二章『黄の島』-11
「――っ、モネっ!」
僕は叫ぶ。体が、自然に動いた。
力無くその場に倒れ込む彼女の矮躯を、どうにか受け止める。突如飛来した一撃は彼女を打ち据えたが、どうやら目に見える傷は無いようだった。
しかし。
「……う、あ」弱々しく、モネが声を漏らす。
彼女の胸元あたりから、黄金の皮膜が拡がっていく。じわじわと、それでいて着実に、彼女を黄金の立像に変えんと、侵食を始めていく。
「か、カナタ、さ……」
恐怖に慄いた表情。普段から何かに怯えるようにして下がっていた眉尻が、さらに不安そうに形を歪める。
「……大丈夫だ、ここは、僕とエーデルに任せておいてくれ」
徐々に力が抜けていく体を、壁に寄りかからせるようにして寝かしながら、僕は努めて優しい声色で、そう彼女に告げた。
――完全に、無警戒だった。
扉が開くまでは、戦いが始まらないと思っていた。
そんなわけがない。既にここは敵地、悪魔の腹の中だというのに、僕は。
「……カナタ、モネは大丈夫か?」
見れば、エーデルは既に剣を抜いていた。手にした聖剣は怒りのせいか、仄かに赤みを帯びて輝き、その刀身は微かに震えていた。
「ああ、呪いは受けたみたいだが、致命傷を負ったわけじゃなさそうだ。すぐに命を落とすことは無いと思う」
「なら、優先すべきはこちらのようだな」
彼女の声には、隠しきれないほどの怒気が込められていた。
民を傷付け、仲間を傷付けられた相手を、彼女が許すはずもない。しかしその激情に我を忘れることもなく、ただ、青眼に視線を向けている。
僕も彼女の隣に並び、剣を抜く。そして、目の前にいる『それ』の姿を真っ向から目にすることになった。
『それ』は、絵本の挿絵で見た時と同じ黒い靄のような不定形の生物だった。腰ほどの高さに置かれた小瓶、そこから溢れてきたインクの染みのような姿であり、中央には、こちらをギョロリと睨みつける大きな目玉が浮かんでいる。
何より、異様なのはその背中から伸びる無数の触手だ。モネを打ち据えたのもこれだろう。宙空にのたくるようにして踊るそれは、次の犠牲者を探していた。
呪いの主――その威容に、僕は思わず気圧されそうになる。サンドワームのときもそうだったが、現実感を全く失ったその質感は、足元が不確かに揺らぐように錯覚させる。
「――来るぞ!」
エーデルの声が弾けた。それと同時に、触手のうち幾本かがこちらに向かってくる。
反射的に剣を持ち上げようとするが、思っていたよりもずっと、剣は重い。エーデルやアキレアのように軽々と振り回すことはできず、逆に振り回されるようにしながら、どうにか向かってきた一本を切り払った。
「く、っそ……!」
悪態を吐いて、すぐに体勢を立て直す。
視界の先では、エーデルが向かってくる触手を全て切り捨て、駆けているのが見えた。やはり、僕とは鍛え方が違うようだ。
僕はすぐにその後に続こうとするが、そこにもう一本、触手が飛んでくる。受け流そうと剣を差し出すが、避け切ることができずに、服の端を掠めていく。
「――カナタっ!」
「問題ない、服を掠っただけだ!」
そう返しながら被弾箇所に目を向ければ、少しずつ、服の布地が金色に変わっていくのが見えた。
思わず、ゾッとする。あんな僅かな接触時間、接触箇所でも呪いをかけることができるのか。
じわじわと呪いの拡がる上着を脱ぎ捨て、僕は再び剣を構える。
幸いにも、触手の動きはそこまで速くない。僕の目にも追える程度だし、僕の剣でも払える程度だ。
しかし、それはあくまでも、先を駆けているエーデルに攻撃が集中しているのが理由だろう。このままではジリ貧だ。
「くっ……!」エーデルの眉が、苦悶に歪む。
現状、彼女は防戦一方のように見えた。攻撃こそ一度も受けていないものの、見るからに息が上がっている。
