No.76【ショートショート】その瞳が映すもの
その遺体は左右の眼球だけが綺麗にくり抜かれていた。
遺体が発見されたのは都内にある高層マンションの最上階の一室で、遺体の身元はその部屋に住む起業家の若い男だった。
司法解剖の結果、首元に小さな注射痕と体内からはジフェンヒドラミンという睡眠薬に使用される成分が検出された。
犯人は彼の自宅に侵入した後、背後から彼に近づき薬で彼を眠らせた。
その後、犯人は彼の眼球をくり抜いて持ち去った。
事件発生から数週間が経ったある日、話を聞いてもらいたいという女性が警察署へとやって来た。
彼女の話によると、久しぶりに家に帰ってきた息子の様子がどうもおかしいらしい。
身長も、体格も、顔も、声も、首元にあるホクロや手の甲にある火傷の跡も、どこからどう見たって息子で間違いない。
間違いないはずなのに、何かが違うのだ。
そこには息子ではない何かがいるような気がして仕方がなかった。
警官は念のため彼女と共に、息子がいるという彼女の家へと向かった。
しかし警官が家に着いた時、そこに彼の姿はなかった。
更に数日後、母親が血相を変えて警察署へとやって来た。
「分かったんです、違和感の正体が」
彼女はそう言うと、カバンから一枚の写真を取り出して警官に見せた。
写真に写っていたのは、幼い頃の息子だった。
”目です。…目が…別人なんです”
『その瞳が映すもの』
金銭の授受が全て電子化された近未来。
個人の特定に必要なものはたった一つだけであった。
人々の個人情報は一括管理され、“それ”をスキャンすることにより金銭授受も自動的に行われた。
つまり“それ”は免許証でもあり、クレジットカードでもあり、ドラッグストアのポイントカードでもあった。
全ての情報が“それ”に集約されたのだ。
それは決して他人に譲渡することのできない、譲渡の許されないものであった。
この世界に一つとして同じ顔が存在しないように、人間の“眼球”もまた一つとして同じものは存在しない。