二章『黄の島』-12
辺りが、砂煙に包まれる。
暗い輝きと、聖剣の帯びていた光。
それが重なり、目を眩ませて――僕の視界がマトモに機能するまでに、しばらくの時間がかかった。
「――やったのか?」
僕は誰ともなく呟く。ようやく、砂煙が晴れ始め、クリアになる視界。
見えたのは、剣を振り下ろした姿勢のままのエーデルと――。
――未だ健在の、魔物の姿だった。
「……は?」思わず、間抜けな声が漏れる。
「そん、な……」
モネは絶望の声とともに、その場に崩れ落ちた。既に黄金の侵食は彼女の半身を飲み込んでおり、自力で立つこともできずにいた。
辺りには、肉の焦げる臭いと、炭化した触手の欠片らしきものが飛散していた。
「……触手を犠牲に、攻撃を防いだということか」
冷静に分析しながら、エーデルは後方に飛び退いた。平静を装っている彼女も、その頰に冷や汗を一筋流している。
正しく、千載一遇の好機だったはずだ。
それでも、倒し切ることができなかった。触手の半数ほどを焼き払うことができたが、それだけだ。
もう二度と、魔物は僕らに溜め時間を作らせてはくれないだろう。後はこのまま、ジリ貧で押されていくだけだ。
「っ、どうすればいいんだ……!?」
僕は考える。必要なのは、エーデルが力を溜めるだけの時間だ。
けれど、もうモネは戦えない。僕だって、まともに時間稼ぎなんて――。
『ねえ、絵本のこと、よく思い出して』
「――!」
ある。
方法が、ひとつだけ。
僕はそれを知っているじゃないか。
なら、どうして手立てがないなんて考えてしまったのか?
……これも、わかっている。もう、言い逃れをする気もなかった。
「……エーデル、聞いてくれるか」
僕は今一度、剣を強く握り締めた。
「なんだ、何か、いい未来でも見えたのか?」
「ああ、ひとつだけ方法がある。聖剣の一撃は、まだ放てそうか?」
「……あと一発なら、というところだな。そもそもこの場所では集められる光も弱い。せめてもう少し、明るい場所ならな」
僕は頷いた。十分だ。一発撃てるのなら、まだ、僕たちにも勝機は残されている。
「なら、その一発を僕に賭けてくれ。必ず、時間は稼いでみせる」
「……お前、何を――」
彼女の言葉をそれ以上聞くつもりはなかった。僕を労る言葉や正論は、全部終わった後にいくらでも聞いてやる。
体を、できるだけ低く屈める。前足にいっぱいの力を込めて、ただ、力を溜める、溜める、溜める。
『人は、過去の行いじゃ決まらねえのさ』
脳裏に、誰かの言葉が響く。
肺が酸素で膨らむ。体に血が巡り始めて、幾度も幾度も脈を打つ。
『何を成すかだけが、お前の価値を決めるんだ』
緊張。もう、いらない。
思考。それも、邪魔だ。
削ぎ落とせ、削ぎ落とせ、削ぎ落とせ――これから行うことに、全神経を注ぎ込め。
「……見ててくれよ、僕が成すことってのをさ」
――そのまま、僕は思い切り駆け出した。
「う、おおおおおおおっ!」
気合いと共に駆ける僕に、幾本もの触手が迫る。
一本目を、どうにか体ごと振り回した剣で切り落とす。二本目は、剣の重さのままに勢いで弾き飛ばす。
そして、三本目が迫ってきた時――僕は両手から剣を手放した。
こんなに重いものを握っていては、間に合わなくなってしまう。この手が、届かなくなってしまうから――。
「――カナタっ!」
どこかで、誰かが叫ぶ声がした。
同時に、僕の体を触手が打ち据える。強い衝撃と同時に、直撃した胴の辺りが冷たく、芯まで冷えていくような感覚があった。
きっと、目を落とせば、そこには黄金化していく僕の体があるのだろう。しかし、もう関係ない。やることは決まっているのだから、それ以外はどうでもいいのだ。
「ぐ、ぎ、ぎ、ぎっ……」
僕はそのまま、右手で触手を掴み上げた。絶対に離してたまるかと、爪を立て、あらん限りの力で握る。
そんな僕を脅威と感じてくれたのか、怪物は四本目の触手を放った。
「行かせる、かよっ!」
それを、もう左の手で受け止める。同時に、左腕の感覚が消失した。既に握っているのか放しているのか、それすらも定かではない。
なら、それでももう構わない。動く体を、どこでもいい、最大限に駆動させる。
五本目、蹴り上げた脚が伸びたままで固まって、僕はひどくバランスを崩した。堪えきれずに、思わずその場に倒れ伏してしまう。
不甲斐ない。
命を懸ける覚悟をしても、所詮僕はこんなものだ。戦いなど向いていない、登場人物以下の、一般市民だ――。
「――よくやった、カナタ」
けれど、何も成せないわけではない。
僕の犠牲の成果は、聖剣に宿る輝きとして、そこに現れたのだった。
エーデルが、剣を八相に構える。
怪物は、警戒するように触手を前に突き出した。
もう、泣いても笑っても、次の一合で勝負がつく。
この、絶望の金色に塗れた夜に決着がつく。
僕にできることはもうない。体を蝕む黄金の呪いは、四肢を完全に包みこんでしまった。剣を握るどころか、立ち上がることすらできない。
あとは、行く末を見守るだけだ。今切れるカードは、全て切ったのだから。
……いや、本当にそうだろうか?
