三章『青の島』-7
「この雨が降り始めたのは、ひと月ほど前になります」
そう語ってくれたのは、僕らが居を構えた宿屋の息子、クチナシと名乗る青年だった。
あの後、僕らは手分けして聞き込みを行うことにした。エーデルはアキレアと、僕はモネと共に、情報を集め始めたのだ。
そうして、僕ら二人が手始めに、と声をかけたのが彼だった。涼やかな黒髪。着流しのような和装に身を包んだ彼は、軽妙な語り口で、さらに続ける。
「日差しの季節を告げる祭りの、翌日くらいからだと記憶しています。龍神様が荒ぶり、空を飛び始めたのです」
「……今までに、そういうことは無かったのか?」
「ええ、龍神様は水の恩恵を授けてくれるもの。機嫌を損ねぬように、年に一度、神官様がお世話をしに行っていたので」
しかし、とクチナシはそこで表情を曇らせた。
「今年は、神主様が亡くなられてしまったのです。後継ぎの話で揉めているうちに、龍神様の下へ行く季節が過ぎてしまいました」
「……そ、それは危険ですね」モネが口を挟む。「龍のような、高位の魔物との契約は、一度でも不履行があればご破産です」
「ええ、ですから、島はこの有り様に。代わりの者が龍神様にお詫びしに行きましたが、帰って来る者は一人もいませんでした」
なるほどな、と僕は頷いた。
クチナシの話をまとめると、こうだ。
元々、この島は龍と契約し、受けた水の恩恵を利用して栄えていた。
しかし、面倒を見ていた奴がいなくなったせいで、龍との契約はめちゃくちゃに。怒った龍は天に昇り、雨を降らせ続けている――。
もう少し、情報が欲しい。僕はさらに、クチナシに問いかける。
「……ちなみに、神官たちの住処はどこにあるんだ?」
「街を出て、川沿いに進めば見えてきます。とはいえ、こうも龍神様が荒ぶっている時に川に近付くのは危険ですが」
「確かに、だいぶ増水してるもんな。もしかすると神官たちも、もう避難しているかもしれないし……」
クチナシはそこで首を振った。
「違います。川が危ないのは、龍神様が『川の化身』だからです」
『川の化身』?
僕は首を捻る。そういえば、現実世界でも川を龍に例えることが多いと聞いたことがある。
川が流れているところは地名に龍が入るとか、有名な話だと、川に関係のあるキャラクターが龍として描写されている映画なんかもあった。
そういうものだと考えれば、飲み込むこともできるか、と僕は一人で納得した。
「わかった、とにかく、川に近付くのは危ないんだな。なら、神主の住処に向かうのはやめておくか」
僕の言葉に、モネが頷く。
「そ、そうですね……もう、こうなってしまえば元の契約は破棄されているでしょうし、話を聞いても仕方がないかと……」
詫びに行った連中が帰ってこない辺り、もう話の通じる相手ではないのだろう。
やはり、倒すしかないのだろうか。僕が思案していると、今度はクチナシの方が問いかけてきた。
「……皆様は、龍神様を打ち倒すおつもりなのですか?」
その表情は、どこか緊張感のあるものに思えた。彼は、ただ質問を投げかけてきているわけではない。
そう、まるで、咎めるような。
そんな気配を、感じさせた。
だから。
「……いや、そんなつもりはないさ。どうにか収めて、この雨を止めてもらえるように頼めないかなって」
僕は適当にはぐらかすことにした。彼らにとって、あの龍がどんな存在なのかはわからないが、少なくとも、害することが好ましくないことだけはわかる。
不安げな視線を向けてきたモネにも目配せで、それを伝える。彼女は察してくれたのか、数度頷いてから、話を合わせる。
「そ、そうなんです。だから、なんというか……その、龍神様についての資料が残っているところとかって、知りませんか?」
クチナシは、そこでしばし黙考した。僕らが信用に足るのかを見極めようとしているのかもしれない。
彼が次に口を開いたのは、それから十秒以上が経ってからのことだった。
「……島の首長の家か、神官様の住処なら資料が残っているかもしれないけれど、島の外から来た人は入れません」
「なら、それは諦めるしかない、か」
「ええ」彼はどこか、歯切れの悪い様子で。「……残念ながら」
それならば、龍に関する情報は、これ以上集めようがないということか。
聞き込みを続ければ、もしかするともっと詳しい人間は見つかるかもしれないが、少なくとも彼から得ることができる情報は、これで全てだろう。
「そうか、ありがとな。それだけ教えてもらえたら十分だ」
礼を言い、僕は宿を出ることにした。
やらなければならないこと、考えなければならないことが、他にいくつもある。
「……お待ちください」
と、踏み出した足が、クチナシの言葉によって引き留められる。
振り返れば、彼はどこか複雑な表情をしていた。言うべきか言わざるべきか、どうやら迷っているようだった。
束の間の逡巡。しかし、すぐに意を決したようにして、彼は口を開いた。
「島外の人間では、龍神様の資料を持ち出すことはできません」彼は、そう前置きをした上で。「なら、島内の人間が持ってくればいいのでしょう」
「島内の、って、あんた」
「ええ、私がお持ちします。この雨を止めたいのは、私たちも同じですから」
ズキリ、と胸が痛む感覚があった。
僕は、僕たちはこの人を騙そうとしている。だって、最初から龍を倒すことしか考えていないのだから。
「後ほど、お部屋にお持ちいたしましょう。それで、構いませんか?」
「……ああ、頼む」
表情を繕うことはできていただろうか?
隣でモネが、心配そうに顔を覗き込んでくる。だから、僕は無理矢理に笑顔を作ることにした。
心の痛みのようなものを感じたのは――もしかすると、これが初めてだったかもしれない。




