二章『黄の島』-4
魔法使いのモネ。
彼女は、若くしてフロス王国イチの魔法の使い手と言われた天才であり、王女エーデルも全幅の信頼を置く実力者の一人だ。
絵本の中では、気弱で、自己主張こそしないものの、変幻自在の魔法を使いこなし、姫様一行の旅路をアシストする役目だった。
そして何より、この黄の島においては、キーマンの一人でもある――。
――それが、まさか。
「か、かかかか、カナタさんは、何をののの、飲みますか……?」
質の高い紙に書かれて供されたメニューを睨みつけながら、件の首席魔法使いは、明らかに不自然そうな声で僕に訪ねてきた。
僕たちはあのあと、あまりにも間が持たなかったので、ひとまず手近な店に入ることにした。
恐らく、元の世界で言うところの喫茶店に近いであろうその店は、二人で話すのには丁度いい場所のように思える。
ならば、誤魔化す必要もあるまい。問題は誰と話しているのか、だ。
「ああ、なんかもう、適当におすすめとかで……」
そこまで口が上手くない僕は、明らかに緊張した様子の彼女に、そう返す。
口下手が二人で囲むテーブルは、もはや地獄の様相を呈していた。会話は弾まず、既に互いの間には愛想笑いすら無くなっている。
端的に言えば、気まずい。
そもそも、彼女との出会いは最悪だったのだ。初めて出会ったとき、僕は完全に船に忍び込んだ不審者だった。
そして、今に至るまで、アイスブレイクの機会は設けられていない。
さらに、僕は英と姉以外の女性と、ほとんど接してこなかったのだ。これで間が持つ方がおかしい。おかしいだろ、どう考えても。
「……」
「……」
注文を終えれば、そこには二つの沈黙が横たわるばかりだ。
ああ、こうして彼女の時間を分けてもらうのすら忍びなく思えてきた。いっそのこと、適当な理由をつけて中座してしまおうかと、そう考え始めた頃だった。
「か、カナタ、さんは……」
消え入りそうな声。それがモネの口から発されたのだと気付くのに、数瞬を要した。
けれど、どうやら間違いではなかったようだ。彼女は僕をしっかりと見据えて、さらに続ける。
「カナタさんは、どうして私たちの旅に、ついて来ようと思ったんですか……?」
窮した。
彼女の言葉の意味がわからなかったわけでも、聞き取れなかったわけでもない。その問の真意がどこにあるのかを、汲み取りあぐねたからだ。
その沈黙をどう解釈したのか、モネはぶんぶんと首を振った。
「あ、ち、違いますよ、別にその、来て欲しくなかった……とかじゃなくて、どうしてわざわざ危険を犯してまで、私たちに付き合おうと思ったんですか……?」
「……そりゃまあ、僕は、未来が――」
「それは、カナタさんが持っている力のお話で、理由じゃないと思うんです。未来が見えたとしても、私なら絶対に、旅をしようだなんて思いませんから」
そう言って目を伏せる彼女の輪郭は、見た目よりもさらに萎んで見えた。
「……王国イチの魔法使いの言葉とは思えないな、すごく、なんというか、弱気だ」
「私は、もともと気が弱いですから。魔法だって、誰よりも傷つきたくなかったから、自分が傷つかないために、死んでしまわないために、必死に勉強しただけなんです」
そうして、ひた走るうちに、今の地位に辿り着いたのだ――そう話す彼女は、ひどく陰鬱な表情をしていた。
まるで罪の告解でもしているかのようの、そんな印象すら受ける。
「この旅だって、そうです。私は本当は、危険な旅なんてしたくなかった。お城の書庫で好きなだけ本が読めたら、それでよかったんです」
「……でも、旅に同行することを、決めた」僕はわざと、試すように言った。
「……姫様を放っておけませんでしたし、それに、国は滅んでしまいました。私には、他に選択肢がなかったんです」
ああ。
エーデルには、なんと答えたのだったか。
英を探すため……それは決して、間違いではない。彼女がどこに行ってしまったのか、同じ、この世界に流れ着いたのか。
それも、確かに目的のひとつではある。
けれど、全てではない。上手く言葉にしてみようとするが、まるで水分を失った砂のように、バラバラとまとまらない。
それでも、何も答えないというのはひどく不誠実なように思えた。まっすぐに心をぶつけてきてくれた彼女に対して、そんなことはできない。
「僕は」少しだけ、考えてから。「たぶんまだ、その答えを見つけられていないんだと思う」
彼女は僕の返答に、少しだけ眉を寄せた。解せない、ということなのだろうか。
「ごめん、誤魔化すつもりじゃないんだ。だけど、まだ言葉にできない。僕の中に、そのための欠片が揃ってないんだ」
それに、恐らくは、覚悟も。
今の僕には、足りないものが多すぎる。
知ってか、知らずか。モネはそれ以上追及してくることはなかった。ただ、僕の言葉の真意を探ろうと言わんばかりに、その真紅の相貌で見つめてくるばかりだ。
ひたすら眺めていたって。
僕は、空っぽに違いないのに。
そんな、空虚な時間がしばらく流れ、僕が気まずさに、再びメニュー表でも手に取ろうかと考えた、その時だった。
「……カナタさん、あなたは――」
モネが、何かを口にしようとした。
けれど、それを遮るように、店内に大きな音が響き渡る。
何か、重いものが倒れる音。皿の割れる音、そして、女給の悲鳴。
閑話は打ち切られ、僕らの視線は即座に音の出どころに向けられる。
そこにいたのは、汚い身なりの男だった。周りの人々が豪奢な衣装に身を包む中、男だけは汚れた作業ズボンと、土まみれのシャツを身に着けていた。
彼は、強張った体を折り曲げ、席から崩れ落ちるようにして倒れていた。全身の筋肉は僅かに痙攣し、口元からは、泡が零れ出ている。
「――カナタさん、これって……」
モネに返事をすることもなく、僕は男に向かって駆け寄った。
「おい、あんた、しっかりしろ!」
僕は男の傍らにしゃがみ込む。
そして、それと同時に首元を覗き込んだ。作業着を着ていることから、土木作業か何かに従事しているかと思ったが、不思議と、彼の肌は白い。
けれど、そんなことよりも。
「――ああ。間違いない、見つけたよ」
男の首元には、あまりにも不自然な黄金の輝きがあった。
彼の体は、黄金に変わりつつあったのだ――。
「……これだ」
僕は呟く。絵本で見た通り、いや、実際に見ると、こんなにも。
その悍ましい輝きを目にしながら、僕はある種確信めいた、それでいて、誰かに否定してもらうことを求めているような調子で、その先を紡ぐのだった。
「これが、『黄金病』。この島を蝕む、恐ろしい病魔にして――次の『遺物』の手がかりだ」