このままぶつかれば、確実にエーデルは負ける。
怪物は再び幾本かの触手を犠牲にして攻撃を防ぎ、攻め手を欠いたこちらは、そのまま嬲り殺しにされるだろう。
先程の焼き直し、それが理由かはわからないが、エーデルは一歩を踏み出すことができないようだった。
しかし、それは怪物の方も同じこと。聖剣の威力は、どうやら身に焼き付いているようだ。お互いに踏み込めぬまま、膠着状態が続く。
拮抗。
それを崩す何かが、必要だった。
不利なのは、時間が経てば聖剣の光が拡散してしまうこちら側だ。そうなる前に、エーデルは動き出さなければならない。
例え、分が悪いとわかっていても、だ。
僕は考える。辺りにあるものに、何か活かせるものはないだろうか。もう、まともに動かせるのは首と眼筋くらいしかないが、それでも、何か。何か。
破壊された扉の瓦礫――使えない。
床に落ちた松明――これも駄目。
投げ出された、僕の剣――そもそも握れない。
「……ぐっ」
駄目だ。もう、僕にできることは一つも残っていない。
祈るしかないのだろうか、幸運を。或いは、僕が強く念じれば、僅かでも物理法則に干渉できたりしないだろうか?
そんな、由無し事を考えているうちに、エーデルの姿勢が前傾する。
「――行くぞ、これで、終わりだ」
もはや、言い聞かせるように口にした彼女は、聖剣を振り被り、地面を蹴った。
しかし、予想に違わず、魔物は触手を突き出して身を守ろうとしている。これでは、彼女の攻撃は致命傷になり得ない。
どうにかしなければいけない、どうにか、どうにか――。
『――それもありますが、本質は"語りかける"ことにあると思います』
「――!」僕の脳裏に閃いたのは、いつかのやり取り。
確か、この島に来る前の船の上。
それは何気ないやり取りだった。けれど、彼女はたしかに言っていたはずだ。
『自然のあらゆるものに語りかけて、応えてもらった時に初めて、魔法はそこに生まれるんです』
あらゆるものに、語りかける。
それが、奇跡を生むというのなら。
僕は唯一動く首と目に、総身の全力を込めた。視界に収めたのは、僕が先程、自ら投げ出した剣だ。
「……け」
――鳥は泳ぐのに向かない。
――魚は飛ぶのに向かない。
同じように、僕にも魔法は向いていないのだろう。
「……うごけよ」
だけど、それがどうした。
もう、これしかないのだ。
これしかないなら、縋るしかないだろう――!
「――動けよおおおおおおおっ!!!」
腹の底から絞り出した叫びと同時に、目の奥が弾けるような感覚があった。
遠退いていた全身の感触が、硬直していく肉体に収まらず、僕から拡散していく。部屋を満たしていく。
希釈した僕が。
どこまでも拡がっていく。
「……ま、ほう?」
誰かが、弱々しく呟く声がした。
それと同時に、僕の視線の先で、ひとりでに剣が跳ね上がる。誰が触れたわけでもないのに、意思を持ったかのように浮き上がり、それは凄まじい速度で魔物に向かっていく。
閃いた剣が、靄のような魔物の体に突き刺さる。
刹那、僅かだが絡まった触手が、まるで溶けるようにして解けた。鉄壁に見えた防御に生じた、ほんの一瞬の隙。
それを、彼女が見逃すはずがなかった。
「く、ら、えええええええええっ!」
気合の声とともに、聖剣の光が炸裂する。
それは、無数の触手を、悪しき金色を蹴散らして、不確かな靄の体に突き刺さる。
魔物の断末魔。
視界を覆う、眩い光。
その逆光の中、力強く佇んだ姫騎士の背中が、なんだか妙に心強く感じて。
安堵と共に、僕は意識を手放した。




