしに根差していたということと、それを管理していた人間がいたことまではわかるものの、それきりだ。
「でも、気になる記述もありますよ。『龍は川そのもの、暴れ狂うゆえ、近づくなかれ』とか」
モネは資料のうちの一つを僕らに提示しながら、その一部を指差す。
「治水の知恵だろうな」エーデルは、別の本を手に取りつつ。「我が国にもあっただろう、川を龍に例え、増水時には近付かぬようにする逸話が」
「そういや、そうだったか。じゃあよ、あいつ本当は水の神なんかじゃねえんじゃねえの?」
ベッドに掛けた、アキレアの能天気な声を、モネが首を振って制した。
「……い、いえ、力は恐らく本物です。この島の水は、全てあの龍の力が宿っています」
「それは、さっき僕も一緒に確かめた。雨が降り止まないのもそうだし、やっぱり、何らかの力は持っているんだろ」
もっとも、それが水を操る力――なんて具体的なものかどうかまでは、わからないのだが。
どちらにしても、超常の力を帯びているということで間違いはないだろう。
「結局のところ、今回も出たとこ勝負ってえ訳だな」
アキレアはそのまま、天井を睨むようにして後ろに反った。
そう、彼の言う通りだ。やはりこの島は、あの龍と戦うのに役立つ情報は残していなかった。
それはつまり、龍と人との共生関係が強固であったことの証明になる。誰も倒そうとしたことなど、なかったのだ。
「それで、カナタ。龍に有効打を与える方法は、何か見つかったのか?」
問いかけてくるエーデルに、僕は不敵な笑みを返した。
「ああ、そっちはなんとかな。僕とモネで隙を作る。その隙に、聖剣を叩き込んでくれ」
「なるほど、これまでと同じだということか。しかし、龍の鱗は堅牢だという話だったが……」
そこで、僕はモネに目配せした。彼女は自信無さげに視線を彷徨わせていたが、気が付いたのか表情を引き締める。
「――だ、大丈夫です、姫様。私がなんとか、してみせます」
はっきりと言い切った彼女の言葉に、エーデルとアキレアは、少しだけ驚いたような素振りを見せた。
しかし、それはほんの刹那。エーデルは、すぐに君主としての頼りがいのある笑みを浮かべた。
「……わかった、頼んだぞ、モネ」
それを眺めつつ、僕自身も、背筋が伸びるような緊張感を覚えていた。
モネに『あの魔法』を提案したのは僕だ。それに、試し打ちの結果は予想通り――否、予想以上だった。
上手くいく公算は大きい。少なくとも、闇雲にぶつかっていくよりは。
「……おい、カナタ」
そこで、アキレアが声をかけてきた。彼は自らの胸元を拳で叩きながら、僕を真っ直ぐ見据えている。
「いいか、もしお前の作戦が無理だと感じたら、俺は『心臓』を使う」
『心臓』を使う。
それはつまり、命を削って戦うということだ。
「……本気で、言ってるんだな?」僕は念を押すように確かめる。
「おう。例え、共にこの先に行けなくなったとしても、俺の目的は、姫様をこの旅の先に連れて行くことなんだからな」
きっと、その言葉は生半可な気持ちで紡がれたものではないのだろう。
僕にだって、そのくらいはわかっている。だから、ただ頷くことしかできなかった。
「よし、皆、覚悟はできたようだな」エーデルが声を張る。「出発は明朝。日の出とともに、龍の住処を強襲するぞ!」
拳を突き出し、叫ぶアキレア。
口を引き結び、緊張した様子のモネ。
そして、揺らぐ気配など微塵も見られないエーデル。
問題は、正直解決したわけではない。上手くいくかどうかは、分の悪い賭けというところだろう。
それでも、このメンバーであれば、今回の敵だって乗り越えられる。何でもできるのだと。
そう、思っていたのだ。
確かに、この時までは。




