二章『黄の島』-2
「おうい、カナタ! そっちのロープ引っ張ってくれ!」
海上、響く波音を引き裂くように、アキレアの大声が飛んでいた。
僕は彼に言われる通り、甲板に張られたロープを引っ張る。が、ビクともしない。
「おいおい、お前、何遊んでるんだよ」
「遊んでないって、これ、かなり力が要るんだぞ……」
今度は全体重をかけて引っ張る。すると、張られた帆が僅かに動き、船自体の進路が変わるのがわかった。
それと同時に、手のひらからロープが滑り、僕は甲板に仰向けになって倒れ込んだ。肌を焼く日差しと、遠くから吹いてくる潮風の感覚が、妙に心地良い。
赤の島を出た翌日。
僕は再び、エーデルたちの船の上にいた。
結局、僕は彼女らの旅に同行することにしたのだ。理由はいくつかあるが、ここが絵本の世界であるのなら、主役と一緒にいるのが一番安全だから、だろうか。
そんな僕に船員として与えられた仕事は、体の良い雑用係だった。ある時は、エーデルやモネの身の回りの世話をし、今はアキレアと共に、操舵の手伝いをしている。
不意に、顔に影が差した。肩をすくめたアキレアが、倒れた僕を覗き込んでいた。
「おいおい、カナタ……お前、体力無さすぎじゃねえか? 船員、向いてないぜ」
「そりゃ、悪かったな……生憎、力仕事は苦手なもんでさ」
強がりながら、ゆっくりと体を起こす。既に筋肉痛になりかけている肩周りをぐるぐると回して、立ち上がるまでに二十秒ほど。
背後で船室の扉が開く音が聞こえたのは、丁度、僕が直立するのと同時くらいだった。
そちらに目を向ければ、モネが出てくるところだった。彼女はこの炎天下にあっても、今日も変わらず分厚いマントを着込み、エナン帽で目元を隠している。
「ん、モネじゃねえか。まだ見張りの交代は先だったはずだぜ」
アキレアの言葉に、彼女は弱々しく首を振った。
「い、いえ、そうじゃなくて。姫様から、二人が喧嘩してないか、様子を見てこいって……」
「そうか、流石の慧眼だな。丁度、耐え難いパワハラを受けていたところだよ」
ぱわはら? と首を傾げるモネに「横暴ってことだよ」と返す。
それがお気に召さなかったのか、アキレアは体重をかけるようにして、僕に肩を組んできた。
「なーにが横暴だ。帆の向きを変えるのでヒィヒィ言ってやがる軟弱者がよ。お陰で、俺の仕事は全く減らねえじゃねえか」
「そんなことは知るかよ、言われたことはやっただろ」
「言われなくてもやれよ、全く……俺が国にいた時の騎士団だったら、鎧着せたまんま城外百周の刑だったぜ」
と、そこまで話したところで、アキレアは何かを閃いたように手を打った。
「そうだ、モネ。こいつに魔法を教えてやれよ。力仕事がからっきしでも、魔法が使えりゃ使い物になるだろ、な?」
「おい、何言ってんだよ、あんた……」
しかし、モネは真剣そうな眼差しを僕に向けてきた。何かを見定めるように、じっと。
そして、しばらくの後に、ゆるゆると首を振る。
「……駄目です。カナタさんには、魔法の適性はありません」
そう、申し訳無さそうに口にした。
「……なんだよ、そりゃ、僕は魔法なんて使えないけどさ」
「そうじゃないんです、なんというか、魔法を使うための素養……魔力が、ほとんど感じられないんです」
そう言えば、前にも彼女はそんなことを言っていた気がする。
魔法だとか、魔力だとか。そういったものは、元の世界にはなかったものだ。だから、僕には宿っていない……ということなのだろうか?
