三章『青の島』-4
とはいえ、龍と戦う前に風邪を引いてしまっては仕方がない。
僕たちはひとまず、港で適当な宿に入ることにした。宿の主人は、二階であれば浸水していない、と二部屋を快く貸してくれたため、ようやく、そこで一息を吐くことができた。
「この島でやることをまとめておこう」
エーデルは髪の毛を拭きながら、全員の顔を見回した。
「この気候を見るに、長居できる島ではない。『遺物』を手に入れ、即撤退。それに今回は、その在処も既にわかっている」
「ああ、あの、空を駆けていた龍。あれが、『遺物』を持っているはずだ」
「……でも、どうするんですか? 空を飛んでいる龍を落とすなんて、簡単にはできないですよ」
モネは不安そうに呟く。確かに、龍は相当の高さを飛んでいた。それこそ、現代であれば航空機の飛んでいる高度だろう。
投擲はおろか、飛び道具も魔法も、あの場所まで届けるのは無謀であると思えるほどだ。
だが。
「そこについては、僕に考えがある」
絵本の展開を、僕は思い出す。
確か、『やまのちょうじょうにあるしんでん』で戦ったと書かれていた。ならば、そこに向かえば、龍と戦うことができるのだろう。
降りてきてくれるのか、それとも、撃ち落とすことができるのか――どうあれ、こればかりは実際に見てみなければわからない。
問題は、その先だ。
「僕たちが本当に考えるべきは、龍とどうやって戦うかだ」
「戦うねえ……まあ、いつも通りやるしかねえんじゃねえのか? 俺が足止めしたところを、姫様の聖剣、それかモネの魔法でよ」
そう、今までなら、それでもよかった。
「……駄目だ。たぶん、今回の魔物の鱗は、それでも通用しないくらい強いんだ」
「なんだよ、そりゃあ。そんなの、どうしようもねえじゃねえか」
そう、どうしようもないのだ。
サンドワームの時のように、何らかの方法で鱗を破壊できればいいのだろうが、少なくとも絵本の中にその方法についての記載はなかった。
なら、結局真っ向から戦うしかないのだろうか。例え、僕らの中の誰かが欠けたとしても。
「ふむ、カナタ、私から一ついいか?」
そこで、エーデルが手を挙げた。
「先程から、あの龍には攻撃が効かないと言っていたな」
「ああ、少なくとも、僕の見た未来では、二人の攻撃はまるっきり効いてなかった」
「――なら、私たちはそこで全滅したのか?」
僕は。
答えに窮した。言っていいものかどうか、瞬間的に頭を回して考える。
全滅は、しなかった。
けれど、代わりにアキレアが、なんて。
「……カナタ。お前の未来を見る力に、制約があるのはわかっている。言えないことがあるのなら、無理して言う必要はない」
エーデルは、そう前置きした上で。
「けれど、もしも話すことで仲間の命が守れるのなら、どんなに辛い話でも、私は聞きたいと思っている。後出しで聞いて後悔するのだけは、ごめんだ」
あの時、こうしていれば、なんて。
確かに僕だって聞きたくない。
あの日の屋上での正解を後から知ることができたとしても、僕はそれを知りたいとは思わないだろう。
だから、話せることがあるのなら話してほしい。
彼女は、そう言っているのだ。
「それ、は……そうだけどさ」
僕は考える。残酷な未来を伝えることへの躊躇ではない。物語の登場人物に、先の展開を伝えていいのかどうかという躊躇だ。
僕が何もしなければ、このまま物語は続く。
アキレアは旅を終えることになるが、他の二人は先に進むことができる。
それが、もし。僕の選択一つで、覆ってしまったら?
もし、僕の選択一つで、全滅の未来に進んでしまったら?
僕には、そんな十字架を背負うことは――できない。
「……ごめん、エーデル。それでも、僕は――」
心の底から絞り出すような情けない声。
口にしようとしている自分が、心底惨めだった。これは、もう擁護のしようがないくらい、僕の心が弱いのが原因だ。
この島に限っては、展開は変わらない。
何一つとして、変えられない。
アキレアは龍と戦い、この島にて離脱する。僕たちは、三人で旅を続けていくことになるのだ――。
「――待てよ」
僕はそこで、違和感を覚えた。
アキレアは本来の展開では龍を打倒している。
聖剣も、魔法も効かない相手を打倒しているのだ。
それは、つまり。
「……アキレア、」
「あ゛あ? なんだよ」
「あんた、持ってるんじゃないのか。まだ、奥の手ってやつをさ」
僕はある種の確信とともに口にした。アキレアには、龍を打倒しうるだけの何らかの切り札がある。
それと同等の何かを用意できれば、彼を離脱させることなく、この島を出ることができるのではないだろうか――?
アキレアは、しばらくの間考え込むように腕を組んで、何かを言い渋っているようだった。
少しばかりの苛立ちが、眉間の辺りに漂っているのも見える。言いたくないのか、それとも、言えないのか。
その背を押したのは、やはりというか、エーデルだった。
「……いいんじゃないか、アキレア。旅をする仲間だ、いずれ話すこともあるだろう」
「姫様……でもよ」彼は相変わらず、気乗りしない様子だ。
「お前の気持ちもわかる、が、恐らくカナタはもう気が付いているぞ。未来を、見たんだろう?」
最後の一言は、恐らく僕に向けてのものだ。
ここが、恐らく最良のタイミングだ。
先の展開を伝えることへの躊躇は、変わらずに残っている。
しかし、少しでも可能性があるのなら。
「――ああ、見たさ」
僕は、一歩踏み込んでみたいと思う。
「アキレア、あんたは、あの龍と三日三晩戦って、大怪我をすることになるんだ」
それを聞いた一同の顔に、驚愕の色が浮かぶ。
しかし、当の本人、アキレアだけは妙に納得したような表情で、目を伏せているだけだった。
まるで、待っていた順番が回ってきただけなのだと。
そうとでも、言いたげな様子で。
「……わかったぜ、カナタ。お前が言えなかった理由も、言いたくなかった理由もよ」
彼は、そこで上着の裾に手をかけた。そして、そのまま脱ぎ捨てる。最初は濡れた衣服を着替えようとしているのかと思ったが、どうやら、そうではなかったようだ。
露わになった上半身。まるで、彫像のように見事な筋肉が分厚く纏わりついた骨格。
何より、その胸元辺りに浮かぶ、禍々しい黒い印――。
そこを親指で指しながら、彼はどこか自嘲的に口にするのだった。
「俺は使っちまったんだろ? この、『鬼の心臓』を――」




