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一章『赤の島』-6

「皆、相手から目を離すな!」


 エーデルの声が飛ぶ。それと同時に、アキレアとモネがそれぞれ左右に広がり、警戒の態勢を取った。


「私とアキレアが前に出る、モネは援護、カナタは岩陰に身を隠せ!」


 状況が、目まぐるしく動く。二人の剣士はそれぞれ、素早くサンドワームの巨体にその剣を振り下ろす。


 そして、その背後からモネが杖を振るえば、いくつもの火の玉が宙に踊った。それは瞬きの間に飛び去っては、バチバチと表皮で破裂する音が聞こえる。


「なんっ……だよ、これ……!」


 僕はただ、それを屈んで見ていることしかできない。頬に当たる砂は激しく、目を開けているだけでも精一杯だ。


 サンドワームが、ぐるりとその体を振るった。途端、前衛の二人が大きく弾き飛ばされる。


「ぐっ……くっ、そがよ……! まともに、近付けもしねえじゃねえか!」


 アキレアの悪態も、まるで嵐のように薙ぎ払う砂嵐に掻き消される。サンドワームが、激しく体をうねらせ地中に潜ったのだ。


 一瞬の後、姿が消えた怪物に、エーデルが眉を寄せた。


「消えた……違う! 下か……!」


 その答えは、すぐに地響きで返ってきた。


 地面から突き上げるようにして、サンドワームが飛び出してくる。アキレアとエーデルが間一髪で飛び退くことができたのは、単なる幸運だろう。


「皆さん、まだです、上――!」


 モネの悲鳴じみた声が響く。見上げると同時に、頭上からサンドワームの頭部が、二人めがけて落ちてきた。


「くっ……姫様ぁッ!」


 アキレアが、エーデルを勢いよく突き飛ばす。それと同時に、先程まで彼の立っていた場所は、サンドワームに飲み込まれてしまった。


 背中に冷たいものが流れる。まさか、戦士アキレアが、こんなところで――?


「アキレア……ッ!」 


 エーデルの声に呼応するように、怪物の口から飛び出した影があった。なんとか飲み込まれずにいたらしいアキレアは、乱暴に投げ出されると、そのまま砂丘を転がり落ちていく。


 そして、ゆっくりと体を起こす。闘志こそは萎えていないようだったが、その表情には、明らかに疲労が滲んでいる。


 加えて、表皮に浮いた火傷は、怪物の纏う熱によるものか。軽症ではあるが、たった一瞬触れただけでも、相当の傷を負ってしまいそうだ。


「おいおい、こんな奴、本当に倒せるのかよ……」


 再び剣を構えたアキレアの手は、僅かに震えていた。ダメージは少なくないようだ。このままでは、危ないのではないか――?


「カナタっ!」不意に、エーデルが僕を呼んだ。「お前は、この怪物のことも、知っているのか?」


 唐突に呼ばれた僕は、少しだけ動揺したものの、すぐに頷いた。


「……ああ、知ってるよ! こいつの弱点も、どうやって倒すのかも!」


 正しくは、彼女らが絵本の中でどうやって倒したのかも――だが。


 その返事が、彼女の希望通りだったのかはわからない。


 しかし、その可憐な口元が、年齢相応の少女のように吊り上がるのが見えた。勝ち気で、自信に満ちた笑み。それは、僕が一生かかっても手に入れられない、輝きを帯びている。


「なら、話が早い! カナタ、この戦いの指揮は、お前に任せたぞ!」

「……っ、ちょっと待て、僕がか!?」


 ギイン、と音を発てて、アキレアの剣が怪物の突進を弾く。衝撃をいなすために大きく揺らいだ体勢をすぐに立て直し、彼は僕の方を睨む。


「この状況で、それ以外に何があるってんだ! 俺は別に、お前を囮にしたっていいんだぜ!」

「囮に、って、そんなこと言ったって、僕は普通の……」

「普通だろうとなんだろうと関係ねえ! お前がやらなきゃ皆おしまいだ、どうするか、どうするべきかだけを考えろ!」


 奇妙な感覚だった。


 まるで、自分自身をどこか高いところから見ているかのような、そんな、俯瞰の視点から、僕は彼の声を聞いている。


 頭の中を、いくつもの言葉が行き過ぎていく。


 ――まったく、余計なことしてくれるんだから。

 ――覇気がない。

 ――君、将来やりたいこととかないのか?


 異物。

 凡俗、低能、透明人間、モブA、空っぽ、陰キャ、水が合わない魚、何者にもなれない、声の小さい、何もできない――。


 ――これ以上、気に食わない形容詞をいくつ増やすつもりだ?


「……っ!」


 僕は前を向く。見れば、サンドワームはその体を徐々に縮めていた。 


 けれどそれは、(しぼ)んでいるわけではない。まるで弓を引き絞るように、その全身筋肉の体が、ギリギリと密度を増していく。 


 何か、よくないことが起ころうとしている。このままでは、三人とも、いや、僕も――。


「――ああ、わかったよ、やってやるっ!」


 僕は、可能な限り腹から絞り出すように叫んだ。今まで出したこともないような大声のせいで、喉の奥から少しだけ、血の味がした。 


 どうせ、こんなわけのわからない世界に来てしまったのだ。それに、僕はここに来る時に、屋上から――。


 ――だったら、もう、思いっきりやってやる。


「アキレア、エーデルはこちらに向かって全力で走れ! モネはそれを援護、可能な限り気を引いて、二人と並んだところで、一緒に走れ!」


 僕の言葉に、視界の先で二人が顔を見合わせる。モネは不安げに僕の方を振り返り、一度だけ目を瞬かせた。


「おい、お前、それって……」


 アキレアが、不満そうに眉を寄せる。しかし僕は、構うことなく叫ぶのだった。


「――逃げるぞ、今、ここじゃこいつには、勝てやしない!」


 そう言って、僕は駆け出した。


 いつもより早くなった心拍と、焦燥に冷えた血液が、奇妙に足元の感覚を鈍らせる。


 上手くいく保証なんてない。


 けれど、どうしたことか。僕の心の奥の方には少しだけ、忘れていた輝きめいたものが、ちらついているのだった。


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