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序章「沈む太陽」-2

 ***



「……一年、来間花向(くるまかなた)です、よろしくお願いします」


 そう名乗った僕のことを、顧問は「覇気がない」と一言で断じた。


 入学して最初に入ったバスケ部を辞めたのは、それだけが理由ではなかったように思える。厳しい練習、人間関係、何もかもが合っていなかったのだ。


 そんな言い訳を繰り返しながら、気付けば、様々な部活動に入退部を繰り返していた。

 運動部も文化部も、興味のあることも無いことも。繰り返した末にわかったのは、どこにも僕の居場所など無いのだという、はっきりとした現実だった。


 別に、漫画のような劇的な日々を求めたわけではない。

 ただ、誌面の端に立つことを当たり前に許してくれるような、そんな、ぬるま湯であればよかったというのに――。



「――嫌なこと思い出しちまった」


 姉の言っていた倉庫は、玄関を出て裏手に回ればすぐに見えてきた。

 元々は白い塗料で塗られていたであろうトタン製の壁は、あちこちが剥げ、その部分を赤茶色の錆に喰われている。


 暑さでぼやけた頭を、何度か振るう。そして、温くなったスポーツドリンクの封を切った。

 朦朧とした思考は、熱中症の前触れだろうか。喉を潤す感覚は、口の中にわだかまった憂鬱を、姑息療法的に押し流してくれる。


 そうして口元を拭ったなら、もう、目の前の現実に向き合わざるを得なかった。倉庫のあちこちには蔦が張り、周囲の雑草は腰ほどまで、その背を伸ばしている。

 どうやら、祖父もあまりこの倉庫を手入れはしていなかったようだ。道理で、姉が来たがらなかった訳である。


 僕は扉に手をかけ、力いっぱいに開く。あちこちが錆び、痛み、歪んだ扉は気持ちの悪い、何かを引っ掻くような音ともに口を開けた。


 それと同時に、熱気が全身を絡め取る。倉庫の中は僅かに湿気があったようで、息をするだけでも重苦しいような空気が満ち満ちていた。


「……っ、くそっ」

 悪態を一つ。まずは換気でもしなければ、やっていられない。


 僕は近くの草むらから適当な石を拾ってきて、戸車の辺りに噛ませた。そして、倉庫の奥の方にあった小窓を開け、風が通るようにする。


 そうしているうち、日光が差し込んだ倉庫の中身、その全容が見えるようになってきた。


 冬用のタイヤ、除草剤のボトル、いつから放置されているのかもわからない、除雪用の塩化カルシウム――それら全てが埃を被り、セピア色に褪せている。


 さて、どこから手を付けてみたものかと辺りを見回して、僕はそれを見つけることになる。

 


 窓辺に、一冊の本が置かれていた。



 赤い革張りのハードカバーには、不思議と埃も詰まっておらず、経年の傷や汚れこそあるものの、他のもののように、埃や塵にまみれてはいなかった。


「……なんだよ、これ」

 当然、本が答え返すことはない。


 どうせ、庫内の暑気が抜けるまで少し時間がかかる。僕は、近くにあったビール箱に腰掛け、誘蛾灯に誘われる羽虫のように不確かな軌道で手を伸ばし、本を開いてみた。


 そして、頭の中で花開いた記憶に、思わず目を見開く。


「これ、爺ちゃんの本……昔読んだやつだ」


 優しいタッチは、間違いなく祖父の絵だった。


 古の秘宝の眠る島々を冒険する、姫様と仲間たちの物語。読んだのはずっと、ずっと昔だったはずだが、頁を捲る毎に、頭蓋の内側で、懐かしさが弾ける。


 姫を守る、力自慢な亡国の騎士。

 沢山の魔法を使えるのに、気弱な魔法使い。

 そして、怪物たちにも果敢に挑みかかる、黄金の髪を持つ姫様――。


 この話を書いてくれたのは、確か僕が小学生くらいの頃だろうか。何もかもが楽しく、輝いて見えた頃。


 それは、暗中にいる自分からすれば、もう目を背けたくなるくらいに眩しいものだ。


「そういえば、この話の終わりって……」


 思えば、これを最後まで読むことは無かった。この本は祖父が仕事の合間に描いてくれていたものだった。遊びに来るたび、新しい頁が追加されていて、心躍ったのを覚えている。


『もう、いいよ爺ちゃん。絵本とか、ダサいし』


 そして、そう言い放ったのは、確かに自分だった。そこまでを思い出したところで、僕はパタリと本を閉じる。


 丁度、中学に上がる頃だっただろうか。突っぱねるように言ったのは、見栄か、そうでなければ、『格好つけたい年頃』だったのかもしれない。


 後になって考えてみれば、馬鹿なことをしたものだ。祖父のことを傷つけてしまっていたのかもしれないと、僅かに、胸の奥が痛んだ。


 その時だった。


「かーなーたー! あんた、静かだけどちゃんとやってるんでしょうね!」


 倉庫の外から響いてきたのは、姉の声だった。ざくざく、ざくざくと、乱暴な足音が近付いてくる。

 僕は、慌てて立ち上がった。本を読んでいるところを見られたら、何を言われるかわからない。


「や、やってるよ、なんだよ姉ちゃん、疑って――」


 そう、口にしながら倉庫を出ようとした、その瞬間。


 かつん、と。

 爪先に、何かが当たった。


 それはもしかすると、辺りに積まれた物の一部だったのかもしれない。いや、間違いなくそうであったのだろう。


 ――すぐ横合いに積まれた荷物が、僕めがけて崩れてきたのだから。


「――っ、なっ……!」


 僕は思い切り体を捻り、どうにか潰されぬように身を翻す。ドサドサと音を立てながら、真横に落下してきたそれらは、何に使うのかもわからないガラクタばかりだ。


「ちょっと、カナタ! あんた、何してるのよ……」


 呆れたように、姉が肩を竦める。


 蝉の声が、どこか他人事のように遠い。背負った地面は散々熱せられていたからか、汗だくのシャツ越しに、僕の背中を焦がしていく。


「い、てて……くそっ、なんなんだよ……」


 悪態を吐きながら身を起こす。体の上に落ちてきた荷物を退けながら立ち上がれば、足首に僅かな痛みがあった。


 変に捻ってしまったのか、それとも、荷物がぶつかってきた影響か。どうあれ、そこまでの怪我ではない。


 むしろ、派手にひっくり返してしまったこれらを片付ける方が絶望的だ。幸いにして割れ物などは無かったみたいだが、微妙なバランスで崩れずに残った荷物たちを運び出すのは、容易ではないだろう。


 どうやら、姉も同じ結論に至ったようだ。


「ああ、もう。少しでも作業を進めようと思ったけど、これじゃ駄目みたいね。まったく、余計なことしてくれるんだから……」


 ため息を吐く彼女に、言いたいことはいくつもあった。けれど、それを口にするのが愚かであることは、よく知っている。


 湧き上がってきた言葉を飲み込んで、僕は掃除を再開することにした。


 懐に隠した、形見の絵本の存在を、彼女に明かすことはないままで。


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