第一話
高層ビルの屋上は青空に近いのだろうか。
空気が薄いのだろうか。雲は近いのだろうか。風がびゅうびゅう吹いてて吹き飛ばされてしまうだろうか。それとも太陽が近すぎて燃え尽きるような暑さをしているのだろうか。
そんな興味を抱いたオレは手身近にあった高層ビルに無断で侵入して、エレベータに乗ってから階段を上り、待望の夏への扉を開いた。
見渡す。
無骨で野暮ったい鼠色をしたコンクリートの地面に太陽光パネルがいくつか規則的に並んでいる。うんうんと稼働音を鳴らしている大型の室外機らしきものもあり、またノッペリと薄い金属の管がコンクリートを隠しながら走っている。色鮮やかさは感じない。
嫌な熱気が立ち込めており青空と白い雲のカクテルカラーの蜃気楼が揺らめいたような気がした。
このビルの最も高い場所を目指して、開いた扉を閉じて、出てきた部屋の上へと梯子で上る。
そこには緑色の地面の上にオレンジでHと示されたヘリポートがあった。
立って周りを見回して、見下ろして。さてとヘリポートの端っこに腰を下ろして足をぶらつかせる。
予想以上に予想以内だった。まぁこれといって明確な何かを思い浮かべていたわけではないけど、何かがあると面白そうだなと思っていたというのに。現実ってやつはどうやらユーモアを知らないらしい。つまらないなぁ。
手を広げてみる。左右にいっぱいだ。
そのまま後ろにぶっ倒れてみようかと思ったのだが、するとどうだろう、これは予想外で意識外のことだったが、微かに吹きすさぶ風が涼しい。
寝転がってみる。
夏の炎天下を演出しやがる太陽さんはちょうどよく雲に隠れた。恥ずかしがり屋め。
雲がゆっくりと流れていくのを数秒、または数分見つめているとコツコツと音が聞こえてきた。
足音。階段を上る音だ。
こんなところに誰が来るのだろうか。来るとしたらメンテナンスのための業者か、それかオレみたいな奇特なヤツだろう。99%が前者で、0.001%が後者だ。残りは知らん。
コイントスをする。表が業者、裏がオレ。
裏。オレみたいなやべーヤツ。
身体を起こした。
「はじめまして。こんにちは。オレの名前はレオ。このビルの所有者で資産家様だぜ?」
おどけて、ふざけて、ウソをついた。
オレの名前はレオじゃないし、このビルは誰が持っているのかすら知らないビルだし、資産家どころかバイト漬けの大学生だ。
観察する。
彼女は美しかった。プラチナブロンドの長髪に青い瞳。精巧な顔立ちはもはや人間離れしているようにすら感じた。人によれば人形と表現するような具体的な美しさに、だけどオレは宝石のようだとぼんやり思った。青い宝玉を注視する。
視線はこっちを向かない。
聞こえてなかったのか。
さらに観察する。
彼女は、少なくとも業者には見えない。というか大人に見えない。体型は子どもらしい。や、彼女の名誉のためにどこのどこが子どもらしいかは言わないが。
服はワンピースだったのだろうが、ほとんど茶色に滲んだ土埃で判別が難しくなっている。同じように靴もぼろぼろ。いったいどこの戦場を駆けてきたのだろうといった様相だ。
聞こえるかもわからないほどの足音を立てながら、オレの方も向かずにふらふらと歩いていく。
オレの真下を抜けていく途中、口が何度も何度もぶつぶつと同じように動いているのに気付いた。
耳を澄ます。
「…っ…ぃ…」
聞こえ辛い。
そうしている内にオレの下を過ぎ去り、さらに先に進もうとしている。
オレはぱっと身体を前に移して、ビルの屋上に再び足を落とした。高さはあったためそこそこ足が痺れた。だがその甲斐あって、彼女が何か同じ言葉を繰り返しているのが分かった。
「…◇◆▼〇□…◇◆▼〇□」
「何を言ってるんだ?」
聞き返し、ぱっと彼女の方を向く。
彼女はこちらに気が付いたようで、振り向いた瞬間。
下へと落ちていったように見えた。
その光景に現実感は欠片もなかった。
数秒の間しかこのビルの屋上に存在していなかった彼女に、その人間離れした美貌も相まって、一時白昼夢を見せられていたようにすら感じた。
ここでは、セミの鳴き声さえも聞こえてはこなかった。