どうあれ、受け入れ難いものであることは間違いない。
そこまで考えた時に、ふと、興味が湧いてきた。深く言葉を組み合わせる必要もなく、僕はモネに問いかけた。
「……なあ、そもそも魔法ってどんなものなんだ? 僕の故郷では、あんまり一般的でなくてさ」
そこで、モネは困ったように目を伏せた。そして、ボソボソと話し始める。
「……き、基本は、自然の力を借りて火を起こしたり、水を持ち上げたり……そういったことになります」
「へえ、そうなのか。そういえば、こないだの戦いでも、火の玉とかオアシスの水とかを使ってたよな」
「あれだけ暑い砂漠なら、熱を増幅させて火の玉を作ることもできますし、離れたところにある物体を動かすのは、そこまで難しい魔法でもないので……」
「……というか、そもそも魔法なんてどうやって使うんだ? 呪文を唱えたり、杖を振るったり?」
僕の問いかけに、モネは少しだけ考えるような素振りを見せた。
恐る恐る、といった調子で答えが返ってくる。
「それもありますが、本質は『語りかける』ことにあると思います。自然のあらゆるものに語りかけて、応えてもらった時に初めて、魔法はそこに生まれるんです」
「語りかける……か。なんだか、ピンとこないな」
「す、すみません、私、まだまだ未熟なので、その、言葉にするのが苦手で……。」
彼女はそこで深々と頭を下げる。謝るほどのことではない、と僕が顔を上げさせようとしたところで、横合いから、アキレアの笑い声が聞こえた。
背を反らすようにして笑う彼は、バシバシ僕の背中を叩くので、思わず前方につんのめりそうになってしまった。
「がはは! 謙遜すんなよ、モネ。いいか、カナタ。こいつはフロス王国の中でも最高の魔法使いと呼ばれてたんだぜ」
「そ、それは、違います。たまたま、腕試しの試験で上手くいっただけで……」
よほど、その話が恥ずかしかったのか。モネは顔のほとんどを、帽子で覆い隠してしまった。
「おい、あんた。あんまりからかってやるんじゃねえよ」
なんだか気の毒になって、助け舟を出す。しかし、アキレアは悪びれる様子もない。
「なんだよ、本当のことを言っただけだぜ。モネの腕はな――」
彼がそこまでを口にしたところで。
「――私も、カナタと同意見だな」
甲板に、凛とした声が通る。
見れば、エーデルが船室から歩いてくるところだった。彼女は僕らとアキレアとの間に割って入ると、その意志の強そうな瞳を、彼に向ける。
「モネが褒められるのに慣れていないというのは知っているだろう。それを知っていて続けるのなら、仲間としてあるまじき嫌がらせだと思うがな」
「流石姫様、話がわかるな。そうだぞおっさん、あんまり続けると、セクハラで訴えられても知らないからな」
せくはら? と首を傾げたエーデルに、「女の子に絡んだりすることだよ」と返す。
アキレアはそこで、参ったとばかりに両腕を上げ、ため息をひとつ。
「わかったよ、悪かった。みんなでそんなに言わなくてもいいじゃねえか」
「すまない、悪気がないのはわかっているさ。それでも、程度というものがある」
「へいへい、せいぜい、気をつけまさぁ」
おどけるように肩を竦めた彼が、そう口にするのとほとんど同時に、視界の先、水平の向こうに、大きな影が見え始めた。
それが島影だということは、言わずともわかる。どうやら、次の島が近づいてきたようだ。
「……見えてきたな。モネ、あの島はなんだ?」
モネは、慌てた様子で懐から双眼鏡のようなものを取り出すと、それを覗き込んで答える。
「え、えっと、あれは『黄の島』です! ランタン諸島第二の島、次の目的地で合ってる……と思います」
黄の島。
その名前を聞いて、僕の背中を緊張の汗が伝う。
僕が読んだ、祖父の絵本。その中でこの島は一番「『遺物』の在処がわからない島」なのだ。
「よっしゃ、そうしたらすぐに、上陸の準備だな! おら、カナタ。そっちの縄を引っ張ってくれ!」
威勢よく指示を飛ばしてくるアキレアの声も、どこか遠く。
手のひらに食い込む縄の痛みだけが、いやに鮮明に感じられていた。




