二章『黄の島』-14
「カナタ、お前は随分と、真面目なんだなあ」
――予想外の言葉を、かけてきた。
僕は思わず目を剥いた。
僕が?
真面目?
一体、何の冗談だろうか。
「冗談であるもんかよ。何かにならなければいけない、何かにならなければ生きていてはいけないなんて、そんなこと。馬鹿正直に生きてねえと、考えもしねえ」
「……馬鹿にしてるのか?」
「してねえよ! ただ、少しばかり窮屈な生き方だとは思うな。それでは、息が詰まっちまうだろ」
豪快に笑う彼が、僕には眩しく見えた。
眩しくて、そして、煩わしかった。
「……僕の生きていた世界は、こことは違う」誤魔化すように、飲み物を口に含んで。「もっともっと息苦しい、狭っ苦しい世界なんだ」
口にしながら、疑問にも思う。
どうして僕は、自分で自分の世界を狭めるようなことを言っているのだろうか。
まるで、それが自分に言い聞かせているかのように聞こえたのは――きっと、錯覚ではないのだろう。
アキレアは、しばらく僕の顔を見つめていた。その真っ直ぐな瞳には、衒いや誤魔化しなど一つもない。きっと、彼が紡ぐ言葉には、嘘など含まれていないのだろう。
だからこそ、痛い。
その実直さが、僕には痛い。
「……あのなあ、カナタ。お前、勘違いしてるんじゃないのか?」
アキレアはたっぷり数十秒を置いてから、溜め息を吐いた。まるで、聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調だった。
「勘違いって、なんだよ」
「お前自身の在り方だ。狭ッ苦しい世界で、お前まで同じようなもんになってどうする?」
はあ? と、僕は片眉を上げた。言っている意味が、まるでわからない。
そんな僕に、アキレアは続ける。
「型に嵌まんな、って意味だ。何かにならねばと駆られてなるものが、お前自身の本質でなんかあるかよ。何かになりたくなければ、ならなくていい。いつか、自分の憧れが見つかるまでな」
「もし、見つからなかったら?」僕は意地の悪い質問を返す。
けれど、彼はそれを笑い飛ばした。大した問題ではないと、そうとでも言いたげに。
「そうしたら、日がな一日酒でも煽って暮らしゃいい! 大丈夫、人生万事どうにかなるもんだ。見ろ、俺たちなんて仕える国すら無くなったのに、こうして生きている!」
「……それは、国を復興するって目的があるからだろ。目的も、なりたいものもなければ、ここにいる資格なんて――」
そこで、彼は僕の両肩を勢いよく掴んだ。思わず、驚きに体が跳ねる。
「い、った……おい、何を――」
抗議の言葉は、強い視線に遮られた。見たこともないような光を称えた瞳が、僕を真っ向から射抜く。
そうして、彼は再び笑った。全ての不安を吹き飛ばすように。心底楽しむように。僕の倦怠など、何の支障でもないかのように。
「ふ、はははは! カナタよう、俺たちは生まれたその日から、ただ、意味もなくここに在っていいんだ!」
「……そんな、こと」
「あるさ! だって、ほら――」
どん、と強く胸を叩く音が響く。
軽い衝撃。一瞬だけ、呼吸が飛ぶ。けれど、すぐに――。
「――お前の心臓は、まだ脈打っているだろう?」
どくん。
どくん。
響く拍動が、僕の意識を繋ぎ止める。
僕は生きている。
何者でもないまま、ここで。
「お前を初めて見たとき、正直、ただの根性足らずのガキだと思ったよ」
「……悪かったな、根性足らずで」
「まあ聞けって」彼は笑顔で続ける。「お前は剣も振るえねえ、綱も引けねえ、挙句の果てには理屈っぽい。俺の嫌いな、ひねたクソガキだ――」
潮風が、やけに目に染みる。
そのせいか、潤んだ視界が、目の前に立つ男の姿を奇妙に歪ませた。
「――そんなクソガキが、何度も根性見せやがった。一度目は砂漠で、二度目は、この島で。だからよ、俺は少しだけ、お前のことを認めてるんだぜ」
そこで、無骨な指が再びジョッキを拾い上げた。空のままぶら下げられたその飲み口から、黄金色の水滴が、ぽたりと落ちる。
「……まあ、なんだ。話が逸れちまった気がするけどよ。この島のことは、きっと大丈夫だ。そんでもって、お前もな」
「……なんだよ、僕もって」
「空っぽでもいいってことだ。そんでもって、いつかお前が何かになりたくなったときには、俺に言え。腕力くらいなら、貸してやるからよ」
彼は豪快に笑う。
悲哀も、失敗も、後悔も、何もかもが存在しないかのように。
それが、戦士としての生き方。
物語の英雄としての在り方なのだろうか。
そこで、不意に船室の扉が開いた。出てきたのはエーデルだ。
彼女の視線は赤らんだアキレアの顔と、手元のジョッキとを何度も往復し、少しずつ、その目つきを険しくしていく。
段々僕にもわかってきた――これは、彼女が怒る前兆だ。
「……アキレア、貴様、そのジョッキは何杯目だ……?」
「ひ、姫様。何を怖い顔してるんだよ、ほら、今日は『遺物』が手に入ったんだし、労いの一杯ってことでよ……」
「ああ、そうだな。"一杯"で収まっているなら、私も文句は言うまいよ……」
ゆらり、とエーデルが距離を詰める。
気圧されるように、アキレアが後退る。
すうっ、と、彼女は肺いっぱいに酸素を吸い込んでから、腰に手を当て、港中に響き渡るような声で叫んだ。
「――飲み過ぎだ、馬鹿者め!」
叱られた彼は、シュンとした様子でその場に正座させられる。
先程までの頼りがいがある雰囲気はどこへやら。エーデルに説教を受ける彼は、それでもどこか憎めない。
と、そこでエーデルの視線が僕に向けられる。何事か、と構えれば、すぐにそれは襲い来た。
「カナタ、お前もだ! アキレアが飲むのを、どうして止めてやらんのだ!」
「は!? 僕も巻き込まれるのかよ!」
「勿論に決まっているだろう、二人揃って、正座だ正座――!」
黄の島。
きっと、この島の物語は、全てが上手くいったわけではなかったのだろう。
それでも、僕らは進まなければならない。読者は次々と頁を捲るのだ。いつまでも、たらればを積み重ねることはできない。
この物語は、まだまだ続いていく。
「姫様ぁ、もう勘弁してくれよ、次の酒宴では、一杯までにしとくからよぉ!」
「いいや、駄目だ。前にも同じことを言っているだろう!」
騒がしくも、賑やかな姫様一行。
次に向かうのは、『青の島』。
そこは、この旅の折り返し地点にして――。
――戦士アキレアの、旅が終わる場所だ。