そこで一度、彼女は大きく薙ぎ払い、バックステップで距離を取った。そして、浅い呼吸を整えていく。
「……マズいな、このままじゃ、有効打が無さそうだ」
「私も、そう考えていた。現状では、聖剣の力を使うこともできない」
彼女はそう口にして、握った聖剣に目を落とす。
「砂漠ほどの明るさ……太陽が出ていればともかく、この暗い廃坑の中で力を溜めるには、少し時間がかかってしまう。だが――」
モネは戦闘離脱してしまった。
僕は、単騎で時間稼ぎができるほどの実力がない。
そうなれば、彼女に悠長に準備をする時間を与えることもできない。
「……ちなみに、どのくらい稼げばいいんだ?」
「十秒、それだけあれば、どうにかしてみせよう」
十秒か……と、僕は思考する。
先程から、向けられた触手を一本切り払うだけで精一杯だった。
一方で、エーデルは十本以上を一人で捌いていた。僕は少なく見積もっても、彼女と同じだけの動きをしなければならない。
……無理だ、どう考えても現実的ではない。ならば、何か他に使える策はないだろうか?
「……そうだ、部屋の外。例えば、ここで力を溜めて、怪物のいる部屋の中に踏み込むのは?」
僕の案を、エーデルは首を振って否定した。
「いや、厳しいだろう。聖剣には長い時間、力を蓄えておくことができない。怪物に斬りかかるまでに、力が拡散してしまう」
「なら、どうやってもあいつの前で十秒、稼がなきゃいけないってのかよ……」
そして、それができるのは、僕しかいない。
成功のビジョンが、全く見えてこない。為す術無く黄金の像にされてしまう自分の背中が、ありありと見えるようだ。
けれど、やらなければならないのか。僕は何度も詰まりそうになる息を飲み下して、口を開こうとして――。
「――わ、わたしが、やります」
横合いから聞こえた、弱々しい声に遮られた。
見れば、壁に凭れかかったモネが、ふらふらと手を挙げていた。息も絶え絶え、弱々しく息をしながら、彼女は続ける。
「私の魔法なら、隙を作ることができるはずです、その間に、姫様は力を……」
「だけど、モネ、あんた、あんまり無理すると――」
駆け寄った僕の言葉を、彼女は笑顔で遮った。
何かを決意したような微笑みに、僕も、それ以上続けることができなくなってしまう。
「――平気です。それに、戦う力のないカナタさんも頑張っているんですから、わ、私が頑張らないわけにはいきません」
モネはそう言って、杖に縋るようにして立ち上がった。弱々しく、けれど、心配など微塵も感じさせぬ、そんな立ち姿のまま、彼女は呪いの主を見据える。
「長くは、保ちません。それに、一度だけしか通用しないでしょう。姫様、お願いしますね……」
彼女はそう残すと、聞こえないくらいの声で、何かを呟く。
いや、それはおそらく囁いているのだ。この場にある万物に、そして何よりも、己の魂に。
モネの正面に、暗い輝きが収束していく。空気を圧縮しているのか、松明や黄金から光を奪っているのか、それとも、僕の知らないエネルギーを凝縮しているのか。
「い、っけえええええ!!!」
集められた力は、聞いたこともないほどに大きな彼女の声と同時に放たれた。漆黒の熱線が、怪物に襲い掛かる。
それを怪物は、触手の束で受け止めた。
側で見ていた僕のところにも、何かタンパク質めいたものが焦げるような臭いがした。
「――よくやった、モネ」
熱線と怪物がぶつかり合う中、エーデルが動く。その手に持つ剣には、魔法使いが放った熱線とは真逆の、聖なる輝きが宿っている。
一呼吸。ただそれだけの間に、踏み込んだエーデルは聖剣を振り被り――そのまま、熱線ごと切り捨てるように振り下ろしたのだった。